第38話 二人きりの夕食
マミとテンに帰ってもらって1時間ほど過ぎたころに、母さんが帰宅する。
買い物袋を提げて家に戻った母さんは不機嫌だ。
それもそうだろう、いつも買い物の後に待ち合わせをするはずの父さんが、その場所に現れなかったのだから。
帰宅時間からして30分は待ち合わせ場所で待っていただろうから、そうとうストレスも溜まっているはず。
「ねえあんた、父さんになんかしたんじゃないでしょうね?」
買い物袋を渡し、開口一番僕に疑いを向けてくる母さん。
昔から自分に都合の悪い出来事の原因は全部僕みたいに言われるのだから、正直たまったもんじゃない。
「ごめんなさい。わかりません」
普通に考えたら、僕は父さんのことなんか知らない。だけど、どうしたかなんて聞いたら生意気と言われるのがオチ。
僕はいつものようにただただ頭を下げて、難を逃れようとする。
今朝はマミへのデート前にお金を取り上げてきて、少し味方なのかと思ったが、それはあくまで僕に都合の良い解釈に過ぎない。
僕と母さんは対立関係にあるのだ。
僕は、この人の元の姿を知らなければならない。
「そう。早くご飯作りなさい」
思いのほかあっさり引いていく母さん。
僕なんかと話していても無駄と思ったのか分からないが、リビングに入っていく。
袋を持ち僕が追って入ったころには、手にはすでに火のついたタバコがあった。
こみあげてくる咳を必死に抑えながら僕はキッチンへと向かう。
話し合った作戦では、明日からみんなで尾行や彼女の部屋の捜索を行う予定だ。遂行のためにも僕は今日をとにかく乗り切らなければならない。
父さんが帰ってこないことはわかっていたが、突っ込まれても困るので二人分の食事を用意する。父さんがいないわけで食卓に呼ばれるなんてイレギュラーももちろんなく、僕は一人キッチンの中で食べる。
テレビにタバコにお酒。
かなりのスローペースで食す彼女の邪魔にならないように、僕はキッチンで息を殺して待った。いつものこと、慣れっこだ。
しかし、キッチンから母さんを観察すると、いつもより煙草の本数も、飲んでいるワインの量も多いような気がした。そして、彼女の手がかすかにふるえているような……?
「やっぱり戻ってこないのね。ユズルさん」
すべての食事を終え、煙草の火を消しながら母さんが一人つぶやいた。
それは戻ってこない父さんを心配する言葉ではなく、来るべき日が来てしまったというようなそんなしゃべり方で、僕の心をざわつかせる。
「それならしょうがないわよね」
彼女は、ワインをもう一杯あおると、ふらふらと僕に近づいてきた。
食事終わりに母さんが僕に興味を示すなんて今までないことで僕は少しパニックを起こす。どんな罵倒を浴びせられるのだろうか、ぶたれるのだろうか。
体が反射的に縮こまる。
その縮こまった僕の目の前で、彼女は刃渡りの長い包丁を手に取った。
さっき僕が料理に使った、それだ。
「あんたが悪いのよ? どんなにいじめたって、いつだって他人事。どこ吹く風で知らん顔。まるで人間じゃないみたい」
固まる。
まさか僕は刺されるのか。
死ぬ、のか?
今までぞんざいに扱われてきて、いろんな苦しみも味わったけれど、母さんからそんな直接的な害意を感じたことは一度としてなかった。
でも今は、肌がぴりりとする緊張感、包丁を持って怪しげに笑う彼女、そして向けられた切っ先と殺意に、嫌でも死を感じる。
頭がうまく働かない。
ここまで想定していなかった。
——異世界で戦っていた”僕”なら、こんな命のやり取りにも慣れているのだろうか。
突き出された包丁をかろうじて避ける。
腹の中心を狙ったその攻撃は、僕の脇腹をかすめた。
狙いを外した母さんの手を僕は捕まえ、包丁を奪おうともみ合う。
相手は大の大人だが、女の体と力で、かろうじて僕はそのもみ合いに勝つ。
ぶつかって押し倒した彼女は、殴るや蹴るや噛むやで、僕を必死に害してきて、再び包丁を奪い取ろうと躍起になっている。
奪い取った包丁を遠くに投げ捨てようとした僕はその時、心の中で、悪魔のささやきを聞いた。
今ならだれもお前を責めない。
正当防衛だろう、と。
体に、心に、受けてきた苦しみと痛みを、僕は包丁を握る手に込める。
シャドウが止める声が、頭の中でガンガンと響いていたが気にもならなかった。
これをやってしまえば、やり切ることが出来れば、僕は解放される!
母さんの心臓のある位置を見据え、包丁を大きく振り上げて、一思いに振り下ろそうとする。
向かってくる包丁に母さんがにやりと笑って目を閉じるのが、見えた。
なんで笑っている、理性は手を止めようとするがもう止まらない。
僕の心は、体は、目の前の女の死を望んでいた。
「なにやってるんだ!」
そんな僕の腕を。大きく温かい誰かの手がつかんで止める。
包丁が止まったことに少しほっとして振り向いた僕の目に映ったのは、家族の中で僕の唯一の味方であった祖父だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます