第3話 王子ティルダス
ここは城の北にある離宮・通称『北の館』
王子の身分でありながら離宮に住まわされているのは、先王の寵姫に対する配慮からであり、母である王妃は、ティルダスを出産後すぐに亡くなっていた。
中庭では二人の少年が剣を交えていた。
「やッ!」
黒髪の少年の剣が栗色の髪の少年の剣をはらった、この黒髪の少年こそ我らが王子ティルダスだった。
歳のころは14、その青い瞳にはまだあどけなさが宿っていた。
「もー、ティルダスってばー、僕もうヘトヘトだからこれ以上は勘弁してよー」
栗色の髪の少年は王子であるティルダスに対しずいぶんと親しげだった。
この少年はティルダスの乳兄弟で、少女と見紛うほどの美少年で、名をダエンといい年は王子よりひとつ上だった。
「へっへっへ、俺っちの剣技にもう参っちゃったか!?」
ティルダス王子はあどけなく笑う。
「違うよー!もう何時間もぶっ通しで剣の稽古だなんてさー、ティルダスの体力が異常なんだよー!!」
この様子を木陰からそっと見ていたチグラスは、このタイミングで声がけをした。
「ティルダス王子殿」
声をかけられた少年王子の表情はさらにぱあっと明るくなった。
「あっ、チグラス久し振りー!今の見てた?」
チグラスは
「すっかり上達しましたね、王子殿」
口先ではこう褒めたが、これから逃亡生活がはじまるのであれば、さらに鍛えねばなるまい…と、チグラスは決意を固めた。
「へっへっへー、俺すげぇだろ」
王子は人差し指で鼻の下をこすり、得意気だった。
「王子殿、次なる王位はウォルガス王子殿が継ぐことになりました」
チグラスは遠慮がちに伝えたが、
「そりゃあそうだよね!だって兄上のほうが年上だし、とーっても優秀だしね!」
ティルダス王子はくったくなく答えた。
「なに言ってんだよティルダス!お兄さんが年上なの当たり前だろ!?もー、ヘンなとこでおバカなんだからー!!」
ダエンがすかさず突っ込みを入れる。
——そういえば年に数回しか会わないとはいえ、ティルダス王子は兄であるウォルガス王子を慕っていたのだったな…——
普通腹の違う兄弟は不仲なものなのだが、ティルダス王子には後ろ盾がなく、なおかつそれに対するウォルガス王子も優しく接していたゆえ、ありがちな軋轢はなかった。
——これは益々伝えにくいが、仕方ない——
チグラスはさらにティルダス王子に近づき、跪いた。
「ティルダス王子殿…この城にいるのは危険です、一緒にお逃げください」
この申し出にティルダス王子は仰天する。
「なんだよ、急に改まって跪いたかと思えば逃げろだって?一体なんの冗談だよ?」
突然のことに信じられなかったのか、鼻先で笑った。
「星回りもございますが、大臣ファシム殿がどう出るかわかりませんので」
チグラスは慎重に答える。
「また占い?それにさぁ、兄上が王になるんだからさー、大臣なんてたいしておっかなくないだろ?」
やはりわかっていなかったかと、チグラスはため息をつきたくなるのをこらえた。
「いや…ウォルガス王子殿は、恐らく正式に王位に就いたとしても、自分の伯父には逆らえないでしょう」
これは占術にも現れていたことだったが、実際ウォルガス王子は実の父であるウォーノン王より伯父であるファシムの言いなりだった。
「なーに言ってんだよ!そりゃ今までは王子だったんだから逆らえなかったろうけど、王になれば変わるだろ?」
困ったことに、逃亡に応じようとはしない。
「ああ、もう俺は疲れちゃったから、部屋へ戻るよ、行こ、ダエン」
「ああ…部屋へ戻ったら、母上に冷たい飲み物でも出してもらうよ」
「ありがとうダエン」
二人の少年は北の館へと入って行った。
チグラスは少しためらってから、二人の少年の後へ続いた。
通常は先王の家臣であるチグラスが第二王子の住まう館へ許可なく入ることは暗黙の了解で許されていなかったのだが、そうは言ってられない状況だった。
「お願いです王子殿、一刻の猶予もならないのです」
「うるさいなぁ、だから大丈夫だってば!」
「王子殿はご自分がいかに危険な状況にあるか、おわかりにならないのです」
「大袈裟だってばー、だいたい俺は王になるなんて、そんなメンドーなことしたくないもん」
「王子殿にその気がなくとも、必ず担ぎあげようとする者がいるんです」
「いいってば!そんなの俺がやる気ないと公言すればすむ話なんだから!」
言い合いをしながら回廊を歩いていくうちに、とうとう王子の部屋らしき所に着いてしまった。
ここまできてしまえば、さすがにチグラスも足を踏み入れることはできない。
部屋の扉は少し開いていた。
「ネリッサー!喉乾いちゃったよ、なんか飲み物くれる?」
ティルダスは乳母を呼んだが返事はなかった。
「あれっ?おかしいな?他の部屋かな?…って、あっ!」
ティルダスは大声をあげた、続けて室内に入ったダエンも悲痛な叫びを挙げた。
「はっ、母上っ!」
二人の少年の叫びにただならぬものを感じたチグラスは、
「失礼する!」
暗黙の禁忌を破って室内へ踏み入れた。
するとどうだろう!
一人の女が胸から血を流して倒れているではないか!
栗色の巻毛を束ねたこの女は、ダエンの母親でありティルダスにとっての乳母であるネリッサに間違いなかった。
チグラスは即座に脈をとったが、すでに息絶えていた。
明らかに何者かによって殺害された後だった。
「しまった!遅かったか!」
チグラスは思わず叫ぶ。
「ははうえ〜!!なんでだよーッ!!」
ダエンが母親の遺体にすがって泣き叫ぶのに対しティルダスは、青ざめた顔で呆然としていた。
「まさか…俺のせい?」
「王子殿にダエン殿…事態は思っていたより深刻です、早く城を出ましょう」
「わかった、でもどこへ行くの?」
さすがにティルダスも事態の深刻さをさとり、チグラスの提案を受け入れるしかなかった。
「ひとまずお二人には守りの魔導をおつけしますが、長持ちはしません。真夜中になったら、北東の庭の塀から出てください」
「へ?へい?」
「恐らく北東の庭には門番が立つかもしれません」
「え、普段そんなとこに門番なんて立たないよね?」
「ファシム殿がなにをするかわかりませんから、どうか捕まらないよう城を出てください」
「わかったよ…城を出た後はどうするんだい?」
「まっすぐ行ったところに酒場があります、そこで落ち合いましょう」
「チグラスは一緒に出てくれないのか?」
第二王子とはいえティルダスはまだまだ14、そして精神的に少し幼いところもあるため、
その瞳に不安の色を見せた。
「できれば一緒に城を出たかったのですが、ネリッサ殿をこのままにしておくわけにはいきませんし、他にも色々準備がありますので」
「母上をどうするつもり?」
ここでネリッサの遺体にすがって泣きじゃくっていたダエンが初めてチグラスの顔を見上げた。
「このチグラスにお任せを、決して悪いようにはいたしません」
こうしてやっと王子逃亡の道筋を導けたチグラスだったが、この先降りかかる数々の出来事に覚悟をしなければならなかった。
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