閑話

 シンシア・オルコット。

 彼女は、良い意味で貴族令嬢らしくない不思議な女性だ。少なくとも、リュファスはそう思っている。


 そんな彼女と今も継続してお茶をし続けているのは――どうしようもないくらい楽しいからだった。









 今日は、正餐会が終わってから初めての休暇だ。

 朝から天気も良い。既に日はだいぶ上り、てっぺんを少し過ぎた辺りに到達していた。


 きっと今日は、シンシアがあの日の約束通り朝からケーキを買いに走ったことだろう。そんな彼女の姿を思い浮かべると、申し訳ないという気持ち以上に嬉しいと感じてしまうのだ。


 執務机の椅子に腰掛けながら、リュファスはふと過去のことを思い出した。


「……シンシアをメイドとして雇った後、あれだけ後悔したのにな」


 ぽつりと呟き、リュファスは笑みをこぼす。それは本当に、ついうっかり溢れた微笑みだった。


 シンシアが帰ってくるまでの間、リュファスは過去に想いを馳せる。


 ――シンシアに声をかけたこと。また、彼女を雇ったこと。それはリュファスにとって想定外の出来事だった。

 提案したのはリュファス自身なので、何を言っているのかと思うだろう。しかし普段のリュファスからしてみたら、とても激情的な行動だったのだ。


 だから後から冷静になったとき、王弟らしからぬ行動をした自分の愚かさに気づき後悔した。だが今更雇わないという選択はないと、リュファスは分かっている。王族であり魔術師だからか。彼は自分の発した言葉の重さというものを、最重要視していたのだ。


 シンシアがやってくる前日まで、眠れないほど悩んでいたと言ったら笑われるだろうか。

 雇い立てのシンシアに対して距離を取ってしまったのも、自身の愚かさに対する気まずさからだった。


 そう。あの日の行動は、普段のリュファスなら絶対に起こさないあり得ないものだったのだ。兄である国王の迷惑にならないように自分を律してきた彼であれば、名前こそ知っていたが調査をする前に出会った貴族令嬢を雇い入れるなんていうことはしなかったであろう。


「なんだかんだ言って、わたしも王家の血を引いていたんだな……」


 リュファスは思わず、兄である国王を思い出した。

 父である前国王もそうだったが、彼らは何かと突飛な行動を取りリュファスや王妃、また周囲の人間を驚かせていた。

 しかしこちら側にとってわけの分からないことでも、事が起きてみると大抵上手くいく。王家の血に流れる特別な感覚なのだろうか。きっと特殊な直感が備わっているのだと思う。


 それはリュファスにはない感覚だった。

 リュファスが王家から早々に去ろうと思ったのには、そういった理由もあった。疎外感があったのだ。


 だが、今なら父や兄がどんな気持ちで行動していたのかがよく分かる。

 今回リュファスがシンシアを雇ったのは、きっとその直感が働いたのだろうから。


 あの日の自分に、よくやったと言ってやりたいものだ。


 リュファスははやる気持ちを抑えたまま立ち上がり、二人分のお茶を用意し始めた。


 コンコンコンコン。

 ノックが四回。


 こんな時間に、正式なノックをするのなんて一人しかいない。

 それを聞き、ふわふわと漂っていたリュファスの意識が浮上する。


『リュファス様、シンシアです。入ってもよろしいでしょうか?』


 控えめながらもはっきりとした口調で入室許可を取ってくるシンシアに、リュファスは一言許可を出した。

 すると、いつもより数割り増しで楽しそうなシンシアが、箱を抱え入ってきた。


 箱の数は二つ。小さめのものと、背の高く大きなものが一つだ。


 ……二つ?


「パティスリーロマンティエのショートケーキ、ちゃんと確保できましたよ! 今お茶淹れますね! ……ってあれ、お茶の用意がもうできていますね……」

「ああ、用意しておいた」

「……リュファス様って……い、いえ、なんでもありません」


 口をつぐみつつ、シンシアがケーキの入った箱を次々開ける。

 そこから登場したのは、二つのショートケーキと――小さなシュークリームを積み上げたお菓子。


「……それはクロカンブッシュか?」

「はいっ! パティスリーロマンティエに行ったら売っておりまして……一目惚れしてしまいました。正餐会が終わったお祝いにと思いまして……あ、これはわたしのお金で買ったものですので!」

「……そんなこと、気にしなくてもいい。君が買いたいと思ったのだろう? それなら、わたしも食べたいからな」

「ち、違うんです! これは私が買って、私がお金を払って、それをリュファス様と食べるからこそ価値があるものなんですっ!」

「そう、か。なら……ありがたくいただこう」


 シンシアがあまりにも必死な顔をして言うので、リュファスは笑いを噛み殺しながら頷いた。


 確かに、クロカンブッシュはお祝いのときによく食べられるお菓子だ。地域によって傾向は違うが、誕生祝いやパーティー、結婚式などでも食べられる。一番多いのはやはり結婚式だろう。

 しかしシンシアは、なぜ結婚式でよく食べられるのか分かっているのだろうか。


 きっと知らないのだろうな。一目惚れしたと言っていたし。


 それがまたおかしくて、リュファスはそっと口をつぐんだ。リュファスに他人をいじる趣味はないが、シンシアに対してだけはどうにも悪戯心が湧いてしまうようだ。


 同時に、話していても何も変わらない態度に安堵する。


 正餐会の後に、わたしの暗い過去を話したばかりだったからな……彼女が気にしないか、それだけが心配だった。


 かなり酒を飲んでいたが、リュファスにはしっかりとあの夜の記憶が残っている。

 あれから一週間、すれ違っても何も変わらない態度で挨拶をしてくれていたが、それでも心配だったのだ。


 見知らぬ令嬢になら幾らでも嫌われていいが、シンシアにだけは嫌われたくなかったから。


 シンシアがせっせとケーキを皿に盛り、センターにクロカンブッシュを置いたり、とテーブルセッティングを進める。その向かい側に腰掛け、リュファスは彼女の顔を見つめた。


 何度見ても、平凡な女性だ。失礼だがそう思う。

 だけど、話をしていると不思議と和み、笑顔を見ると心が温かくなる。そんな女性だった。苦労も多かったろうに何故そんなふうにできるのか、後ろ向きな気持ちになることが多いリュファスには理解できない。


 だからだろうか。そこにどうしようもないくらい惹かれた。


 すると、リュファスの視線に気づいたシンシアがきょとんと目を丸くする。


「えっと、リュファス様。私の顔に、何か付いていますか?」

「いや、いつも通りだ」

「そ、そうですか。なら良かったです。……用意ができましたので、いただきましょうか」

「ああ」


 食前の祈りを捧げフォークでケーキを刺しながら、リュファスはシンシアの顔を盗み見た。


 ぱくりと、シンシアがショートケーキを口に含む。

 瞬間、彼女の顔がとろけそうなほど甘く緩んだ。


 リュファスは跳ねる心臓を抑えつけ、口元が緩むのを必死でこらえる。


 可愛い。ただひたすらに可愛い。


 本人はまったく気づいていないようだが、シンシアの表情は今まで見たどんな美女の笑みよりも可愛らしくリュファスの瞳に映った。

 頬を緩めたまま、シンシアは感動を口にする。


「美味しい……美味しすぎます……口の中で溶けて消えてしまったのですがっ」

「本当にな」

「もしやこれが雲……? と思ってしまう程度に、口の中から消えていきましたよ……」


 シンシアの言う通り、パティスリーロマンティエのショートケーキはとても軽かった。生地もそうだが、生クリームがとても軽い。そのためか、とてもさらっとした口当たりをしているのだ。

 いちごは、どうやら小さなタネの部分についているうぶ毛を取っているらしい。それもあり、余計に口当たりが軽やかなのだろうとリュファスは結論づけた。


 何故そう思ったのかというと、義姉であるエリスティーナが雇っている専属菓子職人が、そこまで気を配っている職人だったからだ。ついでに言うと、そういった知識をエリスティーナが教えてくれた。


 そこを指摘すれば、シンシアが目を輝かせてリュファスを見てくる。


「ショートケーキ、奥が深すぎます……!」


 そんなふうに言ってもらえたら、菓子職人のほうも嬉しいだろう。一度、シンシアと王宮専属菓子職人を会わせてみたいなと思ってしまった。


 ショートケーキが終われば、クロカンブッシュだ。

 シンシアはあっという間に平らげてしまったショートケーキを名残惜しそうに見つめていたが、クロカンブッシュに手を付けると一変、目を丸くした。


「シュー生地がサクサクしています」

「……ん? どうやら、三種類のシュー生地が混ざっているみたいだな。一つ目が普通のシュー生地、二つ目がクッキーシュー、三つ目がクッキーシューの上に砕いたナッツを乗せているみたいだ。シンシアが食べたのは、二つ目のやつだな」

「三種類です⁉︎ 一つのお菓子を買って、三種類の生地を楽しめるなんて、お得すぎませんかクロカンブッシュ……!」


 シンシアが感動しながら、他のシュー生地のプチシューをフォークで刺し頬張る。

 すると、シンシアがぷるぷると震え出した。


「リュ、リュファス様……中のクリームの味まで違います……!」


 早く、早く食べてください! と急かすシンシアに押されリュファスも食べたが、なるほど。確かに違った。シュー生地だけでなく中のクリームまで変えたクロカンブッシュを食べたのは、リュファスも初めてだ。


 普通のシューにはピスタチオクリーム、クッキーシューにはいちごクリーム、クッキーシューとナッツをちりばめたシューには、カスタードクリームが使われていた。


 緑色、ピンク色、卵色と、クリームの色だけとっても華やかだ。もしかして春を演出しているのでは? とリュファスが思うと同時に、シンシアも同じことを考えたらしい。


「……ハッ。確か商品名は、プランタンでした……まさか、この色で春を⁉︎」

「そうだろうな。どこの菓子職人も、色々と考えるものだ。味のバランスもいいし……これはいいな」

「そうですそうです! ピスタチオクリームが香ばしさ、いちごクリームが甘酸っぱさ、そしてカスタードクリームが濃厚さを持っていて、ついついぱくぱく口に入れてしまいそうになるんです!」


 そう言いながらも、一つ一つ噛み締めて食べているシンシアが、またおかしかった。どんなにこらえようと思っても笑みがこぼれてしまう辺り、やはりシンシアは何か特殊な魔法を使っているのではないだろうかと思ってしまう。


 本当に、こんなにも穏やかな気持ちで日々を過ごすのは、いつぶりだろうか。

 物心つく頃から周囲の顔色を窺いつつ生きていたリュファスにとって、シンシアと過ごすお茶の時間はかけがえのないものになっていた。


 彼女の雰囲気や態度のお陰で、リュファスはとても穏やかな気持ちでいられる。


 まるでお菓子のようだと、リュファスは思った。


 そう。リュファスにとってシンシアは、お菓子のような存在だった。苦しくつらい日常を乗り越えた先にある、わずかな逃避先なのだ。

 しかも、彼女とお菓子を食べると、一人で食べていたときの何倍も気持ちが和らぐ。


「ほらほら、リュファス様も食べてください。半分こですからね。どうやら二十個あるようなので、十個ずつです。……十個分の幸せが噛み締められるなんて……クロカンブッシュ、素敵なお菓子ですね」

「……ああ、そうだな。また今度食べよう」

「はい!」


 シンシアが満面の笑みを浮かべるのを見て、リュファスは目を細めた。


 本当に、シンシアにあの日声をかけて良かったと、リュファスは思った。

 それと同じくらい、この優しい日々が長く続けばいいと思う。


 シンシアにとって一番いいのは、借金を返済して領地に帰ることだ。それは分かっている。だからリュファスが考えていることは、彼女にとっては迷惑でしかないのだろう。

 リュファス自身も、自分の考えが傲慢だということは分かる。今彼が考えていることは、シンシアが不幸であり続けることを望むようなものだったから。


 しかし願わずにはいられなかった。



 ――シンシアと過ごすこの日々が、これからも続きますように、と。

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