15
夕食後、シンシアは屋敷にいたときと同じように三人でお茶会を開いていた。
シンシアが今日買ってきたケーキを食べるために集まったのだ。二人の反応を見て、リュファスと一緒に食べるケーキを決めようかと思っている。
(利用しているみたいで大変心苦しいですが……お付き合いください!)
そんな事情を知らない二人は、数々のお菓子を見て目を輝かせている。
そこでシンシアが話題にしたのは、エリックのことだった。
「お二人は、エリック・バーティス様って知っていますか?」
「エリック・バーティス? ああ、リュファス様の部隊の副隊長ね」
「バーティス様かー貴族令嬢たちに大人気だよね、あの人」
もぐもぐとお菓子を食べながら、二人は言う。その反応はとても淡白なものだった。
貴族令嬢に人気だと噂の人なのに、思ったより反応ないですね? と思いつつ、シンシアは頷く。
「バーティス様が人気だという話は、私も従姉妹から聞きました。実際に会ってみて、人気な理由が少し分かる気がします」
理由は分かるが、シンシアはちょっと苦手だ。ずっと話していたいと思えるタイプではない。
だが、ああいう盛り上げ上手のほうが女性にはモテるのだろう。
「話していると楽しいもんねー。でも恋人も婚約者もいないから、結構不思議がられてはいるかな。嫡男じゃないから、そこまで焦らなくてもいいんだろうけど」
「楽しく遊んでいたいんじゃない? あたし、ああいうタイプの男嫌いだから分からないけど」
「ナンシーは嫌いだよねえ。知ってる。……あ、このパイ美味しい」
「甘いのはお菓子だけで十分よ。あーほんとこのお菓子美味しい」
「あ。それ、バーティス様のオススメですよ」
「………………お菓子に罪はないもの。ええ、お菓子に、罪は、ない」
ナンシーはぶつぶつと言いながら、エリックオススメのパイ菓子を避けた。
ちなみにその菓子はロンディルスという名前で、ロンディルスの町がパイ発祥の地として有名になった由来となったケーキである。
パイとカスタードクリームを交互に重ねたもので、店によっては生クリームやチョコレートクリーム、薄くスライスしたいちごを挟むのだとか。
エリックがオススメしてきたのは、カスタードだけを使った元祖ロンディルスのほうだ。
(これは本当に美味しいから、リュファス様にも食べてもらいたいですねえ)
そんなことを思いながら、美味しいケーキに舌鼓を打っていると。
「……ねえ、シンシア」
「……ふぁい?」
「あなたもしかして……バーティス様に惚れた?」
「………………はい?」
危ない。変なところにケーキが入るところだった。
紅茶を押し流し咳をこらえていると、ナンシーが半眼でシンシアを見つめてくる。
「だって……シンシア、普段は男の話なんてしないじゃない。もしかして、一目惚れでもしちゃったのかと」
「あー……見た目はかっこいいですよね。見てるだけなら癒されます。羊みたいで」
「それ分かるー頭なでなでしてみたいー柔らかそうだよねえ」
「あ、レイチェルさんもですか?」
「……ダメだわこれ。恋愛話に発展しない……いや、まぁいいんだけど……あのいけ好かない男にシンシアが惚れたって聞いたら、あたし文句つけにいってたし……」
「ナンシーさん……それ、バーティス様可哀想では?」
風評被害もいいところだ。しかしナンシーからしてみたら違うらしい。
「あんなに女性に対して優しくしてたら、勘違いする人なんてたくさんいるでしょうが。いつか刺されるわよ、あいつ」
「あ、それはお姉様方からの教育のせいみたいですよ」
「……そんな話までしてるだなんて……シンシアやっぱりあなた、バーティス様のこと……」
「あ、無理です。ないです。リュファス様のほうがかっこいいので、バーティス様にはそれほどときめきません」
そうぽろっと、普段は言わない本音をこぼしたのだが。
きらーん。ナンシーとレイチェルの瞳が、妖しげに光った。レイチェルが恐ろしいほどの速度で羽交い締めにしてくる。
「ひえっ⁉︎」
「シーンーシーアー?」
ナンシーが顔を近づけてくる。シンシアはぶるぶると震えた。
「怖い、怖いです、ナンシーさん!」
「いやぁ、だって……あのシンシアが、リュファス様に興味を持ってるなんてねえ? リュファス様相手に物怖じしないし、仕事が手につかなくなることもない優秀な子だと思ってたけど、まさかリュファス様がタイプだったとは」
「本当だよー。シンシアは正規のメイドじゃないし……わたし、シンシアが相手なら納得するなぁ」
「……へっ?」
理解ができず、シンシアは抜けた声を出してしまった。
だが、レイチェルは真面目な顔をして言う。
「リュファス様の奥さんだよ。わたしたち、リュファス様が苦労してきたの知ってるから、打算とかなしでリュファス様に添い遂げられる人がいいなぁって思ってるんだー。シンシアならわたし、安心する」
「あたしも」
「なぜそんな飛躍した話に……!」
ナンシーまでそんなことを言い始め、シンシアは困惑した。
リュファスとは気も合うし、好みも似ているし、話をするのも楽しいが、そういう関係ではない。あくまで主人とメイドだ。そう、主人とメイドという関係なはず。
シンシアは、リュファスと関わったこの一ヶ月半を思い出した。
――思い返せば、リュファスと一緒にお菓子ばかり食べてきた日々だった。
(そうですよ、お茶会開いたりしたくらいじゃないですか。ケーキ食べたり、アイディア出したり、ケーキを、食べさせ、た、り……ケーキ、を、食べ……させ、られた、り……あ、れ?)
そういえば、かなりナチュラルにケーキを食べさせたり食べさせられたりしていた気がするのだが、あれは主人とメイドの関係性で起きうるものなのだろうか。
(いや……それ以上はありませんでしたし……あ、でもリュファス様の笑顔、好きなんですよね。だからお茶会、結構楽しみにして、て……あれ、これなんか……恋人に会うのを楽しみにしてる、人っぽくない、ですか……ね……)
頭の中がぐるぐる回って、混乱する。
そのたびにリュファスの綺麗な顔や笑顔がチラついて、カーッと顔が赤くなった。
(ま、待って、待って待って落ち着くのです、落ち着けシンシア……! 雇用契約時に、婚約者はないって否定したではありませんか……! なのになぜ今更惚れ……惚れ、るとか……ない……!)
否定してみたものの、もう遅い。シンシアは自分の恋心を自覚してしまった。
(雇用主相手に、何やってるんですか私ーーー‼︎)
シンシアは心の底から絶叫する。
「あああ、でもまだ借金返済できませんし……主人とメイドが婚約者になるなんて物語の中だけの話ですし……」
「……おーい、シンシア、シンシア?」
「……あ、でも私一応伯爵令嬢でした⁉︎ あ、でも貧乏です⁉︎ ど、どどど、どうしたら……!」
「……ナンシー。ナンシーがシンシアからかったせいで、言葉が聞こえないくらい大混乱してるよ」
「……なんか本当にごめん。ここまで純情だとは思わなくて。ほ、ほら落ち着いて、落ち着いてーシンシア? ね?」
涙目になって頭を抱えるシンシアを解放したレイチェルは、シンシアを手でぱたぱたと扇いでくれる。それから二人は、シンシアが落ち着くまでそばにいてくれた。
しかし人生初めての恋心を自覚したシンシアは、寝る時間になっても精神が落ち着かず、ベッドの上でごろごろしながら一夜を明かすことになった。
*
ロンディルスに来てから二日経った。
肝心の魔物は、予兆こそあれ出現には至っていないらしい。
予兆が来てから数日経たずに魔物が出現することもあれば、一ヶ月後にくるパターンもあるという。
魔物討伐が魔術騎士団の仕事なので、討伐が終わらなければ帰還できないのだ。そのため、シンシアたちもまだ町に留まり続けている。
しかしそんな期間があったからか。シンシアの気持ちはだいぶ落ち着いていた。
二日間、ナンシーとレイチェルが侍女を代わってくれたのもあるだろう。
マリアと仲良くなれたのも、気分が回復した理由の一つだ。
どうやらマリアは、シンシアのことを気に入ってくれたらしい。空いている時間はおしゃべりをしたり、お茶をしたりして過ごした。
ジルベール邸のキッチン長が作る料理も毎回豪華で美味しいが、ロンディルスの料理は素材そのものの味がする素朴な料理が多い。田舎貴族のシンシアとしては、馴染み深い味だ。
それからもシンシアは、極力リュファスと二人きりにならないよう生活をした。
若干現実逃避のような感じになっている気もするが、仕方ない。
目付け役のマチルダもいないロンディルスという場所は、楽園のような場所だった。
(……よし。大丈夫です。平常心平常心。だってお仕事ですからね)
本日リュファスの侍女を任されているシンシアは、空き時間に買いに行った菓子を携えリュファスの部屋にやってきていた。
ものすごく緊張するが、いつまでも仕事をサボるわけにもいかないし、リュファスにもケーキを食べてもらいたい。
少し震えた声で許可を取り入室すれば、リュファスが眉をひそめ書類と向き合っていた。しかしシンシアが携えた菓子を見ると、直ぐに表情を緩める。
「おかえり、シンシア」
「た、ただいま戻りました」
どきりと胸が鳴ったが、「平常心!」と唱えることで乗り切った。
シンシアは、モンレー家のメイドに用意してもらったティーセットをテーブルに置き準備をした。その間に、リュファスは書類を整理する。
「今日は、ロンディルスというパイといちごのタルトを買ってみました。紅茶はアッサムみたいですね。ミルクお入れいたしますか?」
「ああ、頼む」
「はい」
何回もお茶会を開いているからか、シンシアはリュファスの紅茶の好みをだいぶ理解していた。同時に、ケーキの好みもなんとなく理解している。
(リュファス様は、砂糖を入れないミルクティーがお好き。ミルクも濃厚なものがいいみたいですね。ケーキは、シンプルなもののほうが反応がいいです)
そんなことを覚えてしまうくらいにはリュファスと茶会を開いていることに気づき、シンシアは唇を引き結ぶ。
(出会った頃はまさか、こんなふうにケーキについて語れるなんて思ってもみませんでしたからね……今でも、リュファス様と一緒にお茶をしているの、夢じゃないかって思うときがありますし)
こうしてリュファスへの恋心を自覚した今、その気持ちはより強くなった。
思わずリュファスのことをじっと見つめていると、彼が首をかしげる。
「どうかしたか?」
「あ、いえ。……出会った頃は、リュファス様と一緒にケーキを食べれるなんて思ってもみなかったなと思いまして」
「思えば、そうだな。あんな場所で君に会うなんて、わたしも思ってもみなかった」
思い出したのか、リュファスがくすくす笑う。シンシアも思い出し、恥ずかしくなった。なかなか強烈な出会いだったのだ。
そこでふと、シンシアの頭に疑問が浮かび上がる。
(そういえば……リュファス様はなぜ、わたしの名前を知っていたのでしょう?)
会ったことがあるのは、社交界デビューのときだけだ。
いくらリュファスといえ、顔と名前をすべて一致させるのは難しいだろう。付き合っても利益がなさそうな貧乏貴族ならなおさらだ。
普段なら口をつぐんでいたが、リュファスのことをもっと知りたいと思ったシンシアは恐る恐る口を開いた。
「……リュファス様。一つ質問しても良いでしょうか?」
「なんだ」
「どこで私の名前をお知りになったのですか? まったくもって自慢にはなりませんが、私、覚えるほどの存在ではなかったと思うのです」
「…………それ、は」
リュファスは、もごもごと言いよどんだ。
(も、もしかして、触れてはいけない話題でした?)
ロンディルスに来てから、触れてはいけない話題に触れることが多い気がする。これもそれも、シンシアが相手との距離感をうまく掴めていないからだ。
(き、距離感って難しいです……!)
シンシアは慌てて別の話題を探す。
「そ……そ、そうです! お菓子! お菓子食べましょう! こちらのお店バーティス様に教えていただいたのですけど、パイを考案したお店だそうですよ!」
「………………バーティス? エリックに教えてもらった、とは……」
「あ、えっと……ロンディルスに来た当日、散策をしようと外に出たらエリック様が付いてきてくださったのです。迷子にならないようにと気遣っていただいた、よう、で……」
瞬間、リュファスの表情が氷のように冷え切った。
(ひ、ひえっ⁉︎)
怖い。正餐会のときを思い出す、底冷えした無表情だ。
リュファスは不機嫌になると、どうやら無表情が冴え渡るらしい。
「……あ、の。リュファス……さ、ま……?」
「……なんでもない。なんでもないんだ、シンシア。少なくとも……君が悪いわけではない」
(なんでもないってお顔ではありませんよ……!)
どうしたら良いのだろう。先程から墓穴を掘り続けている。
何を言ってもリュファスの神経を逆撫でしそうで、シンシアは何も言えなくなってしまった。
(どうして、リュファス様を怒らせてしまったのでしょうか……?)
そんなことも分からない自分の不甲斐なさに、しゅんと落ち込んでいた。そんなときだった。
――カーン! カーン! カーン!
――ロンディルスの町に、鐘の音が響き渡った。
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