さくさく、さくさく。

 ぱらぱら、ぱらぱら。


 クッキーを食べる音とページをめくる音が、ナンシーの私室に響く。


 時刻は午後八時頃。

 外はすっかり暗くなり、仕事を終えた使用人たちがちらほらと就寝に入る時間だ。


 そんな中シンシアたち正餐会給仕役メンバーは、眠気と疲労を耐え忍びながら分厚い冊子と格闘していた。


「……やばい、眠い……それと、甘いものが足りないわ……頭から情報が溢れそう」

「やめてよナンシー、そういうこと言うの……ただでさえ疲れてて、読むたびに目が滑るのに」

「まあまあ……」


 シンシアは、やつれ気味のナンシーとレイチェルをなだめた。


 しかしシンシアとしても同意見だ。マチルダのしばきの後に分厚い冊子を暗記するのは、大変骨が折れる作業だった。眠気でうとうとしてしまい目が滑る。

 しかし、正餐会まで残り二週間だ。泣き言を言っている暇はない。


 そのため、三人はこうして仕事終わりに集まり、一緒に勉強しているのだ。一人でやったら寝てしまう自信があった。


 そのときのお供は、各々が休日に買い込んだ菓子と紅茶である。シンシアはもちろん奢られる側だ。餌付けされまくってる。

 この勉強会で食べるお菓子とジルベール公爵邸の美味しい料理により、シンシアの痩せ過ぎていた体にも少しだけ肉が付いた。お陰様で普通と呼べるくらいにはふっくらしてきた。

 眠気覚ましの紅茶を飲みながら、シンシアは目をこする。


(うー……目がしぱしぱします)


 欠伸を噛み殺しながらも、目で文字を追っていく。

 シンシア同様に眠そうにしながら、ナンシーがため息をついた。


「毎回、派閥の代表としてくる人は同じなのだけれど、それ以外の人が入れ替わるから、全然覚えきれないのよね……」

「派閥のトップは変わらないのですか」

「そうだよ」


 ナンシーとレイチェルが頷くのを見て、シンシアはぺらぺらとページをめくる。


「ええっと……推進派の代表は、エリスフィーナ・マリカ・シヴァンヌ・ランタール=エイリーチア様。独占派の代表は、ギルベルト・ドゥーカ・グラディウス=ディザシーイス様、ですか。……って、エリスフィーナ様って王妃様では⁉︎」

「うん、そう」


 ナンシーが少しだけ目を細めながら頷く。

 シンシアはそこで、はたと気づいた。


(あれ……確かエリスフィーナ様って……私が社交界デビューしたときに、あの素晴らしいケーキたちを菓子職人たちと一緒に考え抜いた、お菓子愛が強い方では⁉︎)


 そう、そうだ。エリスフィーナは食に対するこだわりが尋常じゃなく、その中でもお菓子への情熱がとても熱い人なのだ。

 今開いている冊子にもエリスフィーナに関する情報が書いてあるが、その大半が食に関することで逆にびっくりする。


(ですが、社交界デビューの際のお菓子ラインナップを思い返せば、それも当然ですね)


 社交界デビューした際の素晴らしい光景を思い出し、シンシアはうっとりする。

 今思い出しても、あれは本当にすごかったのだ。


(会場だけじゃなく、参加していた人皆さん綺麗な格好をしていて目の保養でしたが……何より素敵だったのは、大きなテーブル一面に並べられたケーキですよ!)


 置いてあったケーキは、食べる相手が正装の貴族だということもあり、腹部に負担がかからないよう大きさはどれも小さめだった。そこからしてみても、客人への配慮が窺える。


 ショートケーキ、チョコレートケーキという王道だけでなく、チーズケーキやパイ、タルトなど、種類が豊富に揃っていたのも好印象だった。

 そして肝心のケーキにも、菓子職人の技術が集結していた。


 それは、ショートケーキ一つとってもそれは比べ物にならない。

 スポンジ生地の厚みから生クリームの比率、いちごの薄さ……何から何まで考え抜かれたケーキだったのだ。あれ以上のケーキはいまだに食べたことがない。

 その美味しさのせいで、シンシアは社交界デビューしたにもかかわらず、一人ケーキの味を楽しんでいた。


 兄と踊った以外は誰とも踊らなかったデビュタメントだったが、満足したのを今でも覚えている。

 付いてきてくれた兄には「シンシアらしいなあ」と笑われたが。


(だって美味しかったんですよ……!)


 そんなことを思い出していると、ナンシーがため息を吐き出す。


「立場的に言えば、リュファス様の義理の姉君ね。国王陛下が来られたら大変なことになるから、こういう場には王妃様がよくいらっしゃるわよ」

「独占派のギルベルト様は、三大公爵の一つ、グラディウス公爵家の若きご当主様だしねえ。しかも、ギルベルト様女性キラーだから……シンシア、いい? ギルベルト様には極力近づかないこと!」

「そうだよ、シンシア! あの方絶対シンシアのこと気づくだろうから! 初めて見る女性のこと気づかないとか、あのギルベルト様に限ってないから! シンシアみたいな純情そうな子を狙ってリュファス様を攻略してこようとする可能性高いから、絶対気をつけてね⁉︎」

「は、はい……」


 ナンシーとレティシアが鬼気迫る様子で近づいてきたので、シンシアはのけぞりながら頷いた。

 同時に、グラディウス卿は一体どんな方なのでしょうか? と心配になる。


 しかし聞いても「会ったら分かる」「人のような見た目をした形状しがたい何か」としか言われず、謎は深まるばかりだった。


 パラパラと冊子をめくりギルベルトの箇所を開いたら、赤文字で「触れるな近づくな危険! 特に女性使用人は警戒すべし!」と赤字で書かれている。マチルダが書いたのだろう。


(メイド長にまでここまで言われるなんて……どんな人が出てくるのでしょうね)


 おそるおそる先を読み進めていたシンシアは、「女性を虜にする危険人物」「話したら最後、ペースを乱してくる悪魔」「リュファス様の敵」といった文を読み、目を瞬かせた。


 というより、正餐会に参加する他の来客情報と比べるとかなり主観が入っている気がするのだが、それはいいのだろうか。主観が多すぎて、逆にイメージが固まらないのだが。


(と、とりあえず……女好きな方なのでしょうか?)


 印象をまとめてみた結果、そんなイメージになった。

 そのせいか、ものすごくヘラヘラした軽薄そうな男が頭に浮かびシンシアは微妙な気持ちになる。


(で、ですが魔術師様ですし……お会いしてみたい気持ちは変わりません!)


 シンシアは気持ちを切り替えるために、冷めた紅茶を口にした。

 ナンシーとレティシアはすっかり集中力が削がれてしまったのか、おしゃべりを始めている。


「今年はどうなるのかしら……」

「どうせ今年も、一触即発でしょう」

「火ぶたを切るのはやっぱり王妃様?」

「かなぁ……リュファス様も不憫だから、そろそろ抑えてほしいよね、もう」


 レティシアもため息をこぼすのを見て、二人の苦労が窺えた。

 シンシアは王妃、王弟、公爵が火花を散らす正餐会を想像してみる。


(お菓子好きな王妃様とリュファス様……もしかしてお二人は気が合うのでしょうか? それにお三方とも一級魔術師ですし……ああ、大変です、お祖父様に嫉妬されてしまいます……!)


 しかしリュファスの秘密をバラすわけにはいかないので、シンシアは『お菓子好き』という言葉をぐっとこらえ、魔術の部分だけを口にする。


「一級魔術師が三人も集まるだなんて、すごい空間になりそうですね……私ちょっと、テンションが上がってしまいそうです……っ!」

「シンシアブレないね?」


 レイチェルが呆れた顔をして目をこすっていたが、シンシアの意識は覚醒した。

 好きなことに対する熱の入りようが他人よりも激しい彼女は、目を皿のようにして文字を追い始める。


(仕方ないじゃないですか。夢見がちだと言われても、好きなものは好きなんですからっ)


 興味があるものに対する執着の強さは、残念なことに血筋だ。オルコット家の人間には大なり小なり、そういう人間が生まれる。シンシアの場合は、魔術大好きな祖父と植物を愛している父の両方から影響を受けてしまったのが、主な原因だろう。


 すごいスピードで冊子を読み進めるシンシアを見て、ナンシーとレイチェルは顔を見合わせる。


「……あたしたちも、もうひと頑張りしようか」

「そうだね、ナンシー」


 そして二人は集中するシンシアに釣られて、冊子を読み進めていったのだった。

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