第36話 大垣城退去

 どう戦うか、意見はまとまらず、徒に時が流れるだけであった。そして、太陽はもう養老の山並みに隠れようとしていた頃、三成の放っていた物見が帰ってきた。


「申しあげます。東軍は明日、出陣する模様でござる。大垣に備えた兵を除き、全軍をもって佐和山城を攻め、その勢いをかって大坂城に向かう由にござる」

「何と?」

「わかった。では、大垣での陣構えはもはや整わぬ。このままでは西への路が閉ざされよう。東軍を何としても関ケ原で食い止め、それより西に一歩たりとも入れてはいかぬ。急ぎ支度を整え、関ケ原に布陣いたす」

「おう!」


 すぐに全軍に対し、出発が言い渡された。もはや東軍と食い止めるのは関ヶ原しかない。松尾山に小早川あり、山中に大谷刑部が布陣して西上するものを阻止する態勢にはなっている。ただし、東軍の大軍を止めるほどの兵力はないのだ。三成、宇喜多、小西、島津が布陣すれば、鉄壁になり、東軍との激戦になっても南宮山から吉川、毛利、長曾我部、長束がこれまた無傷の大軍をもって襲いかかれば、東軍は撃破され敗走するしかないのだ。たとえ、中山道より秀忠軍が応援に駆けつけても、もうその時には家康の首はないのだ。

 もう最後の砦となる場所であった。


 一方、家康の本陣でも軍議が開かれ、今後の作戦の意見は分かれた。


「ここは、まず西軍の基地である大垣城を攻め落として、機先を制するのが常道。わが士気も高まりましょう」

 池田輝政が意見を述べた。井伊直政も賛同した。

「いやいや、ここは一気に大坂城に向かい、毛利輝元を降し、人質として拘禁されておる諸将の妻子を救うべしと存ずる。西軍は点在しており、わが東軍が一気に大坂へ向かっても、西軍の部隊が集結する頃は、大坂はわが掌中にあり」

血気盛んな福島正則が一気に大坂に攻め上るべしとして譲らない。

「忠勝も福島殿の意見に賛同いたす。敵の総大将は大坂にあり、守は寡兵。一気に攻め上れば大坂城は簡単にわが掌中でござる」


 本田忠勝も、大坂城目指して進撃すべしと主張する。意見は二つに分かれたまま、評定は時が過ぎるだけであった。家康はただ黙って聞いていた。諸将の気持は長い評定で緊張感で張りつめていた。やっと家康は口を開いた。


「皆の意見はようわかった。わしの策を言おう。三成の居城佐和山を攻め落とし、次いで大坂城を攻める」


 その最中に、物見からの緊急なる報告が届いたのである。家康は、よもや夜襲はあるまいがと思ったが、念のため井伊に大垣城の様子を物見させていたのである。夜襲の動きはなかったが、もう皆が寝静まっている深夜になり、城の動きが見え、付近に野営する者も含めて隊列をなして、西へと動き始めたのである。

別の場所で監視をしていた西尾光敬からも西軍の部隊が野口から牧田路へ向かうと報告があり、福島正則も家康に西軍大垣城を出立と注進していた。


「申し上げまする。西軍が大垣を出て、関ヶ原に向かっておりまする」

「何と、治部が関ヶ原に向かったというか」

「御意!」

「おおぅー」

 軍議に参加している諸将からどよめきが沸き起こった。

「すぐさま用意をいたせ!向かうは関ヶ原ぞ!」

「はっ!」

 家康にとって、思っていた通りの動きが発生したのである。


(三成め、佐和山を攻めると聞けば、きっと関ケ原に動くであろう)


 勝利はわが手に引き寄せられたわ。家康はそう確信していた。

 家康は、大垣城を攻めれば、当然後詰めとの野戦となり、中仙道からくるであろう、秀忠軍が現れなければ、不利である。関ケ原で戦うほうがはるかに利があると踏んでいた。それに、このままであれば、西軍の吉川と小早川は日和見にでる公算大と見えていた。兵力の差は同じでも、戦力はわれらが有利であり、秀忠が加われば、その差は歴然となり、勝ち戦が読める戦いとなるであろうことが予測できた。


(三成め、必ずや引導を渡してくれるわ)

家康は湯漬けをすすりながら、この戦いの行方を思い描いていた。


 三成は大垣城に婿にあたる福原長堯に兵七千五百をつけて守りにつかせ、午後七時ごろ、残りの兵四万を率い関が原への移動を開始した。西軍は、東軍との接触を避けるように南へと迂回し、牧田川沿いに南宮山麓を回って行軍した。夜中に小雨が降り出して、雨に濡れての行軍となった。伊吹山から養老山系に抜ける場所は、天候も変りやすく、雨や霧が予想以上に発生する地域であった。


 三成は途中列を離れ岡ケ鼻で長束正家と安国寺恵瓊と会い、軍評定の結果を伝え、今後の作戦を打ち合わせた。


 三成は主なる武将を集めて言った。

「家康は大垣を攻めずに、わが居城佐和山を攻める策をとる積りじゃ。東軍を一歩たりともこれより西に行かせてはならぬ。わしは笹尾山を背にして布陣する。南の松尾山には小早川殿が先日より布陣しておる。東軍が攻め入ってまいれば、背後より毛利殿らとともに、一気に突かれよ。東軍は総崩れとなろう」

「家康を討ちとるまたとない機会でござる。天は我に味方せりというもの」

 正家は、力をこめて、今が決戦の時という引き締まった表情で述べた。そこへ、恵瓊が険しい表情で一言言葉を発した。

「西軍で一番重要な位置を占めるは、松尾山の小早川殿と毛利のわが吉川殿でござる。特に小早川殿は内応の噂も聞いておる。万一、小早川殿が裏切ってわが陣営にむかえば、我らは崩壊し申す」

「それは考えすぎというもの。小早川殿は豊臣に忠義を尽くしても、裏切ることはない。それより吉川広家は間違いなく動くか?」

「それは、間違いござらぬ。わしの眼が黒いうちは二心などない」

 恵瓊はきっぱりと肯定した。


 三成は、秀秋の異心は否定したものの、心のどこかで不安があった。というのも、秀頼公が誕生してからというもの、秀秋は秀吉公に疎んじられ始めたからである。しかし、北政所とは、育ての親ということから、よく相談に乗っていたからである。北政所は、家康には親密になれと薦めていたから、三成とて不安にかられることは当然であった。吉川広家も親家康派と聞いていた。いつ裏切るかわからないが、恵瓊がいればひとまず安心できるであろうと思ったが、恵瓊は政略には長けていたが、戦術・戦略は全くダメであった。いざ戦闘が始まると物怖じしてしまうのだ。だが、そんなことは問い詰めている暇はなかった。そんなことが起きないよう祈るしかなかった。それよりも小早川の方が心配だった。三成は、話が終った後、急遽松尾山に向かった。


(今一度、念押しをしてまいろう)


 松尾山の小早川の陣中にいた秀秋に面会を求めた。

「金吾殿、いよいよ内府が動き申した。明日一大決戦の時となろう。名により金吾殿の働きにかかっており申す」

「治部少殿、わかっており申す。さてさて約定のことくれぐれもお忘れくださるな」

「??」

 三成はこの言葉を聞いてよもやと思った。約束した関白を欲しておる。やはり、心の奥底には、太閤殿下から一時遠ざけられた憤懣が残っているのではないか。関白になる望みがあったのだと感じた。

 三成は秀秋に誓紙を差し出した。

「これに間違いなく誓ってござる」


 秀秋はその誓紙を開いてみた。それには


一、今度忠義を尽くし給うに於ては、秀頼公十五歳にならせられ候迄、関白職秀秋殿へ譲り渡すべき事

一、上方の御賄いとして、播州一円相渡すべく候、勿論筑前筑後は、前の如くなる事


と認めてあり、秀家、行長、正家、三成、吉継、恵瓊の連署になっていた。


「無論、金吾殿は太閤殿下の養子として関白になられるに十分な御身。明日の合戦に勝利いたさば、それは御身のお働きのおかげというもの。この三成お力沿い奉り、関白となり秀頼公の後見人としておつき遊ばすようお願い申しあげる」

「間違いないな」

「御意。これにて笹尾山の陣に移り申す。勝利ののちの美酒を金吾殿と分かち合いたいと存ずる」

「誓って秀頼公のため働きとげ申す」


(にくき三成なれど加担しれ勝利いたさば、関白の座かころがりこむ。ここは、我慢して三成のために働いてみるか)

などと、秀秋は心の中でそう思い始めてはいた。


 しかし、その日のうちに東軍の本多忠勝・井伊直政連署の密書が秀秋のもとに届けられた。秀秋の家老に、平岡勝頼と稲葉正成の二人がいたが、二人とも東軍とよしみを通じていた。


 秀秋の心中は大事であったが、二人の意見はこの大局を制し、政権をになって天下の御政道をになうのは徳川家康と確信していた。だから、実際は東軍に参加したかったのだ。だが、豊臣恩顧の血筋がそうはさせてくれなかった。


「殿、この誓紙をご覧あれ」

 秀秋は、本多・井伊連署の書状を見た。それにはこう書き記してあった。


一、秀秋が伏見城を攻めたことは、お咎めはしなし

一、正成、勝頼の家老が、内府に忠義を示しているので、嬉しく思っている

一、かねての通り、裏切って山を降りて石田方に攻め入れば、上方2カ国を与えよう


 という三点の内容があった。


(何と、裏切れば、全ての罪は帳消しにして、さらに上方2カ国を与えると申すか。さて、わしはどうすればよいのじゃ。西で戦うか。裏切って東につくか。西が勝てば関白と播州一円。東が勝てば二カ国)


 秀秋は悩んでいた。もうどうすればよいか分らなくなってきた。


 南宮山に布陣する吉川広家も毛利勢と恵瓊、他の武将も監視していた。動いては今までの苦労が反故になるからである。広家は黒田長政を通じ、家康と誼を交わして、輝元にお咎めなしとなれば、一切歯向かうことなく講和するという条件をとり交わしていたのである。故に、戦は始まっても傍観しているだけに終始した。万一、徳川が負けることがあったら、その時行動に移せば良いのだ。


 西軍の各部隊は、ぞくぞくと関ケ原に集り、陣をおき、臨時の矢来や堀が掘られて合戦に備える姿が見られた。東軍も家康の出陣命令を受けて、福島正則、黒田長政が先鋒として出発し、加藤嘉明、藤堂高虎、松平忠吉らが続いて関が原目指して行軍を開始した。


(わが思い通りの戦いとなっておる。あとは小早川がどうでるか)


 家康は、出陣まえの食事をしながら、これからの戦のかけひきに思いめぐらせていた。

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