5
(ふおおお……)
シーツを両手いっぱいに抱えながら、シンシアは感心していた。
シンシアの視線の先には、ふわふわと一人でに浮くシーツの姿がある。
シーツたちは意志を持っているかのように動くと、シーツかごの中へ自ら飛び込んでいった。
否。それは、魔術による操作だ。
魔術を使っていた先輩メイドのナンシーは、車輪がついたシーツかごを押しながらシンシアのほうに来た。
「こっちの部屋はおしまいっと。シンシア、あなたはどう?」
「は……は、はいっ。集まりました」
「そう、お疲れ様。あたしはシーツを掛け直すから、先に洗濯場に行っていてもらえる?」
「はい」
シンシアは手にしていたシーツをかごに入れてから、かごを押し始めた。
(今のが魔術ですか……実物を見るのは初めてです)
この国で魔術を使える人は、そう多くない。それは、魔術というものが精霊たちからの加護によってもたらされるだからだ。
だから魔力がたくさんあっても、精霊たちに好かれなければ魔術はまったく使えない。
その辺りの条件は未だ解明されていないので、研究中らしいと祖父が嘆いているのを聞いたことがあった。
後ろをちらりと見れば、真っ白なシーツがくるくると踊っている。
ナンシーが何やら指示を出せば、シーツたちは一斉に部屋に飛び込んでいった。
なんとも言えず心躍る展開に、シンシアは頬を緩める。
(お祖父様が見たら、きっと喜ぶんでしょうね)
魔術が大好きだった祖父のことだ。年甲斐もなく子どものようにはしゃいで、そして体を痛めるに違いない。
ふふと笑いながら、シンシアは庭先にある洗濯場に向かう。
しかし、シンシアのやることはほとんどなかった。ナンシーが魔術を使って、シーツをまとめて洗ってしまったからだ。
干すのだって魔術でやってしまうのだから、シンシアはもはや立ち尽くすしかない。
ぽかん、とした顔をしたシンシアを見て、ナンシーは苦笑した。
「ここにいる使用人は皆魔術が使えるから、いちいち手を使ってやることはないの。時間短縮にもなるし、体の負担も少ないからね。あたしは風魔術を得意としてる、二級魔術師なんだ」
「そうなんですね……私は魔術が使えないので、初めて知りました」
「まぁ、このタウンハウスは例外だから。あたしたちもともと城勤めなんだ。リュファス様が臣下に下るっていうから、連れてこられたのよ。ついてきたとも言えるけど」
城勤め、という言葉を聞き、シンシアはピンっときた。
「魔術を使える人は、お城で働きながら魔術を学ぶんですよねっ」
「そうよ。シンシア、知ってたんだ?」
「はい。お祖父様が魔術に憧れていたので、よく話を聞いてました」
小さい頃は家の事情を知らなかったため、シンシアはよく祖父の部屋に忍び込み話を聞いていた。他の家族のことは煙たがる祖父だったが、シンシアだけには優しかったのだ。
そのとき聞いた楽しい話は、今もシンシアの記憶にくっきり残っている。
魔術を使える人たちは城に集められ、魔術を学ぶという。
そのほうが効率が良いから、ということらしい。
学び舎を作るほど魔術が使える人がいないというのも、城に集めている理由の一つだとか。
人間たちが使える魔術は、精霊たちの種族や階級によって変わる。
精霊には火、風、水、土、光、闇があり、光と闇の精霊は希少だと言われていた。
階級は、一級が力の強い精霊で、五級が弱い精霊だ。それと同じ階級が魔術師にも付くのだ。
途中でリタイアすることなく最後まで魔術を習得した者が、魔術師と呼ばれるようになる。
(そんな人たちと一緒に過ごせるなんて……私、幸せ者でしょうかっ? 天国にいるお祖父様に嫉妬されてしまいます……)
シンシアがキラキラした眼差しでナンシーを見ると、彼女は少し引きながらも苦笑した。
「そんなにいいものじゃないのよ、これ。半端者だと特に微妙。身分が貴族だとなおのこと微妙ね。結婚話が来なくなるから」
「え、そうなんですか? 引く手数多なのかと思っていました」
「逆なのよ」
ナンシーがやれやれという様子で首を横に振った。
「男性が魔術師になるなら箔がつくんだけど、女は違うの。魔術が使えるってことは一定の勉学をおさめたってことだから自然と賢くなる。そうなると、扱いづらいんですって。自分のほうは魔術を持っていないから、劣等感を抱く人もいるらしいわよ。シンシアは貴族だから、なんとなく分かるでしょう?」
「はい。なんとなくは」
シンシアはそこまで社交の場に出てはいないが、貴族令嬢の立場というものは分かっている。シンシアの母親から痛いくらい聞いてきたからだ。
(お母様は異国に留学してまで勉学を学びに行ったけれど、そのせいで見合い話が全然来なくなったって言ってました。お父様は学者なのでむしろそこに惹かれましたけど、お父様は変人ですからね……一緒にしたら、常識が狂います)
最近になってようやく、貴族令嬢たちも学校に通えるようになってきたが、今でもそれに反発する人は多いという。それを改善しようと動いてくれているのが、前代と今代の国王だった。
おそらく城を魔術の学び舎にしたのも、そういう理由からだろうとシンシアは推測した。
うんうんと頷きながら歩いていたとき、シンシアはあることに気づく。
「……あれ。もしかしなくともナンシーさん……貴族ですか?」
「あら、そうよ。あたしはマロウ子爵家の次女。今年でこれでも二十歳なのよ。伯爵家ほど立派じゃないから、シンシアと比べちゃいけないかもしれないけどね」
「いやいや……なんとなく察していると思うので白状しますが、私は出稼ぎに来てる身ですので……」
「あら……あたしも、実家に一応仕送りしてるわ。食費とかよりも維持費のほうがかかるのよね、貴族って。体裁を妙に気にしなきゃいけないし」
「本当にその通りで……」
貴族は働かないことが美徳とされている世の中だが、オルコット家のように事業に手を出している貴族も最近増えてきていた。国に税金が払えず、領地を返上する貴族も少なくない。
オルコット家も、領地運営が厳しいからという理由で貧乏な貴族だ。しかし他の記憶と違っているのは、体裁よりも品種改良に力を注ぎすぎたせいだ。
(領地返上案は一度挙がりましたけど、全員一致で否決されましたからね……小麦の品種改良したいのに、小麦を植える領地返上してどうするんだって理由で)
改めて思い返してみたら、やっぱり変な家だった。
一般的な貴族の家系だとは口が裂けても言えないので、今はわきに置いておくことにする。
「……最近の貴族は、どこも世知辛いわね」
「本当に……」
ナンシーは何かを思い出したのか、ぼんやりと虚空を見つめながらしみじみ呟いた。シンシアも遠い目をしつつこくこく頷く。
同時に、ナンシーが貴族だったという事実に妙に納得してしまった。
(ナンシーさん、私より綺麗ですもんね)
ナンシー・マロウという女性は、シンシアの目から見ても魅力的だった。
きっちりまとめられたブラウンの髪はつややかで、瞳はぱっちりとした緑色、肌の色も白く、メイド服など着ていなければ使用人になど見えない。
(それにしてもまさか、私と似たような境遇の方がいらっしゃるとは……うん? ではなぜ、私はメイド長に嫌味を言われたのですか……?)
貴族令嬢であることをものすごく煙たがられたのだが、あれはなんだったのだろうか。
混乱した気持ちが、顔に出ていたのだろう。ナンシーがくすくすと笑った。
「もしかして、メイド長のこと?」
「はい。朝、貴族令嬢であることを理由に非難されたのですが……」
「あれ、メイド長も貴族なんだけどな……」
「え」
「でもあの人、リュファス様が幼い頃から、リュファス様の侍女していたのよ。だから過保護なのよね。リュファス様のことになるとさらに過保護」
「……もしかして私、旦那様に寄ってきた虫みたいな認識を受けてます?」
「多分」
(な、なるほど……納得しました)
妙に敵対心を向けられていたのは、シンシアが下心を持って入ってきたと思われていたかららしい。
(一般的な貴族令嬢なら、メイドとして入らずに見合いを申し込むと思います……)
それが一番の近道だし、正攻法だ。メイドとしてアプローチをするなど、お金がある貴族令嬢がする行為ではない。
それにシンシアは、リュファスからのわけありな求婚を突っぱねたのだ。それだけはないと断言したい。
かごを持って二階の洗濯物を集める道中、ナンシーはこの家の事情を軽く説明してくれた。
この屋敷で働いているのは、だいたいみんな中級魔術くらいが扱える。そのため、使用人の数が少なくても仕事が回るということ。
使用人の中には貴族もおり、シンシアは決して珍しくないということ。
そして、城の関係者以外の使用人が入れられたのは、シンシアが初めてだということだ。
「リュファス様、身分が身分だから、迂闊なことができないのよね……だからリュファス様自ら入れたのが女の子でびっくりしたわ。しかも貴族令嬢だし」
先ほどの会話で大分距離が縮まったのか、ナンシーがそんなことを言った。
さっぱりした物言いには嫌味などなく、シンシアはなんだか安心する。
「私もびっくりしているのです。ですが他の方々が優秀となりますと……私、あまりお役に立てなさそうですね」
「そんなことないわよ。リュファス様は王弟殿下だから、催し物を開かなきゃいけないことが多いの。だから、所作がちゃんとできている人はありがたいのよ。所作ってどうしても教育されてきたものが滲み出るからね……シンシアは良い人に教えてもらったのね」
「はい。母が教えてくれました」
シンシアは満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。大好きな母親を褒められるのは嬉しいのだ。
お金がないため使用人も教育係も雇えない家だったが、代わりに貴族令嬢に必要なものはすべて母に教わった。
それがこうして役に立っているのだから、馬鹿にならないものだ。
ナンシーは階段をのぼりながらくすくす笑う。
「シンシアは家族のこと、好きなのね」
「はい! それに今オルコット家がやっている小麦の品種改良は、私の夢を叶える行為でもあるので」
「夢? なぁに?」
シンシアはかごを抱えたまま、得意げに胸をそらした。
「ふっふっふ。オルコット家の領地で作られた小麦が王家御用達の菓子職人の手によって美味しいお菓子になって、そしてそれを私が食べる、ということです!」
えっへん! という言葉が出そうなほど得意げに言ったら、ナンシーは虚を突かれたような顔をして。
「あは、あははっ! やだ、シンシア、あなた面白いわ……っ!」
「……へっ?」
「かわいー! お姉さん応援しちゃう!」
「わ、わわっ⁉︎」
ナンシーにわしゃわしゃと頭を撫でられ、シンシアはびっくりする。
髪がぐしゃぐしゃになってしまったが、「ごめんごめん」と謝りながらナンシーが直してくれた。
まるで姉ができたみたいだと、シンシアは思う。それが、ちょっとだけ嬉しかった。
二階に着くと、シンシアは指示をもらい部屋のドアを次々に開けていった。
すべて開くと、ナンシーが呪文を唱えながらシーツを集め始める。その合間にもおしゃべりは続く。
「洗濯物、さっさと終わらせよう。リュファス様を見送らないといけないからね。シンシアはリュファス様の騎士服、見たことある?」
「いえ、残念なことにありません。私が顔見せ(デビュタメント)の際にお会いした旦那様は、王族として出ていましたので……」
「そっかぁ。じゃあ、感動するかも」
「……感動、ですか?」
「そう」
ナンシーはしたり顔で言う。
「リュファス様、本当にかっこいいから」
*
洗濯物を干し終えたシンシアとナンシーは、玄関にやってきていた。
そこには既に使用人たちがずらりと並んでいて、少しだけびっくりする。
玄関へと続く絨毯の両脇に、そろいの服を着た人が並んでいる光景は、なかなかに圧巻だった。
ナンシーに連れられそのうちの一人として並んでから少しして、かつりかつりと高い靴音が聞こえた。使用人たちが皆背筋を伸ばすのを見て、シンシアもそれを真似る。
玄関にやってきた人物を見て、シンシアは息を飲んだ。
それはリュファスだった。
着ているのは、魔術騎士が着る臙脂色の騎士服だ。
襟が首元まで詰まっているタイプの衣装で、金の縁飾りが付いている。ボタンや飾り緒、肩章などの装飾も金でまとめられていて、とても華やかだった。胸元には、盾の前に剣と杖を交差させた魔術騎士団の徽章が煌めいている。
リュファスはその上に、目が醒めるような純白のマントをつけている。左肩だけにかかる特徴的な作りのマントだ。
リュファスの一点の曇りすらない白銀の髪と、ざくろのように熟れてつややかな瞳は、その制服と合わさりさらに凄みを増している。
(とても、きれい……)
なるほど。確かにナンシーの言う通り、本当にかっこいい。リュファスのためだけにあつらえられたような騎士服だった。
周囲に使用人たちがいることも気にせず、リュファスは絨毯の上を進む。
リュファスのことをじっと見つめていると、一瞬目が合った。
リュファスがほんの少しだけ目を見開き、しかしふ、と逸らす。
(……あれ?)
気のせいだろうか。わざと目を逸らされたような気がした。
(ですが一瞬でしたし……逆に見つめられていても、反応に困りますからね)
つい先日意気投合したのが嘘のように、リュファスとシンシアの間には明確な溝があった。
主人とメイドという、確固たる違いだ。
距離感を感じながら、シンシアは周囲にならい深々と頭を下げる。
『行ってらっしゃいませ』
使用人たちの声が重なり、玄関に響いた。
玄関のドアが閉まるまで腰を折っていた使用人たちは、フットマンがドアを閉めると同時に体勢を戻す。そしてみんなさっさと、自分の仕事に戻っていった。
二人も、みんなと同じように持ち場に戻る。
ナンシーはマチルダの視線を気にしつつも、コソコソと話しかけてきた。
「リュファス様、本当に綺麗でしょ? あの白いマントはね、リュファス様が名付きの魔術騎士だからなのよ」
「……名付き、ですか?」
「そう。リュファス様のフルネーム、言ってごらん?」
「ええっと……リュファス・シン・ジルベール=アヴァティア様、ですよね?」
「そう。一番最後についてるのは、最高位の魔術師だけがもらえる称号なの。リュファス様の場合、アヴァティアね。称号持ちの魔術師は、一番得意としてる魔術の色のマントがもらえるの。白は光属性。リュファス様は、光属性の魔術を使える数少ない人なのよ!」
まあリュファス様は、全属性の魔術を扱える特別な人なんだけどね。
ナンシーが最後に呟いた言葉に、シンシアは驚いた。まさか全部の魔術を扱えるとは思っていなかったからだ。
(旦那様は、魔術師として本当に素晴らしい方だったのですね……)
ナンシーはまるで我がことのように喜びながら、スキップをする。本当に旦那様のことが好きなんだなと思い、シンシアは口元を緩めた。
「さて。あたしたちも仕事に戻ろうか、シンシア」
「はい」
リュファスの姿を思い出しながら、シンシアは踵を返す。
まだ少しだけ、胸が早く鳴っていた。
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