つらくて苦しい特訓を終えた後にはご褒美が待っていると、相場で決まっている。


 そんなわけでシンシアはメイド契約時の約束通り、ケーキを買いに行くことになっていた。


(えへへ、旦那様命令ということで、お休みを頂いてしまいました。それを伝えてきたメイド長の顔が顔がかなり怖かったですけど、ケーキの代償ですからね、これくらいは当然です!)


 どうやらシンシアには、リュファスの休日と同じタイミングで休みが入れられているらしい。


 マチルダの「明日から、みっちり教育しますからね」という言葉を思い出し震えたが、自分には美味しいご褒美があるということを思い出し拳を握り締めた。


(どこのケーキがいいでしょうか。せっかくですし、二店舗くらい回ってケーキの食べ比べなんかしたいのですが、旦那様は喜んでくれるでしょうか?)


 リュファスのことだからきっと喜んでくれるだろう。あの日のような笑顔が見れたら、シンシアもまた頑張れるような気がするのだ。

 正餐会に向けた教育という名のしごきにだって、耐えられるはずだ。おそらく。


 ここ二年の間で何十件もケーキ屋を巡ってきたシンシアは、それらの記録をしっかりとノートにまとめている。イラスト付きだから思い出しやすいのだ。我ながらしっかりしたノートを作ったものだと思う。

 出かける前にノートとにらめっこしたシンシアは、自分のお気に入りの店舗を見繕った後ノートを勢い良く閉じた。パンッ! という音は、気合いを入れるためのものだ。


(今回買うものは、旦那様のケーキとナンシーさん、レイチェルさんと一緒に食べるお菓子! 旦那様をお待たせしないためにも、早く終わらせないと!)


 財布をしっかりと握り締め、シンシアは戦士のような気持ちで町へ繰り出したのだった。







 コンコンコンコン、ノックは四回。それが、入室の際のマナーだ。


「旦那様、シンシアです。入ってもよろしいでしょうか?」

『……いいぞ』


 許可をもらえたので、シンシアはドアノブをひねる。

 私室にいても、リュファスは執務机に向かい何か書き物をしていた。

 休日なのに書類整理だろうか。大変だな、とシンシアは思う。


「あの、お邪魔でしたら時間をずらしますが……」

「……いや、いい。もう少しで終わるから、そこの長椅子にでもかけていてくれ」

「はい」


 こちらを一度も確認せず机に向かうリュファスの邪魔にならないよう細心の注意を払い、シンシアは大きなバスケットを長椅子に置いた。

 手にしていたポットはテーブルに置く。中にはお湯が入っている。流石にこればかりは、バスケットに入れられなかった。

 バスケットにしたのは、他の使用人の目を避けるためだ。


(旦那様が直ぐに食べられるよう、準備しておきましょう)


 バスケットから皿やケーキの入った箱を取り出し、並べる。そして、もともとテーブルに置いてあったポットに茶葉を入れてお湯を注いだ。


(前ケーキを食べたときもポットがありましたし、ここに置いてあるものなのでしょうか。とてもいい品です。紅茶も有名店の茶葉ですし、さすがジルベール公爵閣下ですっ。せっかくのケーキですからね。美味しい紅茶かコーヒーがないと、やっぱりつまらないです)


 前回もリュファスは紅茶を飲んでいたので、おそらく紅茶が好きなんだろう。そんなところもシンシアと同じなので、なおのこと共感する。

 るんるんと体を揺らしながら準備を整えると、カタンと音がした。リュファスが立ち上がったようだ。


「……オルコット嬢。君はどうして、休日なのにメイド服を着ているんだ」

「……へ?」


 カップに紅茶を注いでいたシンシアは、固まった。


「いえ、その。旦那様にお会いするなら、この格好のほうが良いのかと思いまして」


 タウンハウスに戻ってから慌てて着替えたのだが、何かおかしかったでしょうか? とシンシアは思う。

 リュファスはしばし憮然としていたが、諦めたように歩きシンシアが座る長椅子の向かい側に座った。


「休日なのだから、わたしに気を使う必要なんてない」

「は、はい」


 シンシアは、リュファスに言われたことを頭の中のメモ帳に書き込んだ。

 そこで、不自然な沈黙が落ちる。


(……旦那様の様子、やっぱりおかしい……でしょうか……?)


 初めて会ったときよりもよそよそしい態度が、リュファスからは感じられた。

 勝手に同志だと思っていたのだが、違ったのだろうか。内心しょんぼりする。

 無表情なリュファスの様子をちらちらと窺いながら、シンシアは買ってきたケーキの説明をする。


「えっと……今日は『パティスリー・ラパン』と『パティスリー・コレラッタ』のいちごのショートケーキとチョコレートケーキを買ってきました……せっかくですし、食べ比べなんかをしたいなーと、思いまして……」

「……ああ」


(うぐぐ……心の距離が開いた気が……)


 ピリピリした空気に堪え兼ね、シンシアはフォークで『パティスリー・ラパン』のほうのショートケーキをすくう。それをリュファスの口元に突きつけた。


「旦那様! どうぞ、お召し上がりください!」

「……あ、ああ」


 シンシアの圧に押されたのか、リュファスが躊躇いがちに口を開く。

 シンシアはえいっと、リュファスの口にフォークを押し込んだ。


 フォークを引き抜き、もぐもぐと口を動かすリュファスを確認しながら、今度は『パティスリー・コレラッタ』のほうのショートケーキをすくう。リュファスが食べ終わったのを見届けてから、続けざまにケーキを放り込んだ。

 リュファスのざくろのような瞳が、大きく見開かれていく。


「……これ、は」

「ふふふ。同じいちごのショートケーキなのに、全然違いますでしょう?」

「……ああ。ラパンのほうは、生地が軽いな……そしてコレラッタのほうは、生地がもっちりしている。……生クリームだけじゃなく、カスタードクリームも挟まっているな」

「さすが旦那様です。一口だけなのに特徴を言い当てるなんて。実を言いますとこの二つのお店、オルコット領ランディスで栽培した小麦を使っているのですよ」

「……この、特徴の違う小麦をか?」

「はい」


 シンシアはこくりと頷いた。

 父親が学生時代から植物に関心があり、そのため学者という地位を手に入れたのだ。

 森が多く植物が育ちやすい環境ということもあり、ランディスには研究所があった。

 そこに飛び込んだ次期領主を、研究員たちははじめこそ警戒していたが、次第に同類だということを悟り意気投合したとかなんとか。

 その父親が入ってから、研究所が中心になって研究していたのが、小麦だったのだ。


「ランディスでは、様々な小麦を栽培しています。父の熱意があってこその結果なのですが、小麦が違うだけでここまで食感が変わるなんて、面白いと思いませんか?」

「確かに面白いな」

「そう言っていただけて嬉しいです。旦那様には、ケーキには色々な楽しみ方があることを知ってもらいたかったのです。美味しさにも、色々あるんですよっ」


 そう言うと、リュファスの表情がようやく和らいだ。以前と同じ柔らかい空気を感じられる。

 それが嬉しくて、シンシアはくるくるとフォークを回した。


「オルコット嬢は、色々なことを考えているんだな」

「領地経営にも繋がる大切なことなので、気づいたことがあったら実家に手紙を出すようにしています」

「なるほど。家族思いだな」

「旦那様だって家族思いではありませんか」


 国王陛下の治世の邪魔をしないために、できる限り早く公爵に下るよう努力していたとみんな言っていた。兄弟仲も良かったそうだ。

 すると、リュファスの眉にシワが寄った。


「……オルコット嬢。旦那様という呼び方はやめてくれ。他の使用人たちも名前で呼んでいるのだから、名前で良いぞ」

「え……それを言うのであれば旦那様こそ、オルコット嬢と呼ぶのではなくシンシアとお呼びください。ここにいる間は私、伯爵令嬢ではありませんよ?」

「………………そう、だな。シンシア」

「はい、リュファス様」


 何やら間が多かったが、気のせいだろう。

 しかし名前で呼ぶようになったからか。リュファスの態度がぐっと柔らかくなった。

 二人してケーキを食べ比べながら、ケーキに関することを話す。その時間が楽しくて、自然と笑みがこぼれた。


 そんなふうに気が緩んでいたからだろうか。シンシアは今まで誰にも話したことがなかったことを、リュファスに話してしまった。


「私、ショートケーキとチョコレートケーキは、そのお店のケーキたちにとっての女王様と王様だと思っているんです」

「女王と王か。理由はあるのか?」


 しまった、と思ったが、リュファスが別段気持ち悪がるふうもなかったので、そのままの勢いで発言する。


「はい。ショートケーキとチョコレートケーキはやっぱり、ケーキの王道じゃないですか。シンプルな分、菓子職人の腕がはっきりと現れます。それって、人間で言うところの性質だと思うんです。キラキラに飾り付けられなくても、この二つは一番人気で、一番輝いている。それが、女王様や王様っぽいなって。あ、精霊界の女王様と王様だって言われている、光と闇の精霊様たちみたいですね!」

「……なるほど、面白い見解だ。しかしどことなく、君らしい気もする」


 リュファスは、シンシアの意見を決してバカにすることなく頷いてくれた。それだけでなんだか、満たされたような気持ちになる。

 今まで変人扱いを受けていたので、こんなふうに話せる相手は王都にいなかったのだ。


 そこでシンシアは、自分が結構ホームシックになっていたんだなということに気づいた。


(実家にいた頃は、お父様とお兄様の研究に付き合わされて色々試食して意見を言ってましたが、こちらに来てからはそれもなくなりましたからね。旦那様の温情だけで、なんだか胸がいっぱいになります)


 ナンシーとレイチェルが「リュファスは優しい」と言っていたが、その通りだと思う。


(あ、そういえば旦那様の髪と瞳、ショートケーキと同じ色です)


 女王と言った手前「ショートケーキみたいですね」とは言えないが、自分の好きなものとの共通点が見つかり気持ちが上向く。

 一方のリュファスは紅茶を口に含みながら、ブツブツと何か呟いていた。


「ショートケーキ、チョコレートケーキ、女王、王……光の精霊女王、闇の精霊王、か……いいんじゃないか?」

「……何がでしょうか? リュファス様」

「いや、正餐会で出す料理について考えていたのだが、料理長と話をしていてもスイーツの内容だけが決まらなくてな……さっきまでそれで悩んでいた」

「そうだったのですね」

「ああ。そこでだ。シンシアのアイディアを使わせてもらってもいいだろうか?」

「……私のアイディア、ですか?」

「そうだ。ショートケーキの光の精霊女王。チョコレートケーキの闇の精霊王。それぞれを模したケーキを作るんだ」

「それは……」


 シンシアは、頭の中でケーキを思い浮かべてみた。

 ドーム型のショートケーキをドレスに見立て、生クリームのフリルを飾る。トップには赤々としたいちごがちょこんと乗っかり、飴細工で作られたティアラがいちごを囲うのだ。ホワイトチョコレートで作った翅をつけてもいいかもしれない。

 その一方で、チョコレートケーキのほうは円柱だ。無駄な飾りは一切なく、大きな飾りはクラウンだけ。金粉や銀粉を撒き、鱗粉のようにしても可愛らしい。


(…………可愛い、絶対可愛い。食べたいです……!)


 シンシアがイラストを描きたくてうずうずしていると、リュファスが笑う。初めて、ケーキを食べているとき以外で笑っているのを見たかもしれない。

 それを見たせいか、シンシアの胸がとくんと弾んだ。


「シンシアは、お菓子のことになるとキラキラするな」

「だってですね……イメージがむくむく湧いてきてしまいまして……! 絶対にいいものになると言う確信が!」

「……イメージが湧くのか?」

「はい。スケッチは昔から得意だったので! 今まで食べたケーキも、イラストにまとめてありますよ!」


 イラストが壊滅的に下手な父の代わりに、植物のイラストをスケッチしたことも多々ある。

 森の散策時について行ったこともあるのだ。それは研究所でも好評だ。年に一度開かれる研究発表会でも、話題にされたことがあるらしい。

 祖父の魔術研究を手伝うために、架空の生き物や魔法陣を描いたこともある。もちろん、魔力も魔術も使えないシンシアが描いても何も起きなかった。

 他にも、家具を手作りするための設計図なんかを書いた。スケッチは何かと役に立つのだ。


 ただ、見たことも食べたこともないものをここまで描きたいと思ったのは、初めてだ。


(紙とペンが欲しいところです……!)


 うずうずしていると、リュファスが紙とペンを差し出してきた。


「簡単で良いから、描いてくれないか?」

「は、はい」


 リュファスが何がしたいのか分からず、シンシアは首をかしげる。シンシアにイラストなんて描かせてどうするのだろうか。

 しかしシンシアとしても、イメージが消えてしまわないうちに描き起こしたいところだった。


 ペンと紙を受け取ると、シンシアはさらさらと紙にケーキのイラストを描いていく。リュファスはそれをじっと見つめていた。

 描き終わったイラストを見せれば、リュファスは感心したように唸る。


「……これは良いな」

「……へっ?」

「料理長に試作させよう」

「え……ええ⁉︎」


(わたしの描いたイラストが、なぜかおおごとに⁉︎)


 驚くシンシアをおいて、リュファスは笑う。

 その笑顔は、いたずらを思いついた子どものような幼い顔をしていた。

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