第26話 北陸 前田動く

 北陸においては、前田利長が二万五千の大軍を率いて金沢城を出発しようとしていた。

 前田利家の嫡男である。利家は信長に仕え、信長変死後、秀吉の片腕となって、天下統一に尽力し、五大老の一人として豊臣政権下で活躍し、秀吉死後も家康に人目置かれた存在だったが、死後、嫡男利長が家督を継いだが、謀反の嫌疑を家康よりかけられ、母芳春院を人質として江戸に送り、事なきをえ、徳川に忠誠を誓う結果となる。


 前田家としては、上杉討伐の兵を派遣する用意をしていたが、大阪方より二大老の名に於いて、家康追討の書簡が届いた。

 しかし、利長は東軍につくことを決した。秀頼公は大事ではあるが、それは三成らが勝手に擁したまでで、理は家康にあると考えた。ましてや、母の命は江戸の家康の元にあるのだ。


 三成謀反の情報を得て、すぐに西軍を牽制する役目を担うこととなる。当然、三成としても、大兵力を動員できる前田軍を警戒しなくてはならなかった。敦賀城を守るのは、大親友である大谷吉継である。戦略巧みな吉継であれば、なにも心配することはなかった。


 吉継は、まだ去就のはっきりしていない小松城主丹羽長重と大聖寺城主山口宗永にあて、豊臣公の恩義に報いるべく徳川家康と対決する旨を説き、味方につけることに成功していた。利長は丹羽長重が大阪方についたことにより、小松城を攻める羽目になった。


 利長は徳川軍が小山の陣を引き払った26日に出陣し、小松城に向かった。高畠定吉、奥村永福、青山吉次を金沢の守城としてとどめ、長蓮龍、その子好運、奥村栄明、太田長知、山崎長徳、高山長房らを先鋒とし、利長は利政と共に本隊を率いて出陣した。


 石川郡福富村で布陣して、軍議を行なった。


「丹羽長重とは旧知の間柄であるが、家康に弓引く者は成敗いたさねばなるまい」

「殿、しかし小松は天然の要害、三千の兵を集め籠城していると聞き及びます。がむしゃらに攻めては、何もございませぬ」


 小松城は、永禄五年朝倉義景が日本での要害の地を問うたとき、明智光秀が加賀においては小松だと答え、周囲が海と河に囲まれた湿地の中にある砂丘であり、標高百八十メートルの天然の守り固い城であった。


「それではいかがいたすのじゃ。ただ城を取り囲み指を加えて見物でもしておれというか

「そうではございませぬ殿。長重はわが大軍を見れば、そう容易く城から討って出ることはございますまい。我らは一部の兵を置き、大聖寺の山口宗永を討ちます」

「うまくいくか」

「もし万一丹羽が動けば、その時叩けば一石二鳥でございます」


 大聖寺城も二本の河が合流する所に作られた丘陵上の要害である。しかし、小松城のことを思えば、湿地で動きが封じられることもなく、城兵も千人ばかりと見られ、簡単に落とせると考えたうえでのことだった。


 8月1日、前田軍は城を取り囲み、力攻めした。宗永は、吉継に火急を告げるとともに、討死にするまで籠城することを約束した。その言葉通り、城兵は大軍をものとせず激戦に及び、そのために利長は降伏勧告を行ったが、その誘いにも動ずることなく、奮戦を続けた。利長の兜は、鯰尾の兜を被り、その長さ三尺二寸あまりもあり、銀箔に輝いていたので、非常に目立った。


「敵の大将、利長はあそこぞ!狙い撃て!」


 鉄砲の一弾は見事、兜を撃ち抜いたが、上部の方だったため、利長はかすり傷一つ負わなかった。城方は奮闘虚しく、本丸まで突入され、吉継らの救援は間に合うはずもなく、3日夕刻宗永は自刃し落城した。前田軍の首実験は544に及んだという。


 前田軍は、落城させた勢いに乗り、青木一矩の守る北の庄城へと向った。北庄城は柴田勝家が、お市の方とともに自刃した城である。


 その頃、大谷吉継は、三成が決起した以上、近い内に徳川の軍勢が東国から西上してくるであろうと予測し、領地である敦賀に動員の布告を出させており、その軍勢を率いて、京に上ろうとしていた。敦賀に着くと同時に、徳川の先鋒隊が東海道を西に向っているという報せを聞いた。と、同時に、金沢の前田がどう動くが心配だった。物見を出そうとする間もなく、小松城が囲まれた密書を受け取り、次いで、大聖寺城が包囲攻撃されていることも聞いた。じっとしてはいられなかった。前田は大軍であり、自分だけでは阻止するのは不可能だった。脇坂・朽木にすぐ駆けつけるよう使者を出した。ここは、謀略が必要だと感じた。やたら、むやみに合戦に及び、兵力を失っては、大事なときに大変なことになってしまう。利くかどうかわからないが、間者を使って偽りの情報を流させることにした。その間者は当然命がけである。敵の捕虜となる覚悟である。


「前田陣中を探れ。わざと見つかるようにするのだ。捕まったらこう言うのだ。〝大谷が一万の兵を率い、救援に向っておる。そして、別働隊が海路より金沢を襲う〟と」

「かしこまってござる。手抜かりなくやり遂げます」


 その間者は、当然優れものの一人であった。間者は前田の陣中を探る内に、捕縛され拷問の上、海路金沢を急襲する計画だと話した。疑いもしたが、利長は吉継ならやりかねない所業だと、胸騒ぎを覚え、城の囲みを解いて金沢に帰ることを告げた。


「直ちに、金沢に戻る!」

「殿、それでは内府殿に面目が立ちませぬ。徳川が会津討伐を中止いたしたからには、三成を討つために上京するのは必定。ここは一刻も早く敵を打ち破り、合流いたすのが道理と存じます」

「いや、これで十分言い訳が立つ。そう無理をせんでもよい。もし、万一わが留守中に城が敵の手中に落ちたらいかがいたす。それこそ末代までの屈辱ぞ」

「では、直ちに退却の陣触れを出します」

「くれぐれも内密に行動いたせ」


 しかし、二万もの大軍が動き出せば、すぐ敵方に知れ渡ることを必定だった。篝火を消さず、夜中にかけて陣を引き払った。夜明けとともに人気は全くなくなっていた。


「前田軍退却を始めた由にございます」

 物見からの急報は、大谷吉継にも小松の丹羽長重の元にももたらされた。

「前田は流言を信じきったようです」

「丹羽殿はきっと討ってでることであろう。われもこれより出陣し、後詰めとする。いざというときは前田と戦じゃ」

「はっ」


 小松城の丹羽長重は物見からの報告を受け取ると、出陣の令を下した。敵は大軍だが、逃げる敵を追撃撃破するのは、十分勝算あることだった。いざという時には、吉継が応援に駆けつけるであろうと読み、前田軍を攻撃するため、物見を直ちに出動させた。

 物見は半日程して帰ってきて報告した。


「前田は二手に別れて金沢に向っております。二手に分かれるのは多分われらの攻撃を警戒してのことかと存じます」

「して、敵が通るのはいつじゃ」

「夜は襲撃を恐れ動きますまい。明日夜明けとともに動くかと」

「よし、日の出前に出陣し、前田を蹴散らしてくれよう」


 9日、夜明け前、出陣の支度を整えた丹羽の追撃軍千五百は、怒涛のように前田軍を攻めた。


「殿、丹羽がやはり城より出張ってまいりました」

「ここで戦に巻き込まれ、手間取っている間に、大谷が駆けつければ総崩れじゃ。敵の駒は少ない。誰か殿軍となり、丹羽の攻撃を支えよ」

「殿!その役目、荒子主善めにおまかせ下され」

「主善!」

 荒子主善は、父利家が幼年の時より、共に戦ってきた直臣の家系であった。

「頼んだぞ」


 主善は兵二千を集めて、丹羽軍を阻止しようと陣取った。命を捨てた覚悟でなければ殿軍は勤まらない。

 丹羽軍は怒涛のように攻め寄せてきた。兵は互角。攻守ところがかわり、鬱憤を晴らすように丹羽軍の攻撃は凄まじかった。第一陣は破られ、主善が守る本陣に迫った。


「者供!ひるむでないぞ!踏みとどまってここを通すでない」

「おうー」


 一進一退の攻撃は、数時間にも及び、攻める側も守る側もお互い傷つき倒れていった。主善も矢傷を数箇所に負い、もうもちこたえれまいと思った時、新手が近づいてきた。敵か味方か。見ると、六曜の紋だった。頼母だ。縁戚関係にある中島頼母だった。手兵二百を率い、救援に駆けつけたのだった。丹羽軍も新手が出せず、攻撃の手は止まった。主善はかろうじて窮地を脱し、金沢にたどりついた。大谷の別働隊は来ることはなかった。まんまと、欺かれたのである。

 前田軍は城内にはいったまま、しばらくは踏みとどまり、情勢を見守ることにした。

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