10
正餐会前だが、だからこそ休日はちゃんとある。
リュファスとの秘密のお茶会を糧にマチルダの教育に耐えてきたシンシアは、外出するために身なりを整えていた。
「今日はいい天気ですし、上着はいらないでしょうか」
窓を覗き込み空が晴れ渡っていることを確認したシンシアは、数少ない洋服をベットの上に広げつつ呟く。
そんなときだ。
『…………シア。シンシア?』
「ひゃうっ⁉︎」
どこからともなく、リュファスの声が聞こえた。びっくりしすぎた彼女は、持っていたバスケットを盛大に落としてしまう。
『シンシア、いるか? いるなら返事をしてくれ』
「え、ど、どこから声が聞こえて……」
シンシアはそこではたと気づいた。
(そうです。テーブルの上に、以前リュファス様からいただいたピアスを置いていました……!)
そう。出会った頃、連絡用として借りたピアスだ。まったく使っていなかったので、すっかり忘れていた。
シンシアは慌てて、テーブルの上に駆け寄った。テーブルの上にぽつねんと置かれたルビーのピアスをつまみ上げ、シンシアはこっそり呟く。
「リュ、リュファス様……?」
ピアスに話しかけるという不思議な感覚を味わいながら、シンシアはごくりと息を飲む。一度使ったことがあるはずなのになぜだか緊張した。ピアスが高価なものだからだろうか。
『シンシア、出たか。良かった』
ピアスから響いてきたリュファスの声は、肉声と比べ少しだけ聞きづらい。聞きもらさないよう、シンシアはピアスを耳につけた。
「は、はい。何か御用でしょうか?」
『ああ。今日は、外で菓子を買わなくていい』
「……へ?」
『直ぐにわたしの部屋に来てくれ』
リュファスの言う通り直接リュファスの部屋に来たシンシアは、四回ノックを鳴らした。
「シンシアです」
『入ってくれ』
「はい」
いつもと同じように入室したシンシアは、長椅子に座りくつろぐリュファスを見てぺこりと頭を下げた。
「礼はいいから座りなさい」
「は、はい」
リュファスに促され、シンシアは向かい側の長椅子に腰掛ける。
普段ケーキを広げているテーブルには、クロッシュと呼ばれるドーム型のカバーとティーセットが置いてあった。
クロッシュがあるということは、中に何か食べ物が入っているということだろう。
(何が入っているのでしょう……)
シンシアの予想としては、ケーキだ。リュファスがケーキを買ってこなくてもいいと言った理由から推測した。
どんなケーキが出てくるのだろう、とそわそわしていると、リュファスがクロッシュの取っ手に手をかける。クロッシュが持ち上げられた。
「あ……わぁ……っ‼︎」
両手のひらを胸元で合わせながら、シンシアは大きく目を見開いた。
そこには二つのケーキがあった。
楕円形の皿にワンプレートになるよう盛られている。ケーキのサイズが一般的なものよりも小さいのは、二つあるからだろう。
一つ目は、ドーム型の白いケーキだった。
ケーキの下のほうにはピンクと白の生クリームがデコレーションされており、まるでフリルのようだ。トップには薔薇の花を模したいちごが飾られている。そのいちごを囲うように、飴細工で作られたティアラがちょこんと乗っていた。可愛らしくも品のある素敵なケーキだ。
二つ目は、円柱型のチョコレートケーキだ。
こちらの方は断面が見えており、ビスキュイやガナッシュなどが何層にも重ねられていることが分かる。思わず吐息してしまうくらい美しい断面だった。目立つのは、トップに乗せられたクラウンと金箔、銀箔だ。飾りと呼べる飾りはそれだけ。しかしどことなく貫禄があるように見える。
「リュファス様、こ、これ、これ……!」
シンシアは感極まった。感動しすぎたせいで、言葉がうまく話せない。どうしたらいいのかさっぱり分からなかった。
しかしこれは確かに、シンシアがイメージ図を描いたケーキだ。
見るからに興奮しているシンシアに、一目見て気づいたのだろう。リュファスは緩く笑みを浮かべる。
「ああ。シンシアが案を出してくれたケーキを、料理長が作ってくれた。良いデザインだと褒めていたよ」
「ほ、本当ですか⁉︎」
「もちろんだ。今日はこのケーキの味見をしようと思って呼んだ。シンシア。ケーキの見た目はどうだ?」
「最高です! 私の貧相なイメージとは、比べ物にならないくらい完成度が高いです‼︎」
テンション高めに叫ぶシンシアを見て、リュファスはくすくす笑った。
「なら、次は味だな。一緒に食べようか」
「はい!」
うきうきした気持ちを頑張って抑えつつ、シンシアはフォークを持った。
ごくりと生唾を飲み込み、食前の祈りを神に捧げる。
どうやらリュファスは、先にシンシアに食べさせてくれるらしい。
その厚意に甘え、シンシアはフォークを震わせながら白いほうのケーキをすくった。
勢いをつけてぱくりと頬張り、咀嚼し、そして動きを止める。思わず、口元に手を当ててしまった。
(お……美味しい、です……!)
白いケーキは、ただのショートケーキではなかった。
スポンジ生地の間に挟まっているのは、ホワイトチョコクリームとラズベリージャムだろうか。コクと甘酸っぱさがプラスされている。
いちごは小さくカットされており、食べたとき均等になるようになっていた。
生クリームも軽く、全体的にふわっとしている。しかし軽すぎないよう、ギリギリのところで調節してあるようにシンシアには思えた。
「生クリームもスポンジ生地も軽くてふわふわですが、ホワイトチョコソースとラズベリーソース、いちごがいいアクセントになっています。小さいですが、一口食べただけで幸せになれるケーキですね……」
「……すごいな、シンシアは。入っているものを全て言い当てるとは。それを聞いたらきっと、料理長も喜ぶ。……こっちも食べてくれ」
「はい、いただきます」
リュファスがチョコレートケーキのほうをフォークに刺して渡してきたので、シンシアはいつものノリであーんと口を開き、ぱくりと口に含んだ。
「こっちは、白いほうと比べるとすごい濃厚ですね……」
生地は二種類使われているのだろうか。一つ目はしっとりしていてほのかに苦く、二つ目はサクサクしていた。
間にはチョコレートガナッシュとキャラメルクリーム、細かく砕いたアーモンドが挟まっていて、食感の違いが楽しい。
表面に塗られたチョコレートクリームは濃厚で、すべてを綺麗にまとめてくれた。
「サクサクした食感と濃厚なクリーム、軽やかなガナッシュが調和していて、すごく美味しいです。ですがこの生地は……二種類ありますよね?」
「ああ。一つ目はモカシロップに浸したもので、もう一つはアーモンドパウダーを生地に混ぜ込んで焼いたものだ。サクサクした食感が楽しいだろう?」
「はい。すごく大人の味がするのに、遊び心があって……重厚な味がします。白いほうとはまた違った楽しさのあるケーキで……これを両方食べれるなんて、幸せですね」
シンシアは頬に手を当て、うっとりした。
この二週間でここまで完成度の高いケーキを作れるなんて、さすが料理長だ。料理だけではなく菓子まで作れるなんて。
一人自分の世界に入り込んでいるシンシアを眺めながら、リュファスもケーキを食べる。彼は満足そうに頷いた。
「……うん、美味しい。この味でこの見た目なら、義姉上(あねうえ)に文句を言われることもなさそうだ」
「エリスフィーナ王妃殿下がいらっしゃるんですよね。王妃殿下が監修をされたという社交界にデビュタメントで参加しましたが、どれも本当に美味しかったです……どのケーキもキラキラ綺麗なのに甘くて、美味しくて……」
「そうか。シンシアは義姉上のこだわりを知っているのだな。そうなんだ、だから以前までは『味は良いのにデザインが地味』だと文句を言われていて、料理長が落ち込んでいてな……今年は何を言われるのかと戦々恐々していたんだ。だから本当に助かったよ、シンシア」
料理長が不憫で、シンシアは涙を浮かべた。がっしりした体をした四十過ぎの男性で、ものすごく人がいいのだ。
そのせいか、シンシアが来た当初はかなり世話を焼いてくれた。毎食の量が多くて食べきれず、男性使用人におすそ分けをしていたら、マチルダが「女性の食べる量を考えなさい」と叱っていた。叱られてしょぼくれる姿は、体の大きさに似合わずちんまりとしていたのをよく覚えている。
動物に例えるなら、外見は熊、中身は犬だろう。感情表現がとても豊かなのだ。
そんな料理長が喜ぶ姿を思い浮かべ、シンシアは嬉しくなる。
「そんな。私としましては、自分の理想がこんなふうに形になるだけで幸せですから。味見もさせてもらえましたし!」
リュファスに会ってから幸運なことばかり起きる。
大変なこともあるが、なんだかんだ頑張れているのはリュファスのおかげだった。
(もしかしなくても、リュファス様は幸運パワーなるものを持っているのでは?)
シンシアは、心の中でリュファスを拝む。
「どうかしたか、シンシア」
「いえ、なんでも」
不思議がられたので、にこりと笑って誤魔化した。
リュファスはいまだに首を傾げていたが、「ああ、そうだ」と思い出したように呟く。
「このケーキに名前をつけようと思うのだが、何がいいだろうか。それをシンシアに相談したかったのだ」
「名前ですか。重要ですね……」
創作ケーキにつける名前は様々だ。
作った菓子職人の名前をつけるパターンもあれば、作られた土地や場所の名前がつけられることもある。その菓子が領地の名物として有名になれば、経済が発展することにもつながるのだ。
ただ、今回提供するのは正餐会。しかも王弟であるリュファスの正餐会ともなれば、とても注目されているはずだ。他の貴族たちが後から噂をして伝播してくれるような、インパクトがあり覚えやすい名前がいいだろう。
うんうんと悩んだ結果、シンシアの頭に浮かんだのは二つの名前だった。
「……ショートケーキのほうをブリエ、チョコレートケーキのほうをフォンセ、にしたらいかがでしょう?」
「精霊女王ブリエと、精霊王フォンセから取ったのか」
「はい。安直かもしれませんが……そこから思いついたものですので」
精霊女王ブリエと精霊王フォンセは、この国で生きる人間なら誰でも知っている。子どもが読むようなおとぎ話に何かと出てくるからだ。
知名度の割にイメージが定まっていないのは、精霊という存在があまり身近ではないからだ。そのため、創作家によって色々な精霊女王と精霊王が生み出されていた。そういった本だけは揃っていたので、シンシアにも馴染み深いものだ。
しかし魔術師たちの間では、羨望の眼差しと崇拝の心を向けられている精霊たちのトップでもある。
そんな精霊たちをかたどったケーキを、全種族の精霊に愛されているリュファスが正餐会で提供したとなれば、貴族たちは口々に噂を広めることだろう。それは権威を示すことにもつながるはずだ。リュファスの不安定な立場を、少しばかり落ち着かせることができるのではないだろうか。
この数分で色々と考えに考え抜いた結果、シンシアはそう結論付けた。
「今回来賓する方々を全員確認しましたが、魔術師の方が多くいらっしゃいました。ですから、ブリエとフォンセの名前をつければ話題になりやすいのではないかと思います」
「確かに。すでに知っている名前を使えば、ケーキの名前も覚えやすいし……よし。ブリエとフォンセにしようか」
「わあ、ありがとうございます!」
「こちらこそありがとう、シンシア。君のおかげで、今年の正餐会はどうにかなりそうだ」
ほっと息を吐き穏やかな表情を見せるリュファスを見て、シンシアは心配になった。
(ここ数日、リュファス様遅くまで起きていらっしゃったみたいですし、顔色もあまり良くありません。……休んでいただいたほうが良いでしょうか?)
シンシアが与えられている使用人部屋からリュファスの部屋が見えるのだが、夜遅くまで明かりが付いていることがよくあるのだ。
シンシアはほぼ毎日、ナンシーとレティシアと一緒に勉強会を開いているので、自室に戻るのは十時過ぎだ。それ以降も起きているのだとしたら、かなり疲れているはず。
「……リュファス様。お顔色が悪いようですから、あまり無理なさらないでくださいね」
シンシアの言葉を聞いて、リュファスは目を瞬かせた。
リュファスは自分の顔に何度か触れたり、頬をつねったりしている。なんだかとても驚いているようだった。
「……わたしはそんなにも、疲れた顔をしているだろうか」
「えっと、私から見たらそう見えると言いますか……」
シンシアはぽりぽりと頬を掻いた。どう説明したらいいのか、分からなかったのだ。
慎重に言葉を選びつつ、彼女は口を開く。
「おそらく、他の方はそんなに気づいていないと思います。私どうやら、昔からそういうことに気づくのが早いようなので」
微妙な空気を醸し出す家庭環境にいたせいか。シンシアは相手の顔色を窺うのが得意だった。祖父と母親の対立を中和していたのも彼女だったりする。
ただこんな家庭事情を打ち明けても仕方ないので、その辺りは徹底して伏せることにした。
リュファスの様子を窺ってみたが、気づいていないようだ。それに少し安心する。
「……申し訳ありません、リュファス様。余計な気遣いをしてしまって」
「いや……構わない。ただ、そんなふうに言われる経験が少ないから、少し驚いた。わたしはこの通り、表情があまり動かないからな」
ケーキがあると別ですよね、という言葉は飲み込んでおく。
「正餐会前の大事な時期ですから、お体には気をつけてくださいね」
「……ありがとう、シンシア。やるべきことは終わらせたから、今日は早めに休もうと思う。……君にそう言われると、なんだか頷いてしまうな」
「そんなに怖かったでしょうか?」
「いや、なんだかこう……優しく言われるからこそ、かな」
「家族にも言われます、それ。私自身は何故そう言われるのかよく分かっていないのですが、リュファス様が休んでくださるなら、この特技も捨てたものではありませんね」
そこでシンシアは、はたと気づいた。
「そうです。私、リュファス様にお返しするのをすっかり忘れていまして……こちら、ありがとうございました」
ポケットに入れておいたピアスと小瓶を取り出し、テーブルに置く。
高価なものなのでピアスはハンカチに包んでおいたが、管理がずさんだったかなとビクビクする。
しかしリュファスはそれを咎めることなく、首を横に振った。
「シンシア。それは君が持っていてくれ」
「え、です、が」
「連絡をするときに便利だから、できるなら普段からつけておいて欲しい。今のところ他の使用人たちと鉢合わせたことはないが……もしもがあるかもしれないから」
「な、なるほど。確かに」
シンシアも気をつけているので他の使用人たちに出会うことはないが、万が一があっては大変だろう。リュファスの秘密がばれれば、契約違反にもなってしまう。
シンシアは、ピアスを見つめた。
赤い石を使っているので少し目立つが、かなり小粒だ。これくらいの大きさのピアスなら、マチルダも咎めないだろう。ナンシーやレイチェルだって、ピアスをつけたまま仕事をしていたし。
リュファスが何か言いたげな目でじーっと見つめてきたので、シンシアはピアスを手にした。右耳につければ、リュファスが満足そうに頷く。
「わたしもつけておこう。……お揃いだな」
シンシアと同じようにピアスをつけてから、リュファスは微笑む。
シンシアは思わず固まった。
(こ、これは……冗談なのでしょうか。いやいや、リュファス様はそういう冗談を言わない方でしょうし……となると、意図せず、無意識に?)
そうです、無意識です、とシンシアは自分に言い聞かせた。
メイドという立場でなかったら勘違いしているところだった。困ったのでとりあえず笑みを浮かべておく。
美形が微笑みながら「お揃い」という言葉を使うと、こうも心臓に悪いとは思わなかった。
(落ち着きましょう、シンシア。リュファス様がかっこいいのは元からです。ケーキを食べてるときが可愛いのも今更です。だから、落ち着きましょう……落ち着くのです……!)
嫌な汗がダラダラと流れる。
耐え切れず離席しようかと思っていると、リュファスが首をかしげた。
「シンシアのほうは、無理をしていないか? マチルダの指導はかなり厳しいだろう」
「た、確かに厳しいですね。最近は少し慣れてきましたが……」
「そうか。君たち使用人にも迷惑をかけるな。上位貴族というのは、使用人たちの質を見て主人の器量を見定めたりするんだ。マチルダが張り切っているのはおそらく、そのせいだと思う」
「なるほど。田舎に引きこもっているので、その辺りまったく知りませんでした。ですがそれでしたら、メイド長が意気込むのも仕方ありませんね。だってこの屋敷の使用人の方々は皆、リュファス様のことを大変尊敬されていますから。もちろん私も、リュファス様のお屋敷で働けて良かったと思っています。とても良い職場です」
「……良い主人だと思ってもらえているなら何よりだ。皆には、わたしの微妙な立場のせいで、苦労ばかりかけているから」
その言葉から、リュファスがどれだけ立ち位置に慎重になっているかが窺えた。
(私はナンシーさんやレティシアさんに聞きかじったことしか知りませんが……心を許せる相手は少なかっただろうな、ということだけは分かります)
派閥が生まれたのはリュファスのせいではないのに、どうしてここまで苛まれ続けなくてはならないのだろうか。
シンシアには理解できなかったが、それが王族なのだと言われたら口をつぐむしかない。
「大丈夫です、リュファス様。我ら給仕役一同、上手くやります。冊子も暗記しましたし、礼儀作法に関してはメイド長からお許しが出る程度には完璧ですので。私、リュファス様のお心の安寧のためにも頑張ります!」
だから、シンシアに言えるのはそれだけだ。
「そう、か。……頼もしいな、シンシアは」
「えへへ。根性が一番の取り柄ですから。あ、正餐会が終わりましたら、王都一のパティスリーロマンティエのケーキ、食べましょう! 私、早朝から気合いを入れて並びますので!」
ご褒美、大事! とシンシアが拳を握り締め熱弁すると、リュファスがきょとんとした顔をした。
しかしすぐに破顔し、くすくす肩を揺らす。
「それはいい。楽しみにしておくよ、シンシア」
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