第47話 西軍諸将の逃亡と佐和山城攻め

 南宮山に布陣していた諸将は負け戦と判明したあと、どう行動したのだろうか。


 長宗我部盛親は、何も行動を起こさないうちに敗戦の報せを受け、栗原山を下り、伊勢路から上野、堺を経て大阪に辿りついた。伊勢路では同じく敗走する島津勢と出会い、そこで敗戦の報せは確実のものとわかった。池田勢、浅野勢が追撃してきており、盛親の兵卒は蹴散らしながら退却したが、113人が討死しており、残りもバラバラに逃げたため、大阪にたどり着いた時には500人ほどになっていた。


 大阪からあとは船で土佐に向かうだけである。ここで家臣の立石助兵衛と横山新兵衛に対し、

「内府に味方すべく東下する途中、石田方に道を塞がれ、仕方なく内府に敵対することになったが、決して本意ではないと、井伊兵部殿に申し伝え、内府へのとりなしを頼め」

 と盛親は言って、大阪に立った。


 両人は直政に会い陳謝して、その旨を伝え、直政は家康に伝えたが、家康は盛親に上阪して謝罪すべしと命じた。

 盛親は両人の報せを聞き、城に立て籠もって家康の命を拒もうと思ったが、重臣らを集めて意見を聞いた。


大黒主計(盛親の従妹の夫)が言った。

「井伊殿がおとりなしをするというが、家康の心は測りがたし。敵の通りにいたして万一図られることあらば、全く以て不運となろうもの。ここは運を天に任せて籠城が肝心と存ずる」

 久武親信が言った。

「大黒殿の申し分尤もでござるが、籠城の兵糧武具などは如何致すか」

 大黒が答える。

「当浦戸城は交通便利にして敵を引き受けるは全く不条理。土佐国には山林険阻要害の地が多くあり申せば、軍議決すれば要害の地に立て籠もり、妻子を隠しおけば、心置きなく合戦出来ようというもの。いにしえより土佐の地へ他国の者が押し入った例はござらぬ。源平合戦の折、平氏が落ち隠れるも当国へ手出しする者なし。また当国を知らぬ他国者が

案内知らぬまま攻め入るのは、何年かかるやも知れず困りはてるでござろう」

戸波親武が言った。

「主計殿の申す所一理ありまするが、当今は源平の世と同じではござらぬ。当時は諸国往来も少なく、平家の残党は何ら恐れることなく安住の地を得ます。今はそうではござらぬ。たとえ百万の兵にて立て籠っても天下の兵を引き受けては勝ち目はござらぬ。寡兵と以て妻子を隠して於いても、天下の大軍が野山といわず探し出せば、城兵より先に捉えられるのは必定。無駄死には武勇ではござらず、末代までの恥とさらすだけでござろう」

久武親信が言った。

「親武殿の仰せの通りでござる。退いて愚案を廻らせても、当家は家康公と元親殿以来ご入魂の中、このたび不慮の已むを得ず石田に与したが、井伊殿の内意に任せられ大阪へお上りなされ、真意をお嘆きあらば、家康公も旧好を思し召し本領安堵を給わること相違なきと存じます。是非に上阪されたし」


 盛親は意を決して上阪することを決めたが、折しも実兄で津野を継いだ親忠との領地問題から親忠を殺害に及び、親忠が親交していた藤堂高虎から家康に殺害の件が伝わり、家康はその件で激怒し、盛親は結局改易となった。


 安国寺恵瓊は、多良口へと逃げようとしたが、本道は危険と思い直し江州那須の里より引き返して朽木谷へ向かい山城坂を越え、八幡、小原から鞍馬に入り、白照院という所に身を隠した。


 家康は毛利の家中で人質となっていた栗谷十郎兵衛に京都に上り消息を尋ねさせた。恵瓊は自分を探索して入ることを聞いて危険を感じ、六条の道場に身を隠した。


 江州の佐々木の浪人で北村五郎左衛門が遁世して楽鎮と号して京都にいたが、恵瓊の潜伏先を聞きつけて、京都所司代の奥平信昌に告訴した。信昌はさっそく鳥居庄右衛門に手下を付けて六条潜伏先に向かった。恵瓊はこの時も事前に察知していて平井藤九郎、長坂長七の両人を召しつれ、輿に乗って東寺方面に逃げて行った。鳥居らはあとを追った。楽鎮も六条から恵瓊のあとをつけていたので、鳥居らの捕方を見ると、恵瓊の輿を教えた。平井は、さすがにこれまでと思い抜いた刀で輿の中を刺して、そのあと長坂と共に捕方と戦い斬り死にして果てた。庄右衛門は輿の中から恵瓊を引っ張り出した。恵瓊は刺されてはいたが、急所を外れていたため死んでいなかった。すぐに縄をかけ所司代に届け、信昌は大津の家康の陣営まで届けた。捕らえたのは9月23日のことだった。


 長束正家は、敗戦の報せを聞くや、居城水口城に帰城し、籠城の準備を始めた。家康は池田輝政に命じて、図って城より出させ切腹させよと言明した。


 輝政は水口城に着くと、使者をたて

「いよいよ籠城の覚悟されるにおいては、内府は必ず根を断つ命を出すであろうから、速やかに城を出て謝罪すべし」


 正家はどちらといえば文官であるので、臆病者の質があった。城さえ出れば一命が助かると信じた。さっそく輝政の言う通り城を出て桜井谷の民家に移った。輝政は難なく水口城を接収し、正家に切腹を命じた。正家も観念したのか、最後は切腹して果てた。


 城内の接収目録には、黄金五千枚、銀三百貫、金熨付の刀・脇差千腰、その他珍奇の物品多数あったという。


 家康の本陣には次々と勝利の証の首が持ち込まれて、首実験が行われようとしていた。この儀式は勝利の美酒を味わうと同時に、敵の勇敢な戦死者に対する弔いの気持がこめられて敵の武勇と自分の武勇を披露する場でもあった。

 しかし、そこには肝心な西軍の武将の首が見当たらなかった。


「三成、行長、秀家、恵瓊を是非に探し出せ!」


 東軍諸将への引見褒美が夕方にやっとはじまった。一番手は黒田長政であり、ついで福島正則と続き、東軍の活躍した武将が家康の御前で褒美が下され、戦勝を口にし、勝利への祝賀を述べた。


 岡江雪は家康に対し、

「勝鬨をあげなされては如何」

と勧めたが、家康は、

「如何に理りなりけれど、諸将の妻子は未だ質として大阪にある。心中を察するに甚だ心苦しい。3日のうちには大阪を攻めとり妻子を諸将に引き渡したのち、勝鬨をあげようではないか」

と説いたので、聞いていた諸将は、家康の心情を思い感嘆した。


 最後に東軍に勝利をもたらした小早川秀秋は、結局家康の前に姿を見せなかったので、家康は村越直吉を使者にたてて、秀秋を招いて労をねぎらった。

「内府殿のおいては勝利のこと、お慶び申し上げます。これまでのわが不徳のいたすところ平にご容赦くだされ」

「金吾殿のご活躍なくば、危ういところであったが、なにわともあれ執着至極」

「これまでの所業を償い、是非とも佐和山城攻めの先鋒をたまわりたい」

「石田の居城を攻めるというか」

「御意」

「許してつかわそう」


 すると、後方に控えていた同じく内応した脇坂、朽木、小川らが、是非われ等も加えていただきたいと嘆願した。いずれも、心証をよくしようとの企みである。いずれも城攻めに加わることを許された。


 しかし、所詮は裏切りの心のある者は、家康とてそう簡単には信用できるものではなく、井伊直政を軍監として目付役とし、一万五千の兵をもって佐和山城攻略に向けて出発し、17日には麓に到着して、城攻めの配置が定められた。


 小早川、朽木、小川は篝尾口から、田中、宮部は水の手口から攻めることが決まった。佐和山城には三成の父正継と兄正澄が二千八百の兵をもって立て籠もっていた。佐和山は山城でそれなりの防御を持っていたが、大軍をもって攻められ救援もない状況では、どこまで持ちこ耐えられるかであった。秀秋の先鋒として平岡勝頼の部隊が廓に迫り、そこを守る津川清幽父子が奮闘し、平岡隊は一旦退かざるを得なかった。そこで、脇坂、朽木の隊が攻め込んだが、城方は本丸より弓、鉄砲隊の応援を得て、一刻ほど踏ん張ったが、やはり衆寡敵せず、本丸に引き退がるしかなかった。夕方には大部分の曲輪が落ちていた。


 家康は一旦城攻めを中止して講和を結ぶよう使者を石田方に遣わした。石田方も正澄の切腹で開城するという段取りまで持ち込んだが、18日早暁水の手口を攻める田中吉政の兵が一気に本丸に攻め込み、これがため石田方は大混乱のうちに天守も炎上し、石田正澄は妻子を殺害し、三成の家臣土田桃雲は三成の妻を刺して、自らは自刃して果てた。


 だが、三成の子重家は近臣3人に守られ城を脱出し、高野山に入った。のちに、本多正信が重家の命請いした。其の正信が言うには

「治部は御前に対しご奉公を致したる者でござる。されば治部が不了簡から関ヶ原の合戦は起因し、ために御前の天下となり申した。かかる大奉公いたしたる者の坊主一人ぐらいは助命されてもよろしかろうと存じますが、如何に」

と問い、家康は失笑しながら、助命を認めたのであった。


 そんな中、家康は最も大事な相手である大坂城に詰めている毛利輝元に対して懐柔工作を行う必要があった。黒田長政・福島正則連署で書状をまず送った。もし万一、西軍の残党が大坂城に立て籠もり、秀頼を擁して再度戦いを望めば、今度こそ豊臣恩顧の大名の所業がわからぬ次第となり、それは家康としては避けなければならず、そのためには、輝元に大坂から退出するよう仕向けなければならなかった。

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