第33話 徳川軍撤退
いかに戦術に長けていても、徳川軍勢は大軍であり、真田の兵は少なすぎた。後詰の兵がいれば、もうひと踏ん張りできたものを。幸村は兄信之が味方ではなく、徳川方にいたことを悔やんだ。もし、兄上が一隊を率いて、横槍を入れれば、敵は総崩れになっていたことであろうと思ったからだった。
昌幸も、限界を感じていたが、しかし、このぐらいの戦いをすれば、敵は囲むだけで簡単には攻めては来ぬという自身があった。それが心理戦の重要なところだ。大軍になればなるほど、一旦攻略にてこずれば、慎重に成り手こずるのだ。それが、昌幸にとっては大切なことだ。本来なら、しばらくすれば、他からの手助けがあるはずである。それが三成からの朗報である。三成が勝てば、当然敵もそれを知り、撤退を始める。その時が城から反撃に出る絶好の機会である。
「幸村様、徳川は新手を次々と繰り出しもはやこれ以上本陣へは突入できませぬ。あとこの倍の兵があらば秀忠の御首頂戴できたでしょうが」
「うん、だがこれ以上は必要なかろう。わが家臣もこれ以上戦えば無駄死にとなろう。わしが殿軍となるゆえ引き揚げの合図をせよ」
「いやそれは参りませぬ。万一幸村様に災いあらばお館様に面目が立ちませぬ。拙者が徳川を止めますうちに早く上田城内へ戻られませい」
「ならぬ、大学」
「まだまだ徳川との戦いはこれからです」
「・・大学、すまぬ。後は頼むぞ」
富沢大学は幸村が城へ戻るのを見守っていた。その後帰還した将兵の中に大学の姿はなかった。徳川の攻撃を必死に防ぎついに力尽き敵の刃に倒れたのであった。
激しい戦いは終焉を告げた。折れて朽ち果てた旗指物が戦場のわびしさを感じさせていた。どちらが勝ったのか負けたのかわからない戦いであったが、前半は真田の優勢、後半は圧倒的兵力を持っていた徳川の優勢であったが、その兵力の差からいえば、完全に真田の優勢といえた。
陽はとっぷりと暮れていた。真田の将兵も徳川の将兵も疲れきっていた。ただ一人秀忠だけが口惜しんで何事がつぶやいていた。
「昌幸め、このままでは相すまぬ」
本田正信と酒井忠利はこの戦いには部隊の統制がとれていなかったとして、各隊の軍令違反を厳しく吟味し、翌日には大久保忠隣の旗奉行杉文勝と牧野康成の旗奉行贄掃部は死罪を言い渡された。
一夜明けた徳川の陣営は上田城を力攻めにして落城させるか、このままにしておいて中仙道を急行して家康本隊に追いつくかで紛糾した。
「大久保殿、このままでは徳川の面目が丸潰れでござる。上田の城を二度まで攻めて惨敗したとあっては後世のもの笑いとなり申す」
「いやいやこのまま本隊に合流できず、西軍にもし万一遅れをとるようなことあらば、それこそ大殿に顔向けできませぬ」
時々挑発するように上田城の城門があいて騎馬隊が颯爽と徳川の軍勢を横目にみながら走り抜けて戻っていく光景が見られた。また、真田の忍びがあちこちで小競り合いを引き起こさせる光景も見られたが、徳川の軍勢は処罰を察してかその挑発には乗らなかった。
たいした戦闘もおきないまま三日間が過ぎた。秀忠にとっては無駄な日を過ごしたといえた。それは、後日後悔として現出することになる。
「父上、徳川は動きませぬなぁ。今一度出陣いたしましょうか?」
幸村はもう一度敵陣へ突入して見たかった。
「それには及ぶまい。もう西に向かわねばなるまい。この地に留まっておれば、三成との決戦に支障をきたすであろう。いや、もう遅いかも知れぬ」
「しかし、陣幕はいまだそのままにて」
「いや、あの煙の数を見てみよ。この刻限にこれだけの炊を遣うことはあるまい。日の出前には陣を引き払い西へ向かうであろう」
「なるほど。いかにも」
幸村は父昌幸の読みに関心していた。そんな時である。佐助が敵陣より戻ってきた。
「佐助か、徳川の動向は?」
「はっ、陣中は総攻めか撤退かもめておりましたが、この上田にこれ以上刻を割くわけにはいかぬと決し、陣を引き払う準備をいたしております。明朝には大方の者は西へ向かうかと」
「やはりのう」
幸村は昌幸の読みに間違いがないことに確信をいだいた。
「目的地は何か言っておったか」
「美濃赤坂へ向かのが大方の意見かと」
「左様か。もうそちのここでの役目は終わった。あとは一休みして美濃までいき、成り行きを見届けてまいれ」
「はっ、かしこまりましてござる」
10日早朝徳川の大軍は一部の押さえを除いて上田城から動き始め、下諏訪へと向かい始めた。
昌幸にとって、あとは上方での勝負の行方の知らせを聞くのみであった。
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