14

 正餐会から二週間が経った。


 忙しさは落ち着き、普段通りの日常がやってくる。そう思っていたのだが。


 ――シンシアは今王都を離れ、モンレー伯爵領の町、ロンディルスに来ていた。


「ふおお……ここが、パイ発祥の町と言われているロンディルスですか……」


 馬車の窓から見える光景を見つめながら、シンシアは感動する。


 ロンディルスは、王都ほどではないが活気にあふれた町だった。

 町全体がクリーム色の壁とこげ茶の屋根の家で統一されており、どことなく可愛らしい。大通りに続く脇道には市場がいくつも展開されており、威勢のいい声が聞こえてきた。


 色々な匂いがしてくるからか、シンシアのおなかも空いてくる。

 領民たちも皆良い顔をしているし、モンレー伯爵は良い領主なのだろう。そう思わせてくれる雰囲気が、ロンディルスにはあった。


「馬車の中にいるのに、バターの香りがしますよっ! なんですか、この幸せな空間は……!」

 そんなシンシアを見て、ナンシーとレイチェルは笑った。

「シンシア、食いつきすぎ。カーテンはあんまり開けないで」

「そうだよー。一応リュファス様のお仕事の付き添いで来てるんだからね? ……まぁ実際は、給仕係頑張ったご褒美も兼ねてるんだけど」

「はーい」


 そう。シンシアたちは今、リュファスの仕事――魔物討伐の付き添いとして、ロンディルスにきているのだ。


 魔物とは、ランタール王国で災害として扱われている存在のことだ。

 溜まった瘴気が一定数集まったことで実体化するのだが、それが溜まる場所は大体決まっている。瘴気を吸いすぎた魔物は巨大化し危険度が上がるので、大きくなる前に討伐したほうが良いとされていた。


 リュファスがいる魔術騎士団の役割の中には、国防とは別に魔物の討伐というものがある。

 魔物の出現が多くないのであれば、各領地を守護している駐在騎士団や、領主自らが集めた私的騎士団だけで済むのだが、周期的に増えてしまうことがあるのだ。そうなると領地在住の騎士団だけでは被害を抑えられないため、魔術騎士団が駆り出される。


 それを観測し、国に知らせているのが魔物観測所だ。魔物観測所は各地に点在しているため、魔物が増えすぎる前に対処することができている。今回も平均的に見て多いので、念のためにリュファス率いる第一部隊がやってきたのだった。


 そのため、付き添いの使用人たちにもこれといった危険はない。だからこそ使用人たちの間では、ご褒美として扱われているのだ。


 服装もよそ行きのドレスを着れるので、いい気分転換になる。

 シンシアはあまりドレスを持っていないのであれだが、ナンシーとレイチェルは色々なドレスを持ってきていた。


 シンシアをたしなめてこそいたが、二人も旅行を楽しみにしていたのだろう。その証拠に、二人の荷物が一番多かった。女性の旅行は、荷物が増える者なのだ。

 行き先がパイ発祥の地と聞き、シンシアの期待もかなり上がっている。それは、馬車に乗っている今もぐんぐん上がっていた。


(パイ……パイはやっぱり焼きたてですねえ……ああ、馬車の中にいるのにいい香りがします……!)


 馬車に揺られながら、シンシアは嬉しさのあまり表情を緩める。


 ロンディルスは、王都から馬車で三、四日かかる距離にある朗らかな場所だ。

 牧場地が近くにあり、新鮮なバターや牛乳、卵などを使った料理が美味しいという。素朴だが美味しいものがたくさんある場所なので、シンシアはかなりわくわくしていた。


 今回世話役としてきているのは、シンシア、ナンシー、レイチェルの三人だけだ。

 給仕係として活躍した執事たちは皆居残り組。

 これは別に差別とかではなく、使用人たちの希望を聞いた結果女性使用人たちのほうが旅行好きで、男性使用人は主人のいない屋敷で自由にするほうが好きだから、という理由からだった。


 シンシアとしても、メイド長であるマチルダから離れられるのは大変嬉しい。久々に羽根を伸ばせそうだ。

 当のリュファスは、普段使っている騎士服に身を包み馬に乗っている。リュファスが進むたびに純白のマントがはためき、とても綺麗だった。


 魔術騎士団の騎士服はとても目立つため、領民たちの視線もかなり集まっている。その中を無表情で歩く騎士たちは、とても凛々しかった。


 私だったら、視線が気になりすぎてそれどころではないでしょうね……とシンシアは冷静に分析する。


 曰く、魔術騎士団の服装が派手なのは注目を集めるためなのだとか。

 魔術騎士団に入れる者は広域系の魔術を扱えるので、敵に警戒させたり、味方の指揮を上げたり安心させる意味もあるらしい。


(領民たちも色めき立っていますし……効果は絶大ですね)


 カーテンの隙間からそれを眺めていたシンシアは、ほうっと息を吐く。

 歓声が聞こえる中、一同は領主であるモンレー伯爵のカントリーハウスに向かった。


「ジルベール公爵閣下、よくぞいらっしゃいました」


 リュファスたちを歓迎してくれたのは、モンレー伯爵と夫人だった。

 そう。正餐会のときに食器を落としてしまった、マリア・モンレー夫人である。


 出迎えてくれた二人とも、正餐会の際に会ったばかりだ。まさかの縁に少し驚いてしまう。

 それは向こうも同じだったのか。シンシアが馬車から出てくると、二人揃って瞠目した。


「まあ……正餐会で給仕をしてくださった方々ですね? お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」


 シンシアはリュファスのほうをちらりと見た。


『名乗っても構わないぞ。むしろ恩を売っておくといい』


 リュファスの声がピアスから聞こえてくるのを確認してから、シンシアはドレスの裾をつまみ上げた。


「シンシア・オルコット、と申します。オルコット伯爵家の者です。以後お見知り置きをお願いいたします」

「まあ……ジルベール公爵閣下のお屋敷には貴族令嬢もいると伺っておりましたが、オルコット伯爵令嬢でしたか。……改めて、お礼を言わせてください。先日は誠にありがとうございました」

「わたしからも礼を言わせてもらいたい。オルコット嬢。妻を助けていただき、本当にありがとう」


 シンシアは困った。そこまで言われるようなことをした覚えがなかったからだ。

 しかし正餐会が終わった際、リュファスが言っていたことを思い出す。


『その当然のことを素早くしてくれたから、そこまでことが荒立たずに済んだんだ』


(貴族の駆け引きとかよく分かりませんでしたが、きっとこういうことなのでしょう)


 いい勉強になったな、と思う。

 社交界の駆け引きがなんとなく分かったシンシアは、にこりと微笑み礼を受け取ることにした。


「少しでもお力になれましたのであれば、幸いです。これからもどうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ! さあ皆様、どうぞ中へお入りください!」


 マリアとモンレー伯爵の案内で、シンシアたちはようやく人心地つくことができたのだ。

 持ってきた荷物を部屋に置いたシンシアは、見られていないことをいいことに大きく伸びをする。


「一室与えられるとは思ってもみませんでした」


 どうやらシンシアたちが貴族令嬢ということもあり、一室与えてくれたようだ。

 普段は、リュファスのお世話は執事長かメイド長がやっているが、こういう場面では二人とも休暇も兼ねて留守役を任される。リュファスの優しさだ。

 が、リュファスは騎士団に所属しているためか基本なんでも自分でできる。着替えの手伝いもいらないと念を押されていた。


 そのため、今回の立場は「侍女」というより、「ご褒美で休暇旅行にきた貴族令嬢」という感じだ。リュファスの粋な計らいだと思う。

 シンシアもかなり張り切っている。


(パイだけではなく、チーズケーキやタルトも美味しいと聞きますし……ああ、どうしたら良いのでしょう。リュファス様のために何を買ってくるべきです⁉︎)


 こんな感じに、だいぶ浮かれていた。







 リュファスの世話のほうは当番制なので、今日はナンシーが付いてくれている。

 なのでシンシアは、入ったばかりの給料を手に意気揚々と外出準備を始めた。


 なんと今回、正餐会の際のボーナスまであるのだ。実家にお金を多めに送っても、十分すぎるほどのお金が手元に残った。多すぎるのではないかと目を疑ったくらいだ。


 リュファスが優しすぎて、他の場所ではもう働けないかもしれない。ちょっとだけ危機感を覚えたシンシアだった。

 その優しさという名の金銭をカバンに押し込んだシンシアは、いつもより数割増しで高ぶりながらロンディルスの町へと繰り出したのだが。


 となりになぜか、馴染みのない青年がいた。


 道中一緒に行動していたため顔も名前も把握していたが、それだけだ。こうやって行動を共にするほど親しくなった覚えもないし、さりげなくとなりにいる理由も不明だ。

 シンシアは困ったときに浮かべる笑みを張り付けながら、ミルクティー色の髪をした美青年、エリック・バーティスに話しかけた。


「……あの、バーティス様。どうして付いてきているのでしょう……?」

「オルコット嬢は、ロンディルスに来るのは初めてでしょ? 僕は何度かきたことがあるから迷うことはないし、案内役がいたほうが楽じゃないかな? 女性一人で町中を歩くのは危険だと思うし」

「……お気遣いありがとうございます。とても助かります」


 笑顔でそう言われてしまえば、肯定するほかない。シンシアはこっそりため息を吐く。


 ――そんな理由から、シンシアはなぜか魔術騎士団第一部隊副隊長のエリックと町を歩くことになった。


 エリックは、ミルクティー色のくせ髪と青い瞳を持った、柔らかい雰囲気の侯爵令息だ。羊のように朗らかな美青年だと、シンシアは思っている。

 侯爵令息と言っても次男なので、爵位を継ぐことなく騎士団に所属しているらしい。

 そんな彼が私服でとなりにいることが、不思議でならなかった。今日まともに話した相手に、こうも世話を焼けるものなのだろうか。謎は深まるばかりだ。


(私、一人で見て回るほうが好きなのですが……)


 しかし一人で見ていれば、迷う確率が上がることも事実だし、誰かに絡まれないとも限らない。リュファスの部下ということもあり、無下に扱うのもためらわれた。

 そのためシンシアはおとなしく、エリックと一緒にロンディルスの町を回ることにしたのだ。

 エリックは気さくに話しかけてくる。


「オルコット嬢は、何か見たいものはある?」

「ええっと……ロンディルスでオススメのお菓子屋さんとかはありますでしょうか? 何店舗か教えてもらえたらありがたいです」


 まず把握したいのは、美味しいお菓子が売っているお店だ。これだけは外せない。リュファスにも食べてもらうのだから、しっかり吟味しなくては。


「それならいい店を知ってるよ。こっち」


 人ごみを気にしながら、エリックはシンシアを案内してくれた。その道中、エリックは様々な話をしてくれた。


「この町がパイ発祥の地だってことは知ってる?」

「はい」

「パイって層になってるから、恋愛成就や夫婦円満にいいって言われているお菓子なんだって。ほら、恋愛は関係を重ねていくうちに夫婦になって、その後の夫婦生活も年月を重ねていかなきゃいけないものでしょ。だからここ、恋人とか家族連れが多く来るんだよ」

「初めて知りました……」


 面白い話だなと感心する。どおりで、カップルや子連れが多いわけだ。


「まあそういうジンクスは、後からできるからね」


(ですがそれが経済効果にも繋がっているのでしょうし……オルコット領にも、こういう名物があれば観光客が集まるのでは?)


 エリックのことなどそっちのけで、シンシアはオルコット領のこれからを考えた。


 領地の娘がこう言うのはどうかと思うが、オルコット領は本当に田舎なのだ。

 様々な畑や森が広がる、自然豊かな土地と言えば聞こえはいいが、そのせいでまったく観光客がこない。ここまで貧乏になったのも、その辺りを気にかけなかったからだろう。領地が潤うためには、領民の税金だけではやっていけないのだ。


(小麦を推すのはありですが、小麦料理なんて色々ありますし……ロンディルスみたいに、パイ発祥の地とか『これ!』っていう料理が名物にならないとダメでしょうね)


 シンシアが思いついているのだから、母も何か考えているかもしれない。

 ロンディルスで何か掴めたらいいなーと物思いにふけっていたら、エリックがとなりにいることをすっかり忘れていた。そのため、話しかけられて驚いてしまう。


「オルコット嬢は、パイ好き?」

「……へ? は、はい! お菓子の中では一番好きです! と、特に、アップルパイが好きで……実家にいた頃は秋になると必ず作っていましたね!」


 焦りすぎたせいか、しゃべらなくても良さそうなことをぺらぺら話してしまった。だがエリックは、嫌な顔一つ見せず頷いてくれる。


「そうなんだ。僕は甘いものがそんなに得意じゃないから、ミートパイとかのほうが好きかな。あ、この町にはポットパイっていうのもあってね、それが結構美味しいんだよ」

「そんな料理があるんですね。初めて聞きました」

「美味しいよ。カップにクリームシチューを入れて、蓋の代わりにパイ生地で上部を包んで焼く料理なんだけど……多分屋敷にいたら出してくれるんじゃないかなあ」


 のんびりほのぼのとした様子で、エリックが笑う。

 絶え間なく続く会話に、シンシアはくすりと笑った。


(バーティス様、とても素敵な方ですね。本当に羊みたいです。……存在を一度抹消してしまい、本当に申し訳ありませんでした……)


 心の中で深く頭を下げておく。


 エリック・バーティスという青年の情報は、母方の従姉妹から聞いたことがあったのである程度知っていた。社交界でも、派閥を問わず貴族令嬢たちから好かれているらしい。

 なんでそんなにも好かれているのでしょうと当時は思っていたが、その理由がやっと分かった。エリックは、会話を続かせるのが上手いのだ。


 しかも相手に嫌な印象を与える会話ではなく、楽しく続く会話が多い。歩幅を合わせてくれたり、さりげなく手を差し出してくれたりなど、気遣いも上手だった。


 ギルベルトと違って、下心や黒いものを感じさせないところも良い。高ポイントだ。できることなら、このままピュアな感じに育ってほしい。

 エリックは、リュファスやシンシア同様中立派の家系に生まれたので、リュファスも安心してそばに置いているのかもしれないなと思った。


(こんなに素敵な殿方なら、恋人の一人や二人いそうですのに……あ、二人いたらまずいですね)


 ともあれ、もったいないくらいの優良青年だ。なのに、婚約者もいないらしい。

 ギルベルトとの一件で疑い深くなっていたシンシアは、思わず聞いてしまう。


「バーティス様には、恋人はいないのですか?」

「恋人? いや、いないね。欲しいと感じたこともないし……」

「意外です。紳士的な態度を取る方なので、てっきり慣れているのかと」


 エリックが遠い目をした。


「姉が二人いるから、その辺りの教育はすごくされたんだよね。……うん、だから正直、女性はいいかなって……」


(あ、これは聞いてはいけないやつでした)


 エリックがここまでげんなりするということはおそらく、相当我の強い姉なのだろう。不憫だな、と思いつつ、シンシアは必死になって話題を探す。


「あ、そうです、バーティス様。リュファス様って、バーティス様から見てどのような方ですか?」


 リュファス、という名前を聞き、エリックの瞳がキラリと輝いた気がした。嫌な予感がしたが、止める間もなくエリックが堰切ったように語り始める。


「リュファス様はね、素晴らしい方だよ! 剣術も武術も魔術も極めていらっしゃるし、僕なんかじゃ歯が立たないくらい強いんだ! なんかもう、とにかくかっこいい。かっこいい」

「な、なるほど……」


 こっちもこっちで聞いてはいけない内容だったかもしれない、とシンシアは冷や汗を流した。


 熱気がすごい。目が爛々と輝き、こちらに食らいつかんばかりだ。

 リュファスのことを尊敬していることが分かるのでそこは嬉しいのだが、いかんせん話が長いし圧が強い。

 それからも、エリックによるリュファスの武勇伝は続いた。


(バーティス様、悪い方ではないですけど……こう、残念な方ですね。ちょっと申し訳ないですけど、このテンションにはついていけません)


 やはり話をするならリュファスくらいが落ち着いた人がいいなと、シンシアはしみじみ思ったのだった。

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