12

 場所は変わり、正餐室。

 参加者十二人が、血統による爵位順に、男女交互に席に着く。


 それを確認してから、シンシアはナンシーと一緒に一度キッチンに引っ込んだ。

 キッチンに入ると同時に、裏方に徹している使用人たちが椅子を差し出してくる。

 それに座りながら、シンシアはふふふふふと壊れた人形のように笑う。


「もう嫌ですキッチンに引きこもりたい」

「気持ちは分かるけど、シンシア頑張って。ほんとお願いだから」


 また始まったばかりなのに疲れ切った様子の二人を見て、使用人たちがざわめき始めた。


「おい、なんか飲み物持ってこい! 温かいやつ!」

「膝掛け持ってきたからかけて! 体からまずあったまらないと!」

「二人ともしっかりー!」


(ふふふ……皆さんお優しい……)


 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる使用人たちの優しさが、心にじんわりと沁みてくる。疲労困ぱいしているシンシアたちに、その優しさは涙が出るほどありがたいものだった。

 それと同時に、あの地獄を思い出し遠い目をする。


(私なんで、あんなにもグラディウス公爵閣下に絡まれるのでしょう……)


 そう。玄関でのやり取りが終わった後も、ギルベルトは何かとシンシアを呼びつけ絡んできたのだ。


 そのときの楽しそうな顔ときたら! 相手があのギルベルトでなければ、男の急所を蹴り上げているところだ。少なくともこれで酒場の男たちは黙った。

 ギルベルトだけだったら、被害者はシンシアくらいだったと思う。


 ――しかしこの場には、エリスフィーナがいるのだ。


 ギルベルトがシンシアを呼びつけ絡むたびに、エリスフィーナが嫌味を言い場がギスギスするのだからやっていられない。まったく持って理解に苦しむ展開だ。

 それはナンシーも同じだったらしく、ぐったりと背もたれにもたれながら呻く。


「ギルベルト様、シンシア好きすぎでしょう……」

「好きというより、あれは遊んでません?」

「あ、うん。かもしれないわ。新しいおもちゃを見つけたみたいな感じ。シンシアの反応が新鮮だったからかしら」


 ナンシーは、淹れてもらったホットティーを飲みながらため息を吐き出した。

 しかしシンシアからしてみたら、その言葉は聞き捨てならないものだった。


「冊子通りに動いただけじゃないですかぁ……メイド長だって喜んでいましたし!」

「あ、うん。それはね。そうなんだけど。でもあの顔で見つめられちゃうと、誰しもポーッと一瞬魂持っていかれるものなのよ。シンシアはそれがなかったから、楽しくなっちゃったんじゃない?」


 確かに、あの美貌であの態度なら大半の女性が骨抜きになるだろう。ギルベルト自身、自分の顔がいいことを自覚してああいう行動をとっているはずだ。いや、確実に分かっていて悪意を振りまいている。


 だがシンシアにだって、好みはあるのだ。苦手なタイプ相手に、惚れるようなことはない。断じてない。


「うう……そんな理由、納得いきませんよう……」


 砂糖がたっぷり入ったミルクティーを飲みながら、シンシアは涙目になった。


 ミルクティーの甘さが体に染み渡る。美味しい。

 その上、キッチンの空気が温かくて体のこわばりがほどけていく気がした。皆、シンシアたちを心から心配しているからだろう。


 しかし休憩できるのは料理ができるまで。キッチンメイドが料理をカートに乗せてしまえば、悲しきかな戻らなくてはならない。

 シンシアはナンシーと一緒にカートを押しながら、気持ちを切り替えた。


(相手はお客様、お客様……私は壁の花、花、いや、野花。都会に珍しく、色気よりも食い気の野花がいるから面白がっているだけ……よし!)


 やけくそ気味の自己暗示をかけ、シンシアはいざ戦場に向かう。

 ――再び足を踏み入れた正餐室は、冷え切っていた。


(ひえっ)


 凍えている理由はもちろん、王妃エリスフィーナとグラディウス公爵ギルベルトによる会話のせいだ。


「グラディウス公爵のお召し物は黒ですのね。夜間にお会いしたら、誰だか分らなくなってしまいそうですわ」

「安心してください、王妃殿下。わたしは決して間違えたりしませんから。ええ、ええ。あなたほどの美貌の貴婦人を見間違えることなどありませんとも」

「……まあ、まあ。お上手ですこと。ですが、あまりそういうことばかり言っていますと……おおごとになってしまうかもしれませんわ。女の嫉妬は恐ろしいものですから、お気をつけくださいな」

「心配してくださりありがとうございます、殿下。あなた様にそんなふうに言っていただけるなんて、わたしは幸せ者ですね」


 ひゅう。

 気のせいだろうか。室内に凍えた風が吹いた気がする。初春なので夜間は冷えるということもあり部屋は暖炉で温められているのだが、おかしなことだ。


 口元にクリーム色のレース扇子をあてるエリスフィーナはちゃんと笑っているはずなのに、その目が笑っていないのがまたシンシアの恐怖をあおった。


(グラディウス公爵閣下は、王妃殿下を怒らせる天才なんでしょうか……)


 心の底からいらない才能だな、と思う。

 シンシアはカートをカラカラと押しながら、そっとため息を吐いた。


 ものすごく遠回しな言葉使いでギルベルトに嫌味を言っているエリスフィーナだが、見た目だけは本当に美しい美女なのだ。

 シンシアのような癖毛を持っているのに、手入れをしているからかつやつや。金色の瞳も勝気で、全体的に強かな印象を相手に与える女性である。


 気合を入れたのか、今日の姿もまばゆいほど美しい。

 プラチナブロンドの髪は綺麗に巻かれ、薔薇と真珠をあしらったバレッタで留められている。華やかな薔薇色のドレスを着ており、その場にいるだけで周囲の視線が自然と惹きつけられるような存在だった。


 そんな金髪美女と黒髪貴人が笑顔で睨み合っているのだから、社交界って恐ろしい。


 さらに言うなら、リュファスの無表情も冴え渡っていた。

 感情を一切排除した仮面のような無表情だ。


 それを見たシンシアは、リュファスが「氷華の騎士」「女泣かせの鉄面皮」と呼ばれていることを思い出した。


(リラックスしたリュファス様ばかり見ていましたから忘れてましたけど、外にいるときはあんな感じなんですよね、存在感がすごいです……ただ、ちょっと不機嫌にも見えます。私がいない間に何かあったのでしょう?)


 そんな三派閥の抗争を見た夫人方は、顔を青くして震え上がっている。これから食事なのに大丈夫だろうかと、シンシアは心配になった。

 シンシアは、向かい側にいるレイチェルに念を送ってみる。


(レイチェルさーん、何があったんですかー!)


 しかしそんな努力の虚しく、レイチェルはささっと給仕をしていた。念は届かなかったようだ。

 ちょっぴり残念に思いつつ、シンシアも他の使用人たちと手分けしてスープの皿を客の前に置く。


 執事たちが全員のグラスに食前酒を注ぎ一品目の給仕が終わると、リュファスがグラスを掲げた。


「本日はわたしの正餐会に集まっていただきありがとう。心ゆくまで楽しんでいってほしい」


 リュファスが乾杯、と声をかければ、他の参加者たちも乾杯と告げる。


 そうして、正餐会は始まった。

 シンシアは壁付近に佇みながら、食事をする貴族たちを眺める。


 彼らは笑顔で談笑しながらも、隙あらば何かしようと駆け引きをしているように見えた。ここで食器など落とそうものなら、即座につつかれることだろう。


 そしてそれは、使用人も同じだ。

 シンシアはマチルダの目配せによる指示に応じながら、料理をせっせと運んだ。


 ――動きがあったのは、コース料理も半ば過ぎた辺り。


 カチャーンと、甲高い音がした。


「あ……」


 食器を落としたのは、モンレー伯爵夫人だ。推進派の派閥にいる、まだ年若い夫人である。

 こういう場所に慣れていないのか、彼女は自身の失態に顔を青ざめさせた。


 斜め横に座るモンレー伯爵はそんな妻を見て、唇を噛み締めている。

 ここで下手に夫が助け舟を出すと、妻の立場が余計危うくなるのだ。モンレー伯爵夫人はまだ若いし、対立勢力の貴族からしたら格好の餌になる。

 そんな妙齢女性のささやかな失態に、独占派の貴族が食らいつく。


「これはこれは……」


 わざとらしく笑うのは、エインズワース侯爵だ。独占派の貴族で、土属性の二級魔術師である。ちょび髭と人を小馬鹿にした笑みが特徴的な、壮年の男性だった。

 シンシアはそれを眺めつつ、あらかじめ用意しておいた食器を手に取る。


「し、失礼いたしました」


 モンレー伯爵夫人が震えながら謝罪する。

 シンシアは早速、新しい食器をモンレー伯爵夫人の手元に置いた。落ちた食器を拾いすぐさま壁と同化する。

 可哀想だが、シンシアにできるのはこれくらいだった。


(頑張ってください……!)


 心の中でひそかに、モンレー伯爵夫人にエールを送る。年が近いからか、妙な親近感を感じてしまったのだ。

 しかしなぜだろうか。モンレー伯爵夫人の向かい側に座るエリスフィーナとギルベルトが、シンシアに対して視線を向けてくる。一目置かれた、ということなのだろうか。


(やーめーてーくーだーさーいー。特にグラディウス公爵閣下は、こっちを、見ないで、くだ、さい!)


 素知らぬ顔をしつつ、シンシアは遠い目をする。


(早く終わりませんかね、これ)







 デザートに到達したのは結局、正餐会から一時間半ほど経った頃だった。神は無常だ。


 デザートを取りにキッチンに来たシンシアのテンションは、既にだいぶ壊れている。


「やったーやりましたーやりましたよーレティシアさーん。終わります、終わり、ま、す!」

「落ち着いて、落ち着いて、シンシア……あわわわ……シ、シンシアがおかしくなっちゃった……」


 レイチェルだけじゃなく、他の使用人たちにも「シンシアがおかしく……」「正餐会怖い」「だ、大丈夫か? この後宴だから、それまで頑張れよ? なあ?」とシンシアを心配してくる。


 しかしこんなふうになることくらい許してほしい。じゃないとやっていられないのだ。


「なあ、レイチェル……シンシアに一体何が……」

「えーっと……ギルベルト様に遊ばれてる」

「え」

「ついでに言うなら、シンシアの細かいところに気を配れる性格が災いして、エリスフィーナ王妃殿下にまで一目置かれ出した」

「えっ。普段はものすごくありがたいのに」

「シンシアのおかげで、二度手間減ったもんな……」

「それが災いするなんて……シンシア可哀想……」


 褒められているはずなのだが、なんだか嬉しくなかった。

 これも、全部全部正餐会のせいだ。


(いいですもん、いいですもん。最後はこの素晴らしいデザートですもん。皆さん絶対にいい反応してくださいますもん!)


 やけくそになりながら、シンシアはデザートを乗せたカートを押した。

 最後の料理ということもあり、場の空気はだいぶ緩んでいる。ギルベルトが絡んでくる回数も減ったので、シンシアとしてはありがたかった。

 リュファスの前にケーキを置くと、彼は口元をナプキンで拭っている。


『シンシア、あと少しだ。こらえてくれ』


 そんなときだ。リュファスの声が、耳元に響いてきた。

 それが付けていたピアスから聞こえてきたものだということに気づき、シンシアは体を覆っていた疲労が吹き飛ぶのを感じた。背中に羽根でも生えたような心地よさだ。


(お気遣いいただき、ありがとうございます。リュファス様)


 胸にポッと光が灯るのを感じながら、シンシアは仕事を終えた。

 ケーキを覆っていたクロッシュを取れば、夫人たちが感嘆の声を上げるのが見える。


(そうでしょう、そうでしょう)


 シンシアは我がことのように嬉しくなった。


「今回のデザートは、我が家の料理人が作った創作菓子だ。白いほうをブリエ、黒いほうをフォンセ、という」

「なるほど……光の精霊女王と闇の精霊王を模して作ったのですね? 今まで見た中で、一番センスが良い菓子ですわ」

「ありがとうございます、王妃殿下。あなたにそのように言っていただけるとは思っていませんでしたので、大変嬉しく思います」


 リュファスの説明を聞いて、貴族たちが色めき立つ。

 そしてやはりというべきか。王妃はものすごく食いついてきた。

 ギルベルトも感心したように頷く。


「可愛らしい菓子ですね。とても美味しそうです」


 どれ。ギルベルトがそう呟き、ケーキを食べる。両方ともを一口ずつ食べた彼は、ふむふむと頷いていた。


「味の系統が全く違うので、飽きがこないですね。美味しいです」

「その辺りのバランスも考えられているのですね。わたくし、この菓子気に入りましたわ」


 エリスフィーナもこくこく頷くのを見て、シンシアの胸に温かいものが流れ込んできた。


(色々ありましたけど……最後に全て報われた気がします)


 見れば、ケーキを食べた人は皆笑っていた。

 派閥が違う者同士でも、ケーキの感想について話し合っている人もいる。それはシンシアにとっても幸せな空間だった。


 ――こうして正餐会は、良い空気を残したまま幕引きとなったのである。

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