第32話 条件

「お願い、やめてっ」


刺さるような叫び声が何度も耳に届き、僕はやっとのことで目を覚ます。

体が異様に重かった。

つまりそれは、僕が目覚めたのは通常の眠りからではないってことの証明。


目を開けて周囲を見渡すと、飛び込んできたのはマミが痛めつけられている光景だった。


「何をしてるんだっ」


幼馴染のあられもない姿に、驚いて体を動かそうとしたがうまくいかない。

薬の後遺症か力が出ないうえに、僕自身も後ろ手に腕を拘束されていた。

動けない。

自分がこの状況において無力であることを悟った僕は、周囲から可能な限りの情報を探ることを優先する。

場所は、どこだろうか、倉庫のようなところだった。

少なくとも最後の記憶にあるラブホテルではない。

ここは、あまりにも寒々しく、そして、広い。


「やあやあ、やっとお目覚めかい?」


広い空間に響き渡る男の声。

聞き覚えのあるその声に、僕は一瞬でその主が誰か理解してしまう。

かつて尊敬していたのに、この行動はあんまりなんじゃないか。


「父さん」


僕がそう言うと、ぱちぱちと馬鹿にしたような拍手をしてくる。


「いやまだ子供だし、そこまで頭が回らないと思っていたが、私の見込み違いだったようだ。すまないね」


謝りながら、マミを鞭のようなもので打つ父さん。

ぺしりという乾いた音が空間に響いて、マミがうめき声をあげる。

遠くでかすかに電車の音、僕の耳がとらえる。


「お願い、ユズルさん……やめて」


苦しそうに言うマミに、父さんは鼻をふんっと鳴らす。


「小娘ごときが、逆らうんじゃない。お前ごとき、条件に関わってさえいなければ関係なんて持たなかったさ」


それに関してはマミも同じ立場だから擁護しようがない。

だから話を、変える。

マミから聞いた彼の条件を武器に。


「父さん、そんなことしても何にもならない。僕はマミが好きじゃないし、そんなことで僕は絶望したりしない」


この言葉にどう反応するか。

頼むから焦ってくれと心の中で祈りながら発した言葉が生んだのは、大きなため息だった。


「はーあ、やっぱりな。この尻軽女、私の条件を喋ったんだな」


「だって!」


「だってもくそもあるかぁ、あ?」


鞭の音。

見ていられない僕は、他の場所に視線を向ける。

動かした視線の先に窓が見える、そしてその外の景色も。

僕はそれをしっかりと観察する。


しばらく鞭が体にあたる音と彼女の悲鳴が場の音を支配した。

しかし、何度も鞭を振るって疲れたのか、息を荒げた父さんが手を止める。


「まあ? それを知られたところでなんでもないけどな。でも念のため警戒しておいたのが正しかったことが証明されたっていうだけだ」


言葉からわかる。

やはり父さんは、マミに対して嘘の条件を言っていた。

絶望なんてはかり難い条件、他に比べておかしいと思ったんだ。

僕は少し頭が悪いふりをする。

勝ったと思ったこの状況なら口も軽くなるかもしれない。


「え、じゃあ、何が条件なんだよ!」


喰ってかかる。

生意気な口をきいた僕のほっぺたに、鞭がぴしりと飛んできた。

痛い。

音からしてもしかしたらと期待したが、じんじんという痛みとほっぺたの内側が切れ口の中に血がにじむ感覚。

これをマミは耐えているというのか。

彼女の白い肌、体中にみみずばれのようなものが出来ている。


「親に向かってなんだその反抗的な態度は! 私はお前を引きとって育ててやったんだぞ。もっと感謝の意を示せ。そして、私のために人生すべてを捧げろ」


育てるお礼が人生すべてとはなんともおかしな天秤のもとに僕は行動を要求されている。しかし、そうは思ってもこの痛みと拘束された体では、小さな反抗しかできない。


「感謝なんてするもんか……僕はほとんど、一人で生きてきたんだ」


普通の親がしてくれるようなこと、父さんも母さんもしてくれたことなんてない。

熱を出したときも。

テストで百点を取ったときも。

誕生日も。

何も、何にもしてもらってない。


僕の反抗に、無言の鞭が飛んでくる。

そしてまた、彼は疲れてその腕が止まるまで、僕のことを鞭打った。

痛みや苦しみなんてそこまでじゃない。

自分を殺すことさえ、覚えてしまえれば。


何分経っただろうか。

僕に対しての憎しみは、彼女に対する以上だったのだろう。

長い間手を休めずに、彼は鞭を打って、最後に笑いだす。


「無残なもんだな。この世界の主役さんが、こんな結末とは」


世界の主役とは何のことだろう。

自分を殺し、ぼーっとした意識の中で僕は考える。

この僕が、主役?

こんなひどい人生を送り、分岐した自分たちに振り回される僕が?

そんなはずがない。

あるわけがない。


だらんと脱力してうなだれる僕に、彼は一つ蹴りを入れる。

それでどうやら気が済んだようで、僕から離れてマミのところまで戻った。


さあ、これからショータイムだというように、ぱんっと一つ手を叩く。


「まあ、いいや。冥途の土産に教えてやろう。いや、この場合、私の転生の置き土産ってとこか。私の勝利条件はね。お前の前で、この女を辱めることだよ。今まで越えなかった最後の一線をお前の前で超えてやるのさ」


そう言って彼は、マミの体を覆っていた最後の布切れたちをはがす。

そして自分のズボンもかちゃかちゃとやり始める。


もう少しだ、もう少し。

もう少しだけ、時間を。


「そんな風にしゃべっちゃっていいの?」


痛みなんてないと思い込んで、僕は体を起こす。

その姿に少しだけ驚いた様子の彼の動きが止まる。

しかし、すぐに余裕を取り戻し、また大仰な体の動きをしながら言う。


「……当たり前だろ。お前がなぜか持っていた携帯は没収したから、転生者との連絡取れないだろ。お前はもう詰んでるんだよ。この世界の人間にお前の味方はいない」


そうそれは正しい。

味方はいない。

、人間には。


ガシャン


窓ガラスが割れる音。


そして——


「俺様登場! 俺が来たからにはすべてさくっと解決よ」


そう言って現れたのは、いつかテレビで見た戦隊ものの俳優だった。

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