13
正餐会後、シンシアは水差しとグラス、そして自分で焼いたクッキーをトレーに乗せリュファスの部屋に来ていた。
(他の使用人たちは皆、使用人屋敷のほうで楽しんでますから鉢合わせすることはなし、と。……リュファス様は結構、お酒を飲んでいましたが、大丈夫でしょうか)
デザートを食べ終えた後、数十分ほど男性だけでお酒を嗜む時間があったのだ。
使用人ですら締め出されるため中で何があったかは知らないが、かなりの量のワインが減っていたので気になった。
いくら酒が好きだからと言って、飲み過ぎるのは良くない。そのためシンシアは水を携え、開放感に浸る他の使用人たちの輪から抜け出してきた。
クッキーは、なんてことはない普通のバタークッキーだ。正餐会の準備をしていた合間に、使用人屋敷のほうにあるキッチンを借りて作った。
後日ちゃんとケーキは買うが、正餐会が終わった当日だからこそ何か甘いものが食べたくなるだろう。シンシアなりの配慮だ。
(私が作れるのは平凡なクッキーなので、お店の美味しいクッキーを食べてきたリュファス様のお口に合わない可能性もありますが……こういうのは、気持ちが大事ですからね! それにリュファス様ですから、きっと大丈夫なはずです!)
自分を励ましてはみたものの、不安は抜けない。シンシアはクッキーをじっと見つめた。
一つ摘まみ上げ、口に含む。
「……うん、普通においしいです。我が家の味ですね。だからこそ、不安です……」
そんな気持ちになりながらノックをすれば、中からぼんやりとした返事が返ってきた。
入れば、リュファスは正餐会のときの姿のまま長椅子に座っている。
その視線が焦点を結んでいないことに気づいたシンシアは、慌てて駆け寄った。
テーブルにトレーを乗せてから、床に膝をつき水差しから水を注ぐ。
「……リュファス様」
「……シンシアか」
「はい。お水を持ってきましたので、どうぞお飲みください。酔いが多少なりとも冷めるかと思います」
「そうか……ありがとう」
グラスを差し出せば、リュファスは素直に受け取る。
リュファスが水を一杯飲み切るのを見届けてから、シンシアは「執事長を呼んだほうがいいでしょうか?」と首をかしげた。
(執事長は確か、お酒を飲んでいませんでしたし……普段から、リュファス様のお世話をなさっていますし……私がいるよりも、執事長のほうが良さそうですね)
そう思い立ち上がれば、リュファスが腕を掴んできた。
「どこへ行くんだ、シンシア」
「執事長を呼んできますので、ご入浴なさってからお眠りください、リュファス様。お疲れでしょう」
「……いや、まだいい。もう少し、ここにいてくれ」
「……分かりました」
酔っ払っている割には受け答えもしっかりしているし、大丈夫だろう。
そう判断したシンシアだったが、リュファスのとなりに座らされた瞬間考えを改めた。
(ダメですこれ。完全に酔っ払っています)
なんと、リュファスがこてんと、シンシアの肩に頭を乗せてきたのだ。思わず肩に力が入る。
しかしリュファスがあまりにも穏やかな顔をしているため、毒気を抜かれてしまった。
肩の力を抜いたシンシアは、諦めて大人しく座ることにする。
「……今日の正餐会は、シンシアのおかげで上手くいった。ありがとう」
するとリュファスはポツリと、そんなことを言った。
「私など、大したことはしていませんよ。形にしたのはリュファス様です」
「だが、君がいたおかげで、均衡がなんとか保てていた場面もあった」
「……モンレー伯爵夫人が、食器を落としたときでしょうか? あれは、給仕係として当然のことをしただけです」
あそこでシンシアが動かなかったら、他の使用人が動いていたはずだ。だって動かなければ、リュファスの不評につながるからだ。シンシアはちょっと動くのが早かっただけ。
なのにリュファスは、シンシアのことを褒めてくれる。
「その当然のことを素早くしてくれたから、そこまでことが荒立たずに済んだんだ。……その気配りが、グラディウス卿の目を余計に引いたのが癪だが」
(あー……すっごく見られてましたね、そう言えば)
どうやらリュファスも、ギルベルトの様子を見ていたらしい。
あれは誰でも気になりますよね、とシンシアは頷いた。
リュファスは苦々しい顔をして呻く。
「正餐会が終わった後にあった酒の席でも、君のことを何度も聞いてきて……鬱陶しいことこの上ない」
「え」
「うるさいから、適当に酒を飲みながらやり過ごしていた」
(何しているんですか、あの方)
シンシアは思わず半眼になった。男性しかいない酒の席で、なぜシンシアの話題を口にする。
リュファスがこんなにも不機嫌になるというのだから、相当しつこかったのだろう。お酒が入っていたせいで無駄に絡まれたのかもしれない。
あのギルベルトが数割増しひどくなって絡んでくるとか、地獄だろうか。シンシアは本気でリュファスに同情した。
が、リュファスはシンシアの予想とは別のことを口にする。
「……シンシア、君は、グラディウス卿の屋敷のほうがいいか?」
(んん? なぜそのような話に?)
ギルベルトの顔を思い出したら、寒気がしてきた。
ギルベルトの屋敷で働き始めたら、今よりもっと絡まれるか、飽きて放置されるかの二択だろう。ギルベルトの屋敷の使用人たちとの関係がうまくいくとも限らない。考えただけで恐ろしい、未知の領域だ。
シンシアは若干強めに、首を横に振った。
「リュファス様のお屋敷で働いているほうが、何倍も楽しいです」
「……今の給料の五倍出すと言われてもか?」
「お給料の額は大変魅力的ではありますが……それよりもやはり、リュファス様とケーキの話をしたり、ナンシーさんやレティシアさんとおしゃべりしたり、他の使用人の方々とご飯を食べたりするほうが楽しいと思います。……それに私、グラディウス公爵閣下は苦手ですので、遠慮したいと言いますか」
毎日あの貴人に会うのは、ちょっと遠慮したい。さすがのシンシアも心が折れそうだ。
「……苦手? あのグラディウス卿を?」
「そんなに不思議でしょうか?」
「ああ。なんだかんだ言ってグラディウス卿は、令嬢や夫人たちに人気だからな。義姉上は、毛嫌いしているが」
「あー確かに、女性のことを慮る紳士的な態度を取る方ですからね……」
が、シンシアの意見としては逆だ。
「態度こそ紳士的ですが、あの方女好きではないと思いますよ。むしろ女性を見下すタイプだと思います。私の予想では、打算的でかなり狡猾な方なのではないかなあと」
あんな見た目をしていても、ギルベルトは独占派のトップだ。思考が偏っていても不思議ではないだろう。
女性を派閥に引き込むために、わざと女好きのふりをしている、と言われても違和感がない人物だ。マチルダの冊子にも「独占派には未亡人の夫人が入っている割合が多い」と記載されていたし、あながち間違いでもないと思う。
シンシアはナンシーから「中途半端に魔術が扱える女は嫁ぎ先が見つからなくなる」という話を聞いている。
男性主体が基本の貴族社会で、魔術を独占したいと思っている輩なら、女を見下していてもおかしくないと思ったのだ。
(女なんてころっと落ちるから楽とか思ってそうです。偏見ですが)
でも、女性貴族にもスポットがあてられ、権利を獲得し始めているのが現在の状況だ。今のうちから集めておいて損はないし、女性の情報収集能力の高さを買っているのかもしれない。
そういう意味では、ギルベルトは公平な人かもしれないなとシンシアは思った。
「……分かるのか?」
「分かると言いますか……予想ですけどね。断言はしません。ちょっと分析してみただけですよ」
「……驚いた。義姉上と同じことを言うのだな」
(あー。なら、合っている面も多いのかもしれませんね。それにしても、エリスフィーナ王妃殿下も同じ気持ちでいたとは……殿下があんなにもグラディウス公爵閣下を毛嫌いする理由が、分かったような気がします)
女性が活躍できる場を作るために活躍しているのは、エリスフィーナという女性なのだ。貴族令嬢が学園に通えるようになったのも、彼女の尽力があったからこそだという。
その成果を横から奪われるのは、エリスフィーナとしても面白くないはずだ。
(グラディウス公爵閣下ですから、わざとやっている可能性も高いですけどね‼)
ほんと性格悪いなと思う。エリスフィーナの逆鱗に触れないギリギリの線を攻めているのがまた、いやらしいと思った。
そういったことを簡単に説明すれば、リュファスが目を丸くする。それが新鮮で、シンシアはくすりと笑った。
「本当に紳士的な方は、いくら気になる人がいても、公衆の面前で声をかけたりなんてしませんよ。それって、相手を晒し者にする行為だと思いませんか?」
「確かに、そうだな。本当に気になるなら、相手に気を使うのが普通だ」
「はい。自身の行動が他人に与える影響を、グラディウス公爵閣下は良く理解しているはずです。なら、会う場所は人目に付かないところとか、話すときはリュファス様がくださったピアスのようなものを渡して、ひそかに連絡を取り合うのがいいと思うのです。グラディウス公爵閣下は魔術師ですし。そういった配慮もしつつ協力者を募り、自分たちの関係を認めさせるとか、グラディウス公爵閣下はやりそうです」
そう言えば、リュファスが一瞬顔をしかめた気がした。
あれ? とシンシアが思ったが、すぐにいつもの無表情(ポーカーフェイス)に戻ってしまう。
見間違いだったのでしょうかと考えていると、リュファスが低い声で呟いた。
「……つまりグラディウス卿は、新顔の君を辱めるためにわざと、あんなことをしたと?」
「あり得なくはないと思います。というか、そうです。絶対にそうです」
「そう、か……本当にそうならいいのだが」
使用人のことを心配してくれるなんて優しいな、とシンシアはほのぼのする。
(やっぱり、お仕えするならリュファス様のほうがいいです)
あんな、腹にどろどろしたものを抱えていそうな貴人より全然良い。
リュファスの良いところは、その人の良さを隠し切れていないところだとシンシアは感じていた。
「なんとか乗り切れて、本当に良かったです」
「そうだな……初めのほうはともかく、義姉上も後半に行くにつれて機嫌が良くなっていったし、今度会ったとき小言を言われないで済みそうだ」
「エリスフィーナ王妃殿下は……なんていうかその、強烈な方ですね」
ギルベルト相手に、まったく引く気がないプラチナブロンドの美女を思い出し、シンシアはそう言う。
微妙な顔をしているシンシアに何を思ったのか、リュファスは少しだけ笑った。
「そうだな。でも……兄上の妻になる人だから、あれくらいがちょうど良いんだと思う。国王になっても兄上を叱ってくれる人なんて、義姉上くらいだから……」
「王妃殿下、国王陛下のことを叱るのですね」
「ああ。兄上は、義姉上に叱られたら反省するし、国王である兄上のことを叱れる人は少ないから、ありがたいと思っている。わたしにはできないから」
「……リュファス様は本当に、家族思いなのですね」
言葉の端々から、リュファスが家族を大切にしたいと思っていることが窺えた。特に国王である兄のことを語るとき、尊敬しているような、そんな響きが聞こえてくる。
「……兄上は、わたしよりもすごいんだ。この人が国王になるべきだと、昔から思っていた……魔術しか兄上より優れている点がないわたしなど、到底及ぶまい。だから邪魔だけはしたくなかったのに……わたしにできたことは、できるかぎり人と距離を置くという、子どもだましだけだった。誰に対しても笑わないとかな」
「……もしかして、リュファス様に『笑わない貴公子』といった呼び名がついたのは……」
「ああ。そのせいだな」
リュファスは目を閉じて、ぽつりぽつりと語る。
――リュファスがまだ幼かった頃、彼は普通に笑える子どもだったそうだ。同世代の女性に対しても、優しく笑いかけていたらしい。
それが変わったのは、周囲が「リュファスに笑みを向けられたから、わたしがリュファスの婚約者にふさわしい」と争い始めた辺りだ。
「それだけならよかったんだが……わたしが全種族の精霊から加護を受け、どの魔術も一級クラスを使えることが分かってから、何もかもがおかしくなってしまった。派閥同士の争いに発展し、わたしを国王にと推す者たちが増えたんだ」
「……だから、笑うのをやめたのですか?」
「不器用だろう? グラディウス卿のようにうまく立ち回れたらよかったんだが、わたしはそこまで器用ではなかった」
「それは、リュファス様のせいではありませんよ……!」
シンシアは強く否定したが、リュファスは無言で首を横に振るだけ。どうやら、かなり責任を感じているようだった。顔色も青いし、表情もこわばっている。
シンシアが何より恐怖を感じたのは、そのざくろ色の瞳が光を宿していないことだ。
生気を感じさせない瞳に、シンシアの気持ちも焦る。
(な、何か、空気を変えられるものはないでしょうか……っ)
視線だけをあちこちにさまよわせていたシンシアは、テーブルの上に置いてあったクッキーに目をつけた。
(そうです、クッキー! ネガティブになったときはおなかが空いていることが多いですから、何か食べたら気分も変わるかもしれません!)
クッキーをがばりと掴んだシンシアは、リュファスの口元にクッキーを突きつけた。
「リュファス様! クッキーを焼いてきたので、食べましょう!」
「え……」
「食べましょう‼」
泣きたくなる気持ちをこらえながらクッキーを押しつけば、リュファスはおずおずといった様子でクッキーを口に含む。彼が咀嚼するのを、シンシアはじっと見つめた。
「……美味しい」
「ほ、本当ですかっ?」
「ああ。優しい味がする」
「そうですか、よかった……」
リュファスが美味しいと言ってくれたこともそうだが、彼の表情が和らいだことにもほっとした。今にも消えてしまいそうな、真っ青な顔をしていたのだ。
(ですが、今は笑みも浮かんでますし……無理矢理ですが、リュファス様の気持ちを変えることができたようです)
シンシアの努力は無駄にならなかったようだ。
そのついでに、話も大きく変えることにする。
「国王陛下は、リュファス様にとって良きお兄様なのですね。うちのお兄様とは大違いです」
「……シンシアの兄上は、どんな人だ?」
シンシアの強引な話の転換に、リュファスは乗ってくれるようだ。
シンシアは家族のことを思い浮かべながら、唇を開く。
「そう、ですね……マイペースで、オンオフの差が激しい人です。ですけど……私のことはすごく可愛がってくれます。ダメなところはたくさんありますけどね」
「そうか……仲が良いのだな」
「二人だけの兄妹ですからね。貧乏ですから、せめて家族仲くらい良くしたいなって」
リュファスが、きつく瞼をつむる。
「……シンシアのように、わたしももっと、兄上と仲良くできたら……」
ぽつりと呟かれた言葉は、感情を表に出さないリュファスの確かな本音だった。
だからだろうか。シンシアの胸につきりと刺さり、痛み出す。喉元に刺さった魚の小骨のように、痛みは胸に残り続けた。
「……派閥なんて、なくなってしまえばいいですね」
「ああ……なくしてみせる」
(ああ……この方は……やはり、王弟殿下なのですね)
リュファスは、シンシアのように他人事ではなく、自分が変えてみせると言った。今自分の身に起きていることに、ちゃんと向き合おうとしているのだ。それは、リュファスが毎年正餐会を開いたり、催し物に参加していることからも分かる。
主人とメイド。
王弟と貧乏伯爵令嬢。
その差は歴然で、こんなにも近くにいるのに遠い存在のように感じてしまう。
しかしそれが現実だった。
耐えきれなくなったシンシアは、長椅子から立ち上がった。
「もうこんな時間ですか。執事長を呼んできますから、今日はゆっくりお休みください。クッキー置いておきますので、良かったら食べてくださいね。……おやすみなさい、リュファス様」
「……ああ、おやすみ、シンシア」
ぺこりと頭を下げ部屋を出ていくと、胸が再びつきりと痛む。同時に、リュファスの姿が眩しいとも思った。
(できることなら私も、リュファス様のようになりたいです)
キラキラしたものに憧れてしまうのが、シンシアだった。
シンシアがリュファスのようになるためには、リュファスよりもっと努力しなくてはならないし、障害もたくさんある。
それでもシンシアは、憧れた。
(そのときは……今回みたいに逃げずに、リュファス様を支えられるようになったらな、なんて……思ったり)
なーんてね。
そう笑いながら、シンシアは一度振り向いた。
「……リュファス様を見習って、私ももう少し頑張ってみますか」
まずは借金返済から。
そう呟き、シンシアは使用人屋敷へと足早に急いだのだった。
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