第9話 日常と仕事

「遅かったじゃないか」


リビングに僕が戻っての父さんの第一声がそれだ。


「ごめんなさい、ちょっとお腹の調子がまた悪くなりかけて。出るか出ないか迷っていたら時間がかかりました」


「汚いわね。ちゃんと手は洗ったんでしょうね?」


そう言う母さんは冷蔵庫に食べ物をしまいながら聞いてくる。

普通は息子の心配するところじゃないかなぁなどと今まで小説やアニメで読んできた知識をもとに思ったりもするが、これがうちの日常。

おかしさを感じてもいまさら思うところはあまりない。


「はい、ちゃんと洗いました」


しっかりと返答しないとしばらくぐちぐち言われることになるので、素直に洗ったことを伝える。


「ならよかったは、あなたは出来が悪いんだからそういう最低限の部分だけはしっかりして頂戴ね。夏休みが終わった後、クラスにうまく戻れずに不登校になるなんてお母さん許しませんからね」


「はい」


そう言って僕は、食材をしまっている母さんの手伝いを始める。

すると母さんはそんな僕を一瞥して、リビングの父さんの座っているソファの向かいに座ると、タバコをすい始める。


僕はタバコが嫌いだ。

軽いアレルギーまである。

けれど、母さんも。

たまに父さんも、僕の前で平気で吸う。

まるで、僕なんか大事じゃないように。


「しまい終わりました」


「じゃあ、夕ご飯を作りなさい」


小さく頭を下げて食材の入れ終わりを告げると、すぐに放たれる次の指令。


「あなたの事故のせいでどれだけ私たちが迷惑をこうむったと思っているの? お金だってかけさせて。ちゃんと働きなさい」


「はい」


僕が口答えする前に、矢継ぎ早に放たれるその言葉たち。

慣れたとは言えそれが、育ててくれた親の言葉が刺さらないわけではなく。

心臓がまた、チクリと痛む。

どうして、僕は異世界転生できなかったんだろう。


『子供の命はお金に換えられないはずなのに』


頭の中でシャドウの悲痛な叫びが聞こえる。

今の僕は喋れるような状態じゃないから、心の中でそのことを考える。

そもそも、母さんの言うお金というのは、決して僕の治療費ではない。僕の治療費は祖父がかけてくれていた保険ですべて賄って、むしろお釣りがくるくらいだった。

では、なんのお金がかかったかって?


『僕が料理できない間の、二人の外食費さ』


『そんな自分たちで作ればいいのに。それをご主人様に請求するなんておかしすぎる』


どうやら、僕の心の言葉が聞こえていたようで、シャドウの声が再び頭の中に響く。

そのやり取りの内容はともかく、伝わっていた、ということに僕はちょっとびっくりして、なんだか嬉しくなる。

もう一度言葉を強く念じてみる。


『シャドウ、これ聞こえてるの?』


『ええ、ご主人様。もう、脳内で会話する術を身に着けたのですね。素晴らしい。よく聞こえておりますよ』


僕はニンジンの皮をむきながら、下を向いてニンマリする。

なんだ、異世界転生しなくてもこんないいこともあるんだな。


「おい、何笑ってるんだ。おかしなことでもあったか。それとも私たちを馬鹿にしてるのか?」


「い、いえ、なんでもありません」


遠くから飛んでくる父さんの声に、僕は顔を引き締めてリビングの方を向いて答える。


「そうか」


父さんの銀縁の眼鏡がきらりと光る。

ああ、父さんはもう疑ってる。

僕になにかあったことにすでに気付いている。

本当はぶちまけてしまいたい。

今こういう状況だって。

でも、


父さんはきっと味方にはなってくれない。



僕は夕食の準備を進める。

本来は買い出しも僕の仕事なのだが、学校の課題があるという名目でそこだけは免除されていた。

代わりに、以前行っていたバイト代のうち口座に入っていた貯金は全部没収されたが仕方ないだろう。


それがうちのルールだ。


両親が夕食ができるまで待ってくれる時間は二人で約30分。

煙草を吸い終わるまで。

それまでに食事が出来なかったら、どうなるかは毎度考えたくない。

手早く僕は料理を進める。

母さんが安いことを理由に適当に買ってきた食材たちを冷蔵庫にしまっている間に、献立はすでに考え済みだ。


「さて、頑張ろう」


父さんにも聞こえないように小さくつぶやく。

気合を入れないと、日々は乗り越えていけない。

大丈夫、これは課題と違っていつものこと。

心を殺してこなしていけばちゃんと終わることだ。

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