第29話 初恋
「あれっ? これ、あなたのじゃなかった?」
なかなか携帯とカバンを受け取らない僕に女性がそう言う。
「い、いえ。僕のです」
ぼうっとしていた僕は慌ててそう言うと、荷物を受け取った。
「そっか。気を付けるんだよ」
彼女はさよなら、と手をひらひらと振っていなくなる。
その姿はすぐに人ごみに紛れてしまう。
僕はしばらく、彼女の消えたほうを見つめていた。
なんというかそれは、僕にとって衝撃的な体験だった。
体に電気がびりびりと走ったような、そういう感覚。
ああ、この人だ、っていうような。
恋に落ちたときの表現を、雷に打たれたようなとかそんな風に言ったりするけれど、それは正しかったんだなって思ったりして。
僕は何度も自分の手をこね合わせる。
心も体も、なんだか全く穏やかじゃなかった。
僕は、彼女に、一目惚れをしたのだ。
「シュウちゃんっ。遅いから探しに来ちゃったよ」
「あっ。うん、ごめん」
突然、マミに話しかけられても、僕は大した反応も返せなかった。
デートで条件を達成されてしまったら、異世界の僕を違う世界に行かせられなくなるというのに、僕は全く集中できない。
それどころか、苦手に思っていた幼馴染に対して、恐怖心も、大した感情もわいてこなくて、ただただ先ほど会った女の人のことを考えていた。
「じゃあ、ここの会計、私が払っちゃうからねー。じゃあ、次はあっちの店に行こうか―」
財布の中身が空であることを持ち出して、デートを短くすること。
それすらも僕の頭には正常に浮かんでこない。
ただただ、マミのペースに乗せられていく。
食事をとっても、恋人のように腕を組まれても、どこかよくわからないところへ引っ張られて行っても、僕の思考はほわほわと浮かんでいて脳が正常な判断を出来ない。
ウィンドウショッピングをし、ファミレスで食事をし、いくつかのお店を回った後、僕はいつの間にかそこに連れ込まれていたのだ。
「まさか、シュウちゃんがここに一緒に来てくれると思ってなかった」
「へ?」
とにかくふわふわしていて、ずっとあの女の人のことを考えて、流されるまま、マミの行動に付き従っていた。
そして今体がどこかに押し倒される感覚を得て初めて、僕はほわほわとした思考の海から戻り、現実の出来事を直視する。そしてやっと、自分がまずい状況にいることに気付いた。
頭の中でがんがんと響くシャドウの音声。
うるさい警告だけれど、僕がどれだけ危ない状況にいるのか、シャドウの警告がいかに正当であるか。
僕は、マミと大きなベッドが一つある部屋の中にいて、彼女にベッドに押し倒されていることを理解して、気付く。
どうしてこんなことに。
「ずっとずっとアプローチしてきたけど、もう無理なのかなって何度も諦めかけた。でも、シュウちゃんが応えてくれるみたいで本当に嬉しい」
僕の体を自分のふとももで挟み込んだ状態で、舌なめずりをしながら服を一枚一枚脱いでいくマミ、僕はそんな彼女の体を遠ざけるべく、近くにあった枕を投げつけた。
その勢いで横に倒れこむマミ。
拘束が解け、僕はこれぞ好機と思いベッドから立ち上がった。
「ぼ、僕もう帰るからね!」
「え、ちょっと待ってよ。ここまで来て逃げるわけ。意気地なしっ」
立ち上がった僕の腕を、下着状態のマミがつかんで止める。
「ちょっとぼーっとしてたんだって、悪かったから」
「ぼーっとしてたでどうしてラブホテルまでついてくるのよ!」
「それはっ、悪かったって……」
僕は手を振り払って部屋を出ようとする。
もう外からみた既成事実は作られてしまった。逃げて貞操だけでも守るしかない。
が、僕の行動は冷酷な顔をして扉を開けない自動精算機に阻まれた。
どうやら、この扉はお金を入れないと開かないようだ。
こんなところで財布の中身が空なことが裏目に出るなんて、最悪でしかない。
ぼーっとしていた僕が全面的に悪いのだが。
『今更後悔しても遅いですよご主人様。なんで心ここに在らずだったのかはわかりませんが、何とかして彼女を納得させて、ここを出なければなりません』
やっとシャドウの声が、音ではなく言葉として聞こえてくる。
冷静な目で展開を見ていたシャドウはこの状況に落ち着いているようだ。
でも今度は、近くに冷静な人間がいると、焦ってしまう。そんな症状が、僕を襲う。
この致命的な状況に、僕の体は冷や汗をだらだらと垂らしていた。段々、先ほどまでは湧いてこなかったトラウマ、恐怖心もわいてくる。
その結果、僕はあまり考えもせず、言葉を口走った。
「マミ、君の目的は何なんだ」
「なにって、私はただ、好きな人と結ばれたいだけだよ」
一般的に言ったらかわいいだろう、上目遣いで、マミは僕のことを見つめてくる。
うるうるとしたその目は、本当は何を考えているのだろうか。
君の目的は何なんだ。僕のこと好きっていうなら、それならどうして……!
「どうして君は、父さんと、関係を持っているんだ!」
考えなしに僕はそう叫ぶ。
どう考えても失言だった。
僕が知らないはずの情報。
目の前の彼女は、その言葉を聞いて顔を真っ白にしている。
それを見て、僕自身は少しずつ落ち着きを取り戻していったが、逆転の目は、なかなか、見えてこない。
こんな僕は彼女の条件を達成させずに、この場から逃げ出せるのだろうか。
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