第9話 家康 伏見城に入る
秀頼公の側にはもはや、前田利家も石田三成もいなかった。二人がいないこと
は家康にとって大きなことだったが、それよりも、三成に遠慮していた親家康派にとっては活動がしやすい立場となった。家康に近づいても邪魔立てする者はいなかったからだ。
家康とて
(さては、わしを邪魔立てする武将はおらぬであろう。これからゆるりとやれる)
と安堵して、政権を手にしていく方法を考えればよかったのである。
家康は利家が存命中の3月19日に向島に移転していたが、利家なく三成なく、奉行衆らとのやりとりを考えると伏見城に在していた方が便利のため、閏3月13日に伏見城の邸に入った。
これには元々布石があった。
黒田長政が堀尾吉晴を自邸に呼び寄せ、よもやま話のついでに出た話だ。当然、この話は父如水による知恵の吹き込みである。
「このごろ内府は向島に入られたが、これは大納言殿のすすめによってのことなれど、今更いうまでもないが、向島におらるるものは如何なものかと存ずる。この際、伏見のお城にお移りになり、京大阪を守護したまうようご沙汰をいただけることがあれば、内府に心寄せるもののありがたきことと、会合などの席で聞こえる話でござる。貴殿もこの話ご同意ならば、ご同職の生駒殿、中村殿とご相談あって、老中の内意を得られては如何なものでござろうや」
秀吉が築城し豊臣のシンボルとも言える伏見城に徳川を入れるということは、何を意味するか、堀尾もピンときた。家康は向島へ移ったばかりなので、自分からは伏見に入るとは直に言い出せないのだ。遠回しの作戦に出た。
堀尾は言った。
「早速、両名にはからい、依存なきようにいたしましょう」
堀尾は三成とも親しかったと思われた武将であったが、三成が隠棲したとならば、親徳川にならざるを得なかった。
堀尾は生駒、中村を説き伏せて、三成を除く四奉行を説きふせて三大老へ話を持っていてくれれば、決まったも同然だった。
しかし、長政は良かったものの、前田玄以と長束正家は猛然と反対した。
玄以が言った。
「帯刀(堀尾)殿、まさか太閤殿下のご遺言を忘れてはおらぬだろうな。伏見の城はご遺言にてわしと大蔵殿が守護すべしと命じられておる。それは内府とて入ることなど許されぬ。太閤殿下に逆らう所存か」
「わしとて、わかっておる。だが、今や天下は誰のものじゃ。秀頼公はまだ幼い。それに比べ、皆内府に従うことは暗に承知しておるはず。内府殿に任せねば平穏は続かぬ。其のためには、内府殿に伏見に入っていただき、世情を導かねばならぬ」
「しかし、それでは、豊臣のご治世はどうなるのか」
「内府がいなければ、豊臣も続かぬと思わぬか」
玄以も正家も承諾せざるを得なかった。最終的には、堀尾が玄以が在番の時に伏見城の
閏3月13日という早い日程にて伏見城に入った。三大老への報告は当然爾後報告になったことは当然だった。
景勝はその内容を聞いて激怒もせず、
「向島でいつまで居住もなるまい。いずれは大坂城か伏見城へお移りすべきと思っておったところである。依存などない」
と好きなようにすれば良いという考えであった。秀家、輝元も同じような返事で、お移りいただいて良いということであった。
これにより、家康の伏見城入りが成立した。家康に対し、内府殿よりも天下殿と世間の人は噂した。
京で街中に記された落首があった。
徳川の 烈しき波の現れて 重き石田も 名をや流さん
御城に 入りて浮世の家康は 心の儘に内府極楽
目の黒き 人と呼ばれし三成も 負目になれば 赤目をぞつる
三成を討ち洩らした豊臣の諸将は、三成に心寄せる武将を槍玉に上げなければ気がすまなかった。
「その方ら、高麗出陣のころ、三成と共謀して諸将の勲功を
福原が述べた。
「我ら、太閤殿下の目代として高麗に渡りしこと、誠に身にあまる冥加につき申す。されば、いささかの邪念無く、謹慎の態度を怠らず、ましてや諸将の勲功を隠蔽に及びとは思いも寄らぬ言い掛かりにてござる。それは、これらの奉書、太閤殿下が下された感状に数多を見れば明らかなこと、ご不審の段、甚だ遺憾と存ずる」
だが、四奉行は家康の言うまま、つまり三成に心寄せる者はこうなることを示すためにも彼らが犠牲になったのである。
「貴殿らの申すところ、一応は理があるように聞こえ申すが、三成は奢りを極め行の正しからざるにより隠棲にあいなり申した。目付として三成と親しみ、特に福原殿は三成と兄弟の間柄、故にその返答の趣、正直に聞くわけにはいかぬ、まずは城中より退出すべし」
として、即刻城外追放となり、邸にて謹慎の身となり、結局、福原は領地を没収され、垣見、太田、熊谷の3名は
完全に三成派の追い出しであった。家康の京での政権安泰は止める邪魔者もなく、家康派の思うが如く、動き始めていた。
三成を追い出した豊臣七将は、もう願望を達成し、あとは秀頼公を家康を後見として盛り立てて行けば良いと思っていたに違いない。しかし、どうも様子が違うような気がしてきていたのも事実だが、家康が天下人のように見えるのも仕方がないと思ってはいただろう。秀頼公が成人して天下人の称号を得るまでは、家康しか天下を納める人物は他にいないと信頼を置いていた。そして、秀頼公に政権を約束通り明け渡すと思うしかなかったが、日を追うごとにその思いは違うように思うようになっていた。
肝心なのは、まだ三成は生きているということだ。それが、豊臣にとって不幸なことだった。そして、その三成だけが真の相手を見据えていたことだった。
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