第19話『蹉跌と幻』

朝日が登り始めた王都のA地区、人の足音もしないはずだった廃倉庫には渾沌と血の匂いが混じった風が吹く。


男達は自分の身に起きたことが受け止められずにいた。いや、理解出来なかった。突如、消失した自分達の車。響いた銃声。倒れている少女。どこで間違えた。何が欠けていた。そんなことを考えている暇などない。


「六条さん!」

「おっと近づくな。まだ弾はある。」


金髪の男は笑いながら片岸達に片岸達にを向ける。思わず一歩、後ずさりをした片岸を見ると男は銃を降ろした。


「……どこで気づいた。」

「気づかないとでも思ったのか?全部想定済み。六条雪華が一人で来るようなタマとも思えねぇ。」


片岸の問いに、ゼマーは心の底から面白くてたまらないという風に笑声を微かに漏らし、顔を歪ませた。


「それでどうだ。外側からの攻撃も予想して俺の『彩』の膜を張ってみた。まさかこんな簡単に引っかかってくれるとはなァ!!」


「くっ……お前の目的はなんなんだ。」

「ああ?此奴も同じこと言ってたな。売って金にすんだよ。それ以外ねぇだろ。こんな人間として無価値な奴。」


平然と、男はまるでそれが既に成功すると分かっているかのように。さも当然のように言葉を放った。


「それなら撃つ必要はないんじゃないのかね。ゼマーさんよ。」

「……チッ。甘ぇなァ。頭はガキかテメーら。半殺しにして持ってった方が確実だろうが。ま、まだ足りねぇようだが。」


そう言って男は雪華に銃を向けた。

引き鉄に手をかけ――


「お前も変わっちまったなぁ。まったくつまんねぇことしやがる。」

「くっ……」


どこからとも無く聞こえた声と共に数本のナイフがゼマーの右腕を切り裂く。振り返ろうとしたその瞬間。右脚、腹、と次々に一本一本、ナイフが刺さる。


「……ありえねぇ。絶対にありえねぇ。なんで、なんでだ。なんでアンタが。」

「よォ。ゼマー。何年ぶりだ?俺が殺し損ねた時は会ってねぇはずだからざっと2、3年ぶりか?」

「ああ。この2年間、アンタのせいで全部めちゃくちゃだったよ。俺は地位も挙げられず、ただただ仲間から笑われ続けた。」


ゼマーは声を震わせながら、弔木にこう告げる。顔は少し、笑っていた。



「な、なぁ。弔木さん。俺と組まねぇか?今から此処にいるやつ全員ぶっ殺してそんで六条雪華の身体を売って大儲けするんだ。」

「そうすれば今度もアンタは好きなだけ人を殺せる。牢獄に入れられるなんてことはありえねぇし組織内部での俺の株も上がる。win-winの関係じゃねえか!」



「俺はもう自分の理由だけで人を殺すのはやめたンだよ。それにテメェは上場さえもしてねぇ雑魚だろうが。」


ナイフを振り上げる。弔木の顔は、確かにこの血に塗れた状況には似つかわしくない笑顔だった。


「ありえねぇ。ありえねぇよ。」


振り返ることもなく、覚悟を決めたように男は俯く。もう諦めたようにありえない、ありえない。と呪うように呟きながら。



「――ありえねぇな。アンタがこんなにも落ちぶれているなんて。」



弔木が片岸達の視界から消えた。すると響いてきたのは遠くの廃倉庫群の山が崩れる轟音。片岸達が立っている場所からは数十メートルもの距離がある。だが、何故そこに弔木がいるのかは理解出来なかった。


「いやァ雑魚って言われちまったよ。あんな奴に。全く。一本はマトモに受けちまった。痛てぇなァ。」

「お前の力…なのか?」


「ああ。この膜の中では俺はいつもの数倍の力が出せる。あんな奴、敵じゃねぇよ。」

「だから彼処まで弔木を飛ばせたのか……?そんな出鱈目な…!」


伽井がそう言いかけた時に、ゼマーはじっと伽井の顔を覗き込む。


「……ん?ちょっと待てよ。アンタら。どっかで見たような気がすんな。」


また、男はヘラヘラと笑う。遠方の廃倉庫に打ち付けられ、何かに腕を固定された彼を嘲るように。だが、伽井はそれを受け流すように、慎重に言葉を選び、発した。


「仮面屋か?よく言われるよ。生憎そんな外道共、全くの無関係でね。ほらよ片岸。」

「あ?テメー何しやがるナイフなんか持ちやがって。まさかそれで俺に反抗しようってのか?」


ゼマーの目に飛び込んできたのは異様と呼ぶに相応しい光景だった。男がもう一人の男の腕を切り落とし、血を浴びて平然と立っている。


「何ぼさっと立ってんだよ。金髪の。」

「速……!」


ナイフの刺さった腕に一撃。

すかさず避けようとする身体に二撃。

硬化した腕は確かにゼマーに当たった。


はずだった。


「アンタも弱いな。俺の枷に力が通らない、ってあのガキに聞いたんじゃねえのかよォ!!」


だが、ゼマーは一撃を受ける前に枷を作り、受け止めていた。それによって片岸の硬化による物理攻撃は防がれたのだ。このままでは太刀打ちできない。それは明白だった。


その場に縛り付けられた片岸は身動きができないまま、硬化の制限時間を迎える。


「さて、どうせそこの事務員みたいなのと女も大した事は出来ねぇようだし。大人は大人の仕事に戻ろうかねぇ。」


猫撫も伽井も何もすることは出来ない。彼が何を以てそう考えたかはわからない。でも、彼に太刀打ちできる人間はもういない。ゼマーは拳銃も持っている。それを理解した上で、伽井は猫撫を止めた。


「それじゃ。殺すわけじゃないが聞いておこうか。言い残すことは?なんてな。話せるわけねぇよなァ!!もう死んでるんじゃねぇのか?ッハハハハハハハハハハハ!!」


この血腥く、渾沌とした空間に男の声が響く。男は笑う。煩く、止めどなく、高らかに。耳を塞いでしまいたくなるほどの嘲笑に、何もすることの出来ない二人はじっと、息を呑んだ。


居もしない神に、祈りながら。



◆◇◆◇◆



声がする。いや、本当にこれは声なのだろうか。波の音の様な、ゆらりと揺れる不確かな音。私の身体が宙に浮いたような、そんな不思議な感覚。

私が見上げていたのは、もう朝焼けの空じゃなかった。


「……っはぁ。」


目を開いた。これは夢か。幻か。夢だろう。何故また花畑にいる。さっきの作戦はどうした。何でまたここにいる。また頭がこんがらがる。

前方からした声はその全てをかき消して、私を落ち着かせた。


「あら、こんにちは。」

「……どうも。」

「今日は意識がハッキリしてるのね?」

「ええ、まあ。寝起きがいいだけでしょう。」


いつの間にか目の前に座って紅茶を飲む白髪の天使はニッコリと笑った。


「まず、なんだけど……その。」

「何でしょう?」


少し気まずそうに白髪の天使は紅茶をひと口。目を逸らし少し黙った後に私の目を見て話し始めた。


「貴方はこれまでに死んだ回数を覚えてる?」

「弔木に2回、あの黒いヤツに1回、で3回……あ。今ここにいるってことは4回ですかね。」


「そう。あなたは4回死んだ。雪華さん、貴方は何で天界が存在するか、知ってるかしら?」


なぜ存在しているのか。そんなもの、人がなぜ生きているのか、と同じくらい難しいものではないか。存在してても何らおかしくない。だが『そういう風に出来ている』というのも違うらしい


「魂の管理とか……?」

「魂の管理はまあ元々別の機関がやってたわ。だからハズレ。ここはね、『異彩』のサポートのためにあるの。」

「サポート、ですか。」


ええ、と頷いて彼女は続ける。


「致死免除送還、って聞いたことないわよね。」

「…無いですね。」

「『致死免除送還』って言うのはね、簡単に言えば鬼と戦う能力者の人には回数を決めて復活させてあげよう〜ってことなの。だからあなたも生き返れた。」


『致死免除送還』また難しそうな単語が出てきたものだ、と思ったがその気持ちに反して恐ろしく簡単な意味だった。そして恐ろしく便利だな。と私は感心した。


「その回数は5回、なの。この意味、分かる?」

「あと1回しか死ねない、って事ですか。」

「そう。大体の能力者は強くなるまでに使っちゃうんだけどね。貴方ははっきり言って今も弱いままだから。」


私には少し、重い宣告だ。まだまともに力も使えないのにあと1度しか死ねない。いや、この感覚が狂ってるのだろうか。本来、人間の生は1度きり。あと1度死んでも生きれるなら多いくらいだ。ならばまだ喜ぶべきだろう。


「だから、これからは気をつけてね。もし私が天使長にでもなれれば、そんなの変えられるんだけど。って言ったら怒られちゃうからあまり言えないわ。」

「はは。そうですね。」


白髪の天使はまた紅茶をひと口。花の香りが漂う。いい匂いだ。硝煙の香りとは違って……


「私、死んだんですよね。」

「え、ええ。そうね。それが何か?」

「ちなみに死んだのって……銃で?」


「銃で撃たれた時は生きてたわ。貴方が倒れた後、かなり皆ピンチになっちゃったんだけど、弔木君?って言うのかしら。この子が吹き飛ばされた衝撃で死んだわね。」


銃で撃たれたならせめてそのまま死にたかったものだ。こんなの、弔木にも責任があるんじゃないか。

「私、戻ります。」

「もういいの?せっかく来たんだし紅茶でも飲めば良いんじゃない?って、ああ。私から話があるのを思い出したわ。」


白髪の天使は何か秘密を話すように立ち上がろうとした私に顔を寄せる。小さな声で、私だけに聞こえるように。


「実はね。私、あなたの力のヒントを持ってるの。だから行く前に少し、耳を貸して。」

「ヒント、ですか?」



「――■■■■■■」



時間が、止まる。まるで結界の中に居るように、空が息をやめる。


「いい?これから1分だけ。目覚めたらきっと『貴方』は理解するわ。良いわね。そのまま歩き続けなさい。」


私はただ、闇へと進んだ。私の頭には、いつか見た夢がいた。遠い、遠い日の談話。少女と父親は星に微笑み、月を羨んだ。

目を覚まそう。夢は終わりだ。


長く、永い夢から、少しだけ、覚めていよう。

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