第32話 上田城攻防

 9月2日到着早々、信之は交渉役に自分がなったことを上田城の昌幸のもとへ書状で届けた。すると、昌幸から内々の話があると上田城に来るように使者を遣わしてきた。信之は数名の従者を引き連れて上田城に向かった。


「父上、息災のご様子安心いたしました」

「うん、信之もここ一月の間にたくましくなったのう」

「先日はわが女房殿が父上を追い払うように振舞ったようでお許しくだされ」

「いやはや、小松殿はできたが女房よ。お前にはでき過ぎの女房よ」

「ところで父上、徳川に恭順のお心あるようと聞き及んでおりますが、それに二心はござらぬか」

「うん、三成に与力せんと思い徳川にもう一泡ふかせようと思うたが、あの大軍をみてはこの昌幸も怖気つくものよのう。秀忠殿に明日交渉の使者をよこすように伝えてくれ」

「父上、確かに聞きましてござる」


 昌幸はにやりとしていた。その笑みの意味が何をいみしているのか、父上の謀事がまたかくされているのであろうかと思いながら、信之は城を出ていった。


 翌日、牧野康成は従者数名を引き連れて上田城に向かい、昌幸と面談した。昌幸は剃髪していわゆる丸坊主の状態であった。横に幸村も同席していた。


「軍監を務めまする牧野でござる」

「真田昌幸でござる」

といって頭を少し下げて迎えている姿はとても神妙だと牧野は感じいっていた。


「ところでじゃ、安房守殿。その恭順の心構え某感じいってござる。和平開城の趣滞りなく済むことでござろう」

「和平?果て、何のことでござろう」

「??」


 牧野は昌幸の言葉に唖然とした。


「某、昨日信之と久ぶりに会うて四方山話などいたしましたが、徳川家にこの城を明け渡すなどと言った覚えはござらぬが。あっ、そういえば、秀忠公が西に向かうにあたりご挨拶などいたすかもしれぬと申しておったので、それならば一度お会いしたいものじゃと申したが」

「何と!安房守。予を愚弄する気か!」

「囲碁のお手合わせなら、いつでもお相手をして進ぜよう」


 牧野は顔をこわばらせいそいそと出ていった。


「父上、やりすぎではござりませんか」

幸村が少し心配になって聞いた。

「かようにいたさば秀忠も見捨てては置けまい。さてと久しぶりに心が湧くものよ」

 昌幸は碁でも打つようなそぶりで徳川の大軍を迎えようとしていた。


 陣中に戻った牧野は秀忠に事の始終を話した。

「康成、顔を引きつらせていかがいたした?」

「殿、安房守の言葉は空言でござりました。謀られましてござる。開城する意思など当初より全くなかったとしか思えませぬ」

「何と?それは真か?昌幸が謀ったと申すか」

「御意」

「うーん許さぬ。上田城など一思いに潰してくれよう。即刻戦の用意ぞ」


 事実、上田城の縄張りを見る限り、他国の難攻不落の城を思えば、数日持ちこたえれば上等と思えるほどのものであった。しかし、昌幸は戦の巧者であり、城だけでなく、城下町や周辺の地形を合わせた複合合戦で、包囲する敵を翻弄するのは、得意であった。また、秀忠やその側近たちは、その昌幸の仕掛ける戦にはまっていった。


「おぅー!」

徳川の大軍は移動を始め上田城の東方一里強にある染谷台に布陣を敷いた。ここは上田城を見下ろすことができ、大軍を動かすには格好の場所であった。


秀忠は真田信之に命じ、父昌幸を攻めるにはいかがするか尋ねた。

「上田城は小さいと思えどなかなかの堅城ゆえ、尋常ではそうたやすく落ちませぬ。また、周りを囲うようにの戸石、虚空蔵山、横尾の砦に兵を忍ばせ、大軍を翻弄するには格好の所でござる。いつこの陣所を襲撃してもおかしくござりませぬ。まずは、この周りをわが手中にするが肝要かと存じます」

「寡兵をもってする兵法を十二分に駆使するゆえそれをまず封ぜよと申すか」

「御意」


秀忠はしばらく考えた末に結論した。

「では信之に命ずる。戸石の城をわが掌中にせよ」

「はっ、御意のままに」


 信之は将兵一千を率いて戸石を目指した。戸石の城には、岡野将監が兵百を持って守りについていたが、昌幸が城を放棄して上田城に戻るよう指示が出ており、信之が目指すときにはもぬけの殻になっていた。


「戸石の城には、もはや葵の紋が翻っておろうな」


 昌幸は、信之がまず戸石を抑えるであろうと読んでいた。そのために無理な衝突は避け、兵力の損耗を防いだ。信之も、兵は退却して蛻の空になっているだろうと思っていたし、事実その通りだった。


「父上、でもこれでは徳川の大軍を翻弄するのは難しくなります」

「うん、だがお互い敵とは故、信之と幸村は血を分けた兄弟。無益な血は流さぬほうがよい。信之もこちらの手の内は読めておろう。戦はこれからが勝負のときぞ」

「はい」


 太陽は西方の山に徐々に沈みつつあり、茜色に染まり始めた空が一時の静寂を与えていた。


 秀忠軍には家康もその行動を心配してか、右腕となる人物をかなり選出していた。大久保忠隣、酒井忠利、榊原康政、土井利勝、本田正信、牧野康成らの譜代衆である。しかし、上田城攻撃に時間を費やせば、本隊への合流に遅れることも考えられた。


「忠利!昌幸は捨て置けぬ。成敗いたせ」

「しかし、あまり時を無駄にいたすと美濃への到着が遅れ大殿にお叱りを受けまする」

「そんなことは百も承知しておる。今は昌幸に腹が立つのじゃ。すぐさま城を攻めよ」

「忠利殿、わが御大将がかように申されておるのじゃ。ここは一つ手柄をたてさえようではないか。昌幸の首を参上すれば大殿も鼻がたかいであろう」


 康政が早く戦をはじめて解決して西へむかえば問題ないではないかと説得する。本田正信らも指をくわえて黙って通りすぎていくのは、三河武士の恥とまで言及し、ようやく上田城攻撃が決まった。伏兵が考えられた場所は真田信之らが占拠しており、包囲攻撃を受ける心配もなかった。

 寄せてはじわじわと上田城への距離を縮めていった。


 しかし、戦場とは違う周囲の光景が見えていた。

 周辺の田圃には収穫を待つ稲穂が光輝いてたなびいていたのである。


「忠利殿、真田はよほど慌てていたと見えます。こんなに見事に実った稲をそのままにして籠城したのです。兵糧米を確保することなく籠城した故は、それまで持ちこたえられずと観念してのことでしょう。もう勝ったのも同然です」


 土井利勝はこの時まだ二十八歳、戦況の見方も若かった。

「康政殿、ここはいかがいたしましょう」

正信が戦上手の康政に馬を巡らせて聞いた。

「そうじゃな。わが軍も少し兵糧が不足しておる。ここは苅田戦法で兵糧を到達するといたそう。すぐさま各隊によーく上田城から見えるように苅田をいたすよう伝えよ。万一敵が城から討って出たときはすかさず追いかけそのまま城へと突っ込むのじゃ」

「はっ」


徳川の足軽雑兵は田圃にはいり、よーく見えるように動作を大げさにして稲穂を刈り始めた。刈った稲穂を高々と持ち上げては収穫を進めていた。


上田城内からこの様子をみていた農民百姓は地団太踏んで悔しがった。

「おらたちのつくった米を刈っとるぞ」

「あとで見とれよ。思い知らせてくれるわ」


楼上より昌幸と幸村らもこの様子を眺めていた。

「おう、やっとるやっとる」

「父上、やはり思い通りきました。そろそろ次の仕掛けかと」

「うん」

「では、ちょっと一働きしてまいります」

幸村は頭形兜を被り十文字槍を持ち馬上となった。従うは騎馬25騎、足軽30人である。

「者供!いくぞっ!」

「おぅー!」

「門を開けぃー!」


 堅く閉められていた門が開き幸村らは一気に城外へ繰り出し、城下町である二町程の街道を駆け抜け、城の防備の一部となっている木戸を抜けて、徳川からもよく見える場所に繰り出した。六文銭の旗印が風にたなびいていた。幸村は一旦そこで動きを制した。幸村は徳川勢を注視したが、まだ自分たちの存在に気がついていないようであった。幸村は鉄砲数挺を前面にだして放つよう命じた。

「放てェ!」

ダ、ダーン!

銃声は上田を取り囲む山々にこだましておおきな反響音を残して余韻を与えていた。苅田をしていた徳川の軍勢は何事?かと思い、その音がした方向を見つめた。そこには遠くからでもよくわかる六文銭が見えた。


「真田の兵が城から討って出てきたぞッ!」

 徳川勢は一瞬うろたえたが、それはあらかじめ承知の上の事なのですぐさま迎撃の態勢をとるよう伝えた。一部の部隊は早くも準備万端整えていたせいか集結を始めていた。


 幸村は徳川の旗印が徐々に集まりだすのを見て、その辺りを一周ぐるりと回って馬首を城内へと返した。その様子をみていた徳川の軍勢は気勢を上げた。


「真田は腰抜けぞ!われらが姿をみて尻尾を振って一戦も交えず逃げおったぞ」

「田圃を根こそぎ刈り取ってしまえ!」

「おっー!」


 一旦城内に戻った幸村は水を一杯飲み干すと準備を整えていた部隊を見渡した。昌幸も具足をつけて幸村の姿をみつめていた。

「いいかッ!これからが真田の強さを見せつける時ぞ。決して慌てるでない。決して臆するでない。われに続け!」

「おぅー」


 半刻後、幸村は再び城外へと向かった。今度は騎馬六十騎、足軽雑兵四百人を率いてである。さらに忍びの者百人も佐助に率いられて決められた場所へと向かった。城内ではさらに騎馬五十騎、足軽雑兵五百人が討ってでる時を待っていた。さらに別働隊の騎馬二十騎、足軽百人が脇道沿いに背後の虚空蔵山の麓に向かった。

 幸村隊は再び先ほど姿を見せたところへと現れた。隊形は先ほどとは全く異なり戦闘態勢をとり、騎馬隊を二十騎馬ずつ中央隊、左翼隊、右翼隊に分けて配置し、その後方の徒歩隊は二つの集団に分け、最前部鉄砲隊、弓隊、槍隊、徒歩隊である。


「真田の兵が現れたぞっ!」

今度こそ、真田の田舎侍を蹴散らせてくれようと徳川の軍勢は手早く集結した。

「それ、かかれ!」


 合戦始めの鏑矢が飛び、怒声が飛ぶ。まずは、榊原隊と本田隊、大久保隊が動き始めた。その動くのを待っていた幸村も采配を振るった。三隊に分かれた騎馬隊は一斉に動き出し、大地は揺れ始めた。その突進を見て、徳川の武将らも奮い立った。


「踏み潰せ!」


 騎馬がたてる土煙が段々と舞い上がり空は霞んでいるかのようになっていく。真田の中央隊は幸村が率いていたが、左右から中央隊を守るかのように前に突出して進んできた。榊原隊と真田隊は激突し誰もが騎馬隊同士のもつれ合いを想像したが、思いがけないことが起こった。真田隊が踵を返して退却を始めたのである。榊原隊は八十騎程であり、そう大差がある戦いではなかったが、徳川側から見れば退却に見えていた。だが、これも真田の作戦の一つに過ぎなかった。

「追えっ!逃すな!」


 榊原隊は真田の騎馬隊を追った。それを見た徳川の他の武将等は遅れじと我先にとその後を追う。

「康政に遅れをとるでないぞ!」


 その騎馬隊めがけて真田の鉄砲隊が一斉射撃をし、矢を射掛ける。先頭を突っ走る何騎かが倒れ、騎馬侍も放りだされ、一瞬ひるんだ形となり、その隙に幸村隊は木戸内へと遁走を図る。態勢を立て直して徳川勢は一気に城下へと突入した。


 幸村隊は曲がりくねった狭い道筋を駆け抜けていった。それを追うように徳川の軍勢がなだれ込んでいった。と、いっても狭い道になだれ込んでいったというほうがいいかもしれなかった。かなりはいりこんだところで、真田の伏兵が徳川勢がひしめきあっている所へ壁や塀を壊し生き埋めにしょうとした。


「アッー!」「何だこれは?」

 徳川の先陣は一気に上田城の大手門までたどりつこうとしていた。後方が混乱の状態になろうとしていたのに。しかし、幸村隊は門の所で再び徳川に面と向かった。と同時に門が開き放たれ応援の真田の騎兵と雑兵が繰り出すとともに、鉄砲隊が土塀上に現れ一斉射撃を徳川勢に浴びせた。幸村隊も新手と加わり押し返し始めた。


「真田の新手ぞ!引けぃ!」

 榊原康政を守ろうと従者が必死に守ろうとし、康政の側近もそのために命を落としていった。かろうじて康政はその場を切り抜けた。本田隊も混乱におちいっていた。中にはこんな状況もあった。大久保隊が突入するとそこには真田と戦っている徳川勢の姿があり、苦戦しているようであった。しかし、それは真田の忍びが敵味方に分かれて演技をしていたのであり、援軍が来たぞというそぶりを見せたとたん、衣を変えた真田に取り囲まれ散々に打ちの目された。

 あるいは、辻に火をかけて退路を断つ戦術をとり右往左往するばかりで負傷する将兵雑兵は増えるばかりであった。

 無事城下を抜け退却したものの今度は真田の伏兵が側面を襲った。海野三郎の率いる騎馬隊二十騎、足軽百が思いもよらぬ場所から現れ縦横無尽に暴れまわる。


「一気に押しつぶせ!」


 正面からは幸村以下千名が少数ながら、秀忠の本陣めざし遮二無二突き進んでいく。混乱した徳川勢にはそれを止めるものはないものと思われた。しかし、徳川軍にも百戦錬磨の沈着冷静な武将は少なからずいた。秀忠もあまりにふがいない徳川軍に歯軋りして発破をかけた。


「敵は寡少ぞ。逃げるは三河武士の恥なり。とって返して戦うべし!」


この怒号に譜代直臣は奮い立ち始めた。

「ここは三河武士の意地をみせるところなり!」

 その中で仁王立ちになり真田に立ち向かった一人が一刀流の名人御子神みこがみ典膳、後の将軍家御指南役の小野次郎右衛門であった。その乱戦の最中たちまち真田の兵を三人片付けてしまった。徳川勢は徐々に踏みとどまり始め真田を押し返し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る