第18話『取引』


寒い。思い浮かんだのは単純にそんな感情だった。夏の始まりだからだろう。立ち込める朝靄の中を、私はゆっくりと歩いていた。辛うじて数十メートル見えるくらいの朝靄は、私の背後をゆっくり走る車さえも薄らと覆っていた。


何分歩いただろうか。少しずつ朝靄が晴れ始めた。目的地はいつの間にか数メートルの位置にあった。


「ここで、いいんだよね。」


時刻は午前五時。周りに人はいない。静かに、と言っても昼の喧騒に比べれば。いや、私は大きな音で思い切り倉庫のシャッターの壁を叩いた。

作戦が始まる。気を引き締めていかないと。

心臓は鼓動をより一層早め、少し呼吸を苦しくした。

奥からはビデオ越しにあった金髪に白いスーツの男が姿を現した。


「来た。夜汐澄香さんはどこ。」


「……六条雪華!約束は明後日のはずだろうが。…っまあこっちとしても好都合だ。夜汐澄香ならあそこにいんだろ。」


男はそう言って少し慌てた様子を見せたあと親指で奥を指した。


「夜汐さん……!」

「おっと待ちな。そう簡単には行かせられねぇよ。」


駆け寄ろうとした私に、男の腕が止めに入る。そのまま押し戻された私は元の位置に立つ。


「映像でも言った通り、こっちにも事情がある。まずは取引に応じてもらおうか。」


来た…!ここで持ち出して来るとは思わなかったが、ここで交渉に成功すれば上手くいく。


「…わかった。説明して。」


「先ずは改めて自己紹介だ。俺の名前はゼマー・ビンチ。アルジェントの幹部をしている。」


男は自分の名前を語る。ビデオの通り、何だかムカつく男だ。


「本題だ。俺はアンタの体がほしい。取引がしたい。ああ、別に変な意味じゃない。アンタ、無能力者なんだろ?この世に一人の。売ったら凄い金になる。これで俺の手柄って訳だ。」


またヘラヘラしながら男は続ける。


「きっと最優能力者なんか比にならないくらいに価値がある。何千万、いや、何億、何兆。国家資金レベルの金が集まるかもしれない。一攫千金だ!」

「それで?」

「お前が俺に付いて来るっつーんだったら夜汐澄香は今ここで開放する。まあ歩けるかは知らねーけどなァ!」


男は空を仰いで大きく笑った。まだダメだ。苛立ちを、殺意を、抑えろ。

頭の中は苛立ちで一杯だった。夜汐さんを苦しめておいてこいつは金のことしか考えていない。我慢、しないと。


深呼吸して私は一言、言葉を選びながら話す。


「もし、応じなかったら?」

「今この場でアイツを殺す。それか……まあいいか。で?どうすんの?」


男は私の方を向いて少し言葉の圧を強く、放った。ここから先は私がどれだけ恐怖を消せるか、相手を欺けるかで変わる。冷静を演じるしかない。


「話は分かった。でも、こっちも条件を出したい。」

「あぁ!?テメェ立場わかってんのか!俺は今テメェも殺せるっつってんだ。考えてから物事を――」


「恫喝は意味無いよ。こっちの話も聞いてもらわないと平等じゃない。取引をしたいって言うんならこっちの話も聞くのが道理じゃない?」


「……っまぁいい。そっちの条件はなんだ。早く話せ。」

「一つ。今ここで夜汐さんの枷を外すこと。もう一つ、私の質問に答えること。」

「何言ってんだテメェ。馬鹿か?」

「最後まで聞いて。それさえ叶えば私は私は貴方に付いて行く。」


男は夜汐さんの方をチラリと見た後、舌打ちをして大きくため息をして私に話した。


「それなら仕方ねえ。先ずは質問から聞こうか。ただし二つまでだ。」


予想より少なかったが絞れば十分だ。たった二つ。聞きたいことは聞き出せるだろう。だが、時間稼ぎなるか。もう少しだけ、時間を引き伸ばさなければ。


「十分。じゃあ一つ目。私はあの映像を見てあの枷。貴方の能力だと思ったんだけど。それについて説明してほしい。」


「あれは俺の力だがそれがどうした?」


「それの系統を教えて欲しい。」


「あ?『緑』だ。」


……おかしい。何故こいつの彩が緑なんだ。弔木は『黄』だと言っていたはず。彩の突然変異なんて過去には無かったがどうもこの顔と口ぶりを見る限りそんなことも無いようにも取れる。



「そ、そう。じゃあ次、二つ目。夜汐さんは何で貴方に暴行を加えられたの?仲間じゃないの?」

「ルール違反をしただけだ。んで俺が見つけたってわけ。それで終わりか。ほらよ。あいつの枷は外した。まあ動けないだろうけどな?」


「あーと、一つ、俺からも質問したいんだけどよ。いいか?」


意外と短く返されたことに一瞬戸惑ったが何とか持ちこたえた。男はまたヘラヘラと笑い、唐突に質問がしたいと言い始めた。

正直さっきの恫喝の時から怖くて右手の震えが止まらない。ポケットに隠しているから見えてはいないのが救いだろう。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「準備は?」


伽井は運転席で振り向き、後部座席に座った二人に確認を行った。


「俺はいい。」

「大丈夫にゃ。多分。そのうち朝飯吐くけどにゃ。」


六花が居ないだけでなんだか物足りない『仮面屋』は、朝靄の中をゆっくりと走っていた。前方には六条雪華。周りに何が居ようと怪しまれぬよう、距離を取って。


「丁度大倉庫の斜め後ろに多少高い崖がある。そっからなら飛び込めんだろ。」

「そんなに飛べるにゃ?」

「まあ最悪、猫撫が」

「嫌にゃよ。吐くものがないってのも辛いものにゃよ。」


思い切りアクセルを踏めば何とか屋根に飛び込めるくらいの高さの崖がある程、人目につかないように地面を掘り下げて作った廃倉庫群。

正直、やったことのない事だから仮面屋はワクワクしていた。


まるで映画みたいに崖から車で飛び降りて登場。人生死ぬまでにやってみたいことランキング第5位くらいには入るであろう事だ。


「届くのかにゃ?」

「最悪片岸をクッションにすればなんとでもなる。」

「痛いじゃねぇか…」


片岸はビビりである。体は人並み異常な癖にメンタルは人並み以下だ。

何をするにしてもいちいちビビる。仮にもリーダーなのだからしっかりしろ、と伽井は毎度思う。だが、重労働をさせられてるのは確かなことだから口には出さない。


「さて、着きましたよっと。」

「人通りが全くないのが救いか。六条さんも入っていったな。まだ何か話してる。」

「あの殺人犯はどこいったにゃ?」


なんと弔木がいない。と言うか見えない。どこかには隠れてるのだろうが分からない。


「あいつ、なんて言ってるかわかるか?それに六条さんも。なんか随分冷静だが。」

「んーなんか真面目に話してるにゃね。あっ話終わったみたいにゃ。」


猫撫では後部座席に置いてある六花がいつも使っている双眼鏡でじっと会話を見て、そう言った。


「てことは解放させたってことじゃないか?行くか。開けたところに落ちる、だったか。」

「…あいよ。」


エンジンをかける。後方に人がいないことを確認し、助走をつけて思い切りアクセルを踏んだ。恐らく速度は法定速度なんて超えているだろう。そんなことも気にせず一気に飛ぶ。目指すは六条雪華の付近。ただ只管に、真っ直ぐに進み車は地面を離れ、宙を――


「……おい。なんだよこりゃぁ。」


一瞬、何かが目の前で光、バチバチと音を立てて自分たちが乗っていた車は消失した。

何が起きたか理解のできない3人。高さは少しあったが尻餅程度で住んだのが幸いだ。理解の追いつかないまま、放心状態の3人は立ち上がる。


「「「……は?」」」


3人の口から漏れたのは率直な感想だった。何故も何でも出てこない。本当に今感じたことがそれだけだったのだから、仕方ないとも言える。



◆◇◆◇◆



「質問したいんだけどよ。いいか?」

「質問……?」


突如響いた轟音。漂う硝煙の香り。それは彼の持っていた拳銃から発せられたものだった。

ならば、玉の行方は?


――痛い。そう感じ、手で腹を抑える。見てみると玉は、私を貫通して私の腹の右の方に小さく、穴を開けていた。

私は思わず膝から崩れ落ちる。

じわじわと周りに血が広がっていく。

なんだこれ。熱い。痛い。苦しい。前に感じたことあるなこの感じ。

ああ、『真っ黒』の時か。

視界が暗転を繰り返す。




「――鉛玉を食らった感想はどうだ?」



「な、んで……」


血が止まらない。止めたいのに。何でこんなにも。早く。血が。ああ、誰か。

朦朧とした意識のまま私は倒れた。

死んではいなく、見つめているのは日が昇り始めた空だった。

身体が動かない。また、失敗かなぁ。

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