第10話 三成の陰謀と家康の陰謀

 五大老の一人である上杉景勝は、家康の了解を得て、領国会津への帰国の途についた。このあと、前田利長も加賀に帰国した。三成が大坂より去ったことで、家康の存在感がますます増した結果である。そんな動向を三成は、佐和山で間者の報告により聞き、さらに憂いを感じていた。このままここで何もしないわけには参らぬと三成は思って、あることを思いついて、筆をとり書き始めた。


「誰かある、この書状を長盛に内密に渡すのじゃ」

「はっ!」


 三成は増田長盛宛に書状を書いた。書状は長盛の許に届けられた。長盛はその内容を見て一大事を覚えた。その書状には、近いうちに家康が大坂城訪問の折、かねての通り、前田や浅野長政らが襲撃して暗殺をする手筈である。事があっても決して騒がぬように致せ。すべては豊臣の為であるとあった。


 それは、三成の陰謀でもあった。長盛は家康にも内通していることを知った上でのことであった。


 家康は、大老たちが帰国した後を狙ったかのように、伏見から大坂の城に入ることを決めていた。


「秀頼公ご幼少につき、太閤殿下より後見を申しつけられたが、秀頼公が大坂に移られてしまった爾後、その遺言も空しきものとなっておる。それ故、大坂西の丸に移り政務の手助けをしたいと思うておる」


と長盛、正家に相談して、大坂移転が決まったのである。


 それを見透かしたかのような内府を襲撃するという。長盛は大坂城訪問の折と知って、慌てた。今日家康が石田三成邸に入ることを聞いていたのだった。


(すぐに家康殿に一大事を知らせなければならぬ)


と思い、自ら三成邸の家康の元に赴く決心をした。


「殿、増田長盛が火急の用向きにてお目通りを願うて来ておりますが」

「長盛が、何用か?余程の事であろう。会うて話を聞こう」

 家康は、長盛に会った。

「一大事と思い、かような時間に馳せ参じましたことをお許しくだされ」

「よいよい。さてさて、何か早急なことがあったか」

「はっ、佐和山に蟄居中の三成より、此度の内府殿の大坂城登城の節に、暗殺計画があると聞き及びました。それも、意外な人物を聞き、拙者も驚いた次第でござる」

「意外と?」

「御意。驚ろかれるな。浅野長政、土方雄久たかひさ、大野治長でござる」

「うーん」


 家康は、平静を装っていたが、内心は焦りが出ていた。少し警戒心も薄れ、供回りの少人数しか連れていなかったのである。三成が蟄居中にも拘らず、大胆不敵な計画を練っていたとは、計算外れであった。大野はいざしらず、浅野も反徳川の心を持ち合わせていたとは、思い違いだった。豊臣恩顧ではあるが、三成とはたもとをともにするとは思えなかったのである。もう一人土方なる者がいた。


「土方雄久はあまりよく知らぬが」

「土方は前田利長の従兄弟にあたります」

「よう知らせてくれた。此度の忠心は生涯わすれぬぞ」

「いや、家康殿の御身を思えばこそ、注進したまででござる」


 家康はこれは逆に利用できると思った。前田利家が亡くなったとはいえ、まだまだ前田家の勢力は大きい。一気に我が陣営に引き入れる機会であることを思いついた。

 家康は、慌ててはいたが、邪魔者を一掃するには好都合なことと考えた。


「正信、警護の者を呼び寄せるのじゃ」


 警護の者に護られた家康は、重陽の節句のために大坂城に登城した。もちろん、その行列を狙う暗殺者の姿はなかった。もともと、三成が仕組んだ芝居だったのだ。家康は、秀頼の後見役として、しばらく大坂に留まることに決め、石田邸より西の丸に入った。西の丸には、故太閤秀吉の正妻北政所が住んでいたが、彼女が西の丸から出ることによって、家康は西の丸へ移り、いよいよ天下殿への道を固めようとしていた。


 月が改まると、家康は暗殺未遂の首謀者を発表し処分を決定した。


 浅野長政は本領甲斐にて蟄居、大野治長は下総結城の結城秀康に預け、土方雄久は常陸太田の佐竹義宣に預ける、という沙汰であった。前田利長はお咎めなし、であった。大野治長の処分は、明らかに秀頼側近の有力武将の切り離しに相違なかった。浅野長政は、五奉行の一人でもあり、前田利家が没したあと、家康に親近しようとしていたが、その忠心がどんなものか家康が図ろうとしたのである。


 前田家にとっては、沙汰なしであったが、実際家康は、有力大名の前田家の存在が目の上のこぶだった。この際、討伐して潰してしまおうとも考えたが、徳川の命とりになりかねない事態となっても困るので、違う方法を考えた。

 前田利長は家康の勧めに従い金沢に帰国していた。


 増田、長束の両奉行を呼び出して伝えた。


「謀議を図った三名に死罪を免じた以上、利長殿はその礼を述べ、己の罪を深謝すべきであろう。さすればその次第によっては和睦をいたそうと思うておるに、領地にあって全く何も挨拶がない。これほど無礼なことがあろうか。かく振る舞うならば、その罪謀反と呼ばれるものである。故に諸将を率いて征伐いたす所存である」

 奉行であれば、利長を呼び出して、存念を聞いてからが筋とするのが常であるが、逆に

「仰せのほど、御意の如くであります。この上は人数を召し集めて然るべき処置を講じましょう」

と賛同に意を発していた。大坂にある諸将の間に前田家征伐の噂が飛び交った。


「いよいよ、内府殿が北陸征伐に出陣し、前田家をひねり潰す所存だ。ついにこの時がきたのだ。さすが天下様は素早いことよ」


 隣国小松を領する丹羽長重が早速、先鋒の任に預かりたいと申し出てきた。家康はそれを聞いて感心し、吉光の脇差を与えて帰国の命を出し、出陣支度をするよう命じた。


 前田家討伐の件を聞き及んだ細川忠興は、利長とは懇意であったため、すぐさま金沢に飛脚を送り、家の大事が出来してしまっているので、急ぎ家康に陳謝するよう催促した。


 利長は、忠興からの書状でよもやの展開になっていることに慌てて、利政と協議して陳謝の使者を立てることとし、家老横山長知に陳謝状を持たせて大阪に向かわせた。


 横山はまず井伊直政を訪ねて家康への取次を頼んだ。その結果、許されて西の丸にて家康と対面した。家康を前にして横山は言った。


「こたび主人、太閤のご恩を忘れ、父の遺言にも背き、二心をいだくとの噂を聞き、誠に天下の悪名でござる。たとい主人気が狂いて天下を覆す謀事はかりごといたし候とも、家老として極力諌言いたし、その不義を正すこと勿論のこと、このところよくご推察あってご疑念を散じたまわりますように願いまする」

 家康は井伊直政から出されて書状には目も通さず言った。

「中納言におかれては、陰謀を企てるため芳春院を金沢へ下され、拙者を欺いた。故に使者を遣わされても会わぬつもりであったが、その方が来阪したので対面することと致した。ただ、大した用事もない故、即刻帰国されるがよい」


 家康にこう言われれば、万人が引き下がるだろうが、前田家の家老として気骨のある横山は食い下がった。


「無実の仰せよりは、我が殿の書状を御披見願いたい」

「何というか、ならば何故、誓詞を添えておかぬか」

 家康は二心のない証としての誓詞がないことを責めた。横山は答えた。

「昨年、太閤殿下ご逝去の際、末々になるまで逆意なからしめる為の誓約を致した以上、今更誓詞に及ぶ必要なありましょうや。もし先の制約がお疑いとあらば、更に何枚の誓詞を重ねて捧げもうしても、反故となること明らかでござる。ただし、謀反の疑いこそ平素をご覧じならば疑うことなかるべし」

「あいわかった。山城守。左様に申すなら誓詞はいらぬ。だが、まつ殿、いや芳春院には大坂に戻ってきていただこう」

「何と、芳春院殿を差し出せと申さるるか」

「左様じゃ。簡単なことじゃ」


 横山は返事に困った。殿に言上して決めなければ、この場で決められぬ。

「其の儀は、急ぎ立ち返り殿とあい計らいましてござる。今ここで粗忽に返答できませぬ」

「其の方の申し分、その通りじゃ。急ぎ帰国致し、兄弟にこの旨申し聞き、重ねて返答いたせ。老母を大坂へよこすのが肝要のこと。しかと忘れるでないぞ」

「はっ」


 家康は横山が退散した後、井伊直政にポツリと言った。

「これで前田はこちらに意のまま、あとは、上杉を何とかしなければならぬ」


 家康は芳春院を人質として要求したのである。いわゆる人質作戦である。それを受ければよし。で、なければ前田家は滅亡の道を歩む。

 前田利長、利政兄弟は苦痛な思いのあげく、この要求を飲んだ。家康は前田家の真意を考え、これ以上の追及には及ばないことを決めた。芳春院はその後、大坂ではなく、江戸に送られることに決まり、5月20日伏見を発し、6月6日江戸に入った。


 更に利長の弟利常の室に秀忠の女を迎え入れることになり、両家の絆は結ばれた。これも生き残るための政略であった。


 前田と懇意である細川忠興も誓詞を入れるとともに、同じように第3子の光千代を人質として提出した。

 

 三成は佐和山で、家康の打つ手を間者より聞いていた。さらに、家康を取り除かねば、豊臣が天下をとる日はないという思いが高まっていった。だが、蟄居している身にとって何も表舞台で工作することはかなわず、豊臣恩顧の大名に連絡をとり、連携を緊密にするしか手がなかった。


 三成としては、有力大名である上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家、島津義弘、佐竹義宣らに働きかけ、反徳川体制を作り上げる道が残されていた。家康の天下を望まない大名もまだ全国に存在していたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る