第四話 蜂目豺声

(ん? 何だ今の、乗客が意識を取り戻したのか?)そう思い、振り返る。

 非常口から、光とは違って、きちんとした防護服を着たやつが、バスの中に入ってきていた。服の上から、ウエストポーチを身につけている。

 よく見ると、そいつは蓮田だった。

 彼はこちらを向くと、ウエストポーチから拳銃を取り出し、発砲してきた。

「おわっ?!」

 慌てて、前扉の乗降口に逃げ込む。そばに乗客の死体があったが、嫌がっている場合ではなかった。

 蓮田はかなり警戒していて、慎重に向かってきていた。こちらが武器の類いを持っている、とでも思っているのかもしれない。

(妨害どころか、もろに殺しに来てんじゃねえかあの野郎! どうする? 拳銃に対抗できるようなもんなんて持ってねえぞ……)

 光は蓮田の様子を窺うため、首だけを出そうとした。その時、運転席の後ろに、消火器が設置されているのを発見した。

(あっ、あれだ! あれは武器として使える!)

 光はそう判断し、乗降口から出た。銃弾をかいくぐり、消火器に駆け寄る。

 急いで手に取り、元の場所に戻った。安全栓を抜いて、ノズルを外す。

(よし……これでいつでも、噴射できる)

 しかし、これだけでは心許ない。

(もっと不意をつく方法があれば……何か、役に立ちそうなものはねえか?)

 光はそう思い、辺りを見回した。そして、近くに、非常用コックがあるのに気づいた。

(おっ──こいつは使えるかも……)

 光はコックのフタを外し、中のハンドルを回した。隣に書いてあった説明によると、これで前扉が手で動かせるようになったはずだ。

 前扉をオープンする。バスの、軽自動車への衝突により変形していて、少ししか開かなかった。

 しかし、何とかそこから、近くにあった死体を放り出せた。

 蓮田は、こちらの目論見どおり、それを光だと勘違いして、発砲し始めた。

 緊張のあまり、呼吸が止まる。しかし、すぐさま覚悟を決め、消火器を抱えて乗降口から出た。

「オラァアアッ!」内容物を彼めがけて噴射する。

 蓮田にとって、まったくの不意打ちだったらしい。発砲するのも忘れ、払おうとしてか、両手をぶんぶんと大きく動かした。

 光は消火器をその辺に捨てると、蓮田の拳銃を掴んだ。

(これさえ奪えれば、一気に有利になる!)

 しかし、蓮田も奪われまいとして、がっちりと握り締めている。

(くそ、ひったくれねえ……なら、せめて!)

 光は、銃口を窓や天井に向けて、ハンドガンを乱射した。しばらくして、弾が尽きた。

 蓮田の腕を、割れた窓の枠に思い切り叩きつける。

「ぐおっ?!」

 蓮田はそう呻き、拳銃を手放した。彼を通路に突き飛ばすと、足を蹴りつけ、転倒させる。

(くくっ、いい気味だ)そのまま、馬乗りになってやろうとした。

 だが、蓮田がポーチから取ったものを見て、中断せざるを得なかった。慌てて、飛び跳ねるようにして車両後方へ退く。

 彼が出したものは、ナイフだった。

 蓮田は立ち上がると、刃物の先端をこちらに向けつつ、じりじりと寄ってきた。光はそれに従い、後ずさっていく。乗客たちに躓かないよう注意した。

(あんなもんで服を切られちゃあ、たちまちのうちにそこから蜂に侵入され、刺されちまう……)

 蓮田はたまに刃物を、突き出してきたり、大きく振ってきたりした。しばらくして、ついに一番後ろの席にまで追い詰められた。

(せめて、座面の上に立とう)

 しかし、姿勢を崩して、腰を下ろしてしまった。その瞬間、好機だと思ったらしく、蓮田が突っ込んできた。

 右手に、硬いものが触れた。何なのかは分からないが、チャンスだということは分かる。正体の確認もせず、掴むと、目の前に掲げ、ナイフを防いだ。

 それは、キャリーバッグだった。幸いにも金属製で、刃が通ることはなかった。

 蓮田はいったん、腕を引くと、再び、ナイフを突き出してきた。光も、再び、バッグで防ぐ。

 その後も何度か、彼は得物で切りつけてきた。そのたびに、盾にする。

(クソ、こんままじゃジリ貧だ……なんとかして、ナイフを奪わないと)

 そんなことを考えながら、バッグを盾にしていると、蓮田の攻撃により、鍵が壊れた。

(しめた!)

 蓮田が右腕を突き出した瞬間、バッグを上下に開く。受け止め、その直後に閉じて、挟んだ。

 彼は慌てて、左手でバスの掴み棒を持ち、必死に右腕を引っ張り始めた。光は逆に、抜かれまいとして、懸命に押さえ続けた。

 蓮田は左手を掴み棒から離すと、それで右腕を握り締めた。光は即座に、バッグを開いた。

 彼は引っこ抜いた反動で、バランスを崩し床に尻餅をついた。光は、バッグを手放し、立ち上がった。

 すぐさま、蓮田の右手を蹴る。ナイフが宙に舞い、後部座席の右端に落下して、載った。

 光は慌ててそこに向かうと、刃物を掴んだ。しかし、手袋を嵌めているために滑り、床に落としてしまった。

(ちくしょうがっ!)もう一度、手を伸ばす。

 足を蹴られた。姿勢を崩し、ナイフを横から叩いてしまう。

(ああ──しまったっ!)

 ナイフは地面をスライドしていき、前の席の足下で止まった。蓮田が、それを取ろうとしているのが見える。

 光は、キャリーバッグをそれめがけて滑らせた。ナイフにぶつかり、さらに前の席へと弾き飛ばした。

 後部座席から出ると、移動しようとしている蓮田がいた。「くたばれ!」と叫び、背中を踏みつける。

 先に、二つ前の席に向かった。そして刃物を見つけると、今度こそそれを拾い上げた。

 右腹部に衝撃を受け、光は吹っ飛んだ。跳び蹴りを食らわされたのだ。

 ナイフを、離さないようにしっかりと握りつつ、仰向けに転倒する。ろくな受け身がとれず、全身に衝撃が走った。

「おごあっ!」

 ナイフを弾き飛ばすつもりらしく、蓮田が右腕を蹴ろうとしてきた。手を横に動かし、足を避ける。

 そして、目の前を通過した彼の脚の、脹脛を、下から切りつけた。

「ぬあっ!」蓮田が喚いた。

 防護服が破れ、ぺろん、と捲れる。そこから蜂が、数匹侵入した。

 蓮田は悲鳴を上げ、穴を手で塞いだ。体は切れていなかったらしく、血は出ていなかった。

 彼は蜂を叩き潰そうとしてか、脚を殴りつけ始めた。今までの、殺気立った様子とは裏腹な、その、滑稽とも言える動作に、思わず笑いそうになった。

 光はその隙に、立ち上がった。すると、暴れ続ける蓮田のポーチから、黒い物体が二つ、床に落下したのが見えた。

 それらは手榴弾だった。さらに不運なことには、そのうちの一つのピンが外れてしまっていた。

 光は慌てて、それを拾おうとした。しかし、手が滑って弾いてしまう。

 手榴弾は宙を舞い、運転席に落下した。

 彼は悲鳴を上げ、急いでそこに向かった。(あそこはぐちゃぐちゃになっている──変なところに入り込んで取れなくなるかもしれねえ!)

 だが幸いにも、手榴弾はドライバーの膝の上に載っていた。急いで掴むと、割れた窓から外に投げる。

 わりと、近くで破裂した。轟音が耳を劈き、爆風が身を突き、高熱が体表を炙る。

 光は、ずでん、と転んだ。しかし、防護服のおかげで、体に怪我はなく、すぐに立ち上がることができた。

 蓮田のほうを見る。彼は倒れながらも、まだズボンの中の蜂を潰そうとしていた。

(駄目押し、しなきゃなんねえな)

 そう考え、光は彼に近づくと、首元を切りつけた。

 頸動脈は傷つけられなかったが、着衣に広範囲にわたって穴が空いた。ヘルメットを両手で掴むと、勢いよく引っ張り上げる。

 びりびりびり、という音がして服から外れ、蓮田の顔が露わになった。頭は禿げていてバーコード状になっており、口元と顎に髭を生やしている。

 夥しい蜂が、一斉に襲いかかった。その光景に、思わず気持ち悪さを覚えた。

 蓮田は悲鳴を上げると、バス後部めがけて走り始めた。慌てて、追いかける。

(これだけ妨害されて、ただで帰すわけにはいかねえなっ)

 非常口に手をかけたところで、捕まえる。ナイフを構え、背中に深々と突き刺した。

「ぐうっ」蓮田が呻いた。

 嫌な触感と清々しい達成感が同時に押し寄せてきた。彼は全身の動きを、ぴたり、と止めると、地面に、ばったり、と転落した。

(やれやれ──やっと、仕返しできた)光は安堵の息を吐いた。

 しばらく中腰になり、体を休める。その後、ケースを探そうとして、顔を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る