第13話 『作られた希望』

【午後15:30、六条邸】


家に到着した私達はすぐさまリビングへと駆け込む。片岸さん達がこんなにも慌てているのだから余程のことだろう。

渡された1枚のDVD。それは真っ黒な封筒に入れられたなんとも不気味なものだった。



「初めまして、六条雪華。」


画面の向こうの金髪の男はニタリと弔木の笑顔のようなものではない、気持ちの悪い笑みを浮かべて挨拶をする。

薄汚れた背景を、私は何となく悍ましく感じた。



「俺の名前はゼマー。ゼマー・ビンチ。アルジェント、聞いたことあるだろ?この街で一番デカいマフィアだ。その幹部をしている。」


「――俺がいかに凄い男かを語ってもいいが……まあ今日はそんなことじゃない。これを見ろ。何かわかるな?」


そこに映し出されたのは傷だらけの拘束された少女だった。その少女には見覚えがあった。彼女もまた、つい最近知り合ったばかりだった。



「夜汐澄香……!」

「単刀直入に言おう。『夜汐澄香』の身柄は拘束した。この女の命、助けたきゃ三日後に見武宗近くの廃倉庫に来い。来ない場合はこいつを殺すしその後に俺たちの手で任務を遂行する。」


冗談を言っているかのようにヘラヘラと笑いながら用件を伝える彼は最後、数歩前に出るかと思うと声色を変えて小さく呟く。




「――それじゃ、来いよ?無能力者さん?」




暴行を加えられたような傷を負い、手足を拘束された少女を映し、画面は暗転する。そこでビデオは終わっていた。


唾を飲む。心臓が激しく鼓動を続ける。その心臓の音さえ聞こえてきそうな程に、この部屋は静寂と不安に包まれていた。私にのしかかったのはあまりに大きすぎる絶望と不安だった。



「そう来たか……そんで、これが俺達がヤバいと思う理由だ。」


指を刺されたのは真っ黒な封筒だった。

DVDが1枚入るほどの小さなものだがどう見ても普通の封筒。どこにでも売っていそうなものだ。



「これが……何か?」

「これは奴らが殺す相手に送る封筒だよ。つまり行かなきゃ殺されるし行っても殺すつもりだ。」


伽井さんはそう言って煙草に火をつけた。

映像の彼が言っていた任務、それは恐らく私のことを殺すことだろう。

だが、『あちら側』の夜汐澄香が、なんで暴行を受けているのだろうか。



「アルジェントがもうじき動き出すとは思ってはいたが……こんなにも早いとはな。」


片岸さんは腕を組み、俯いて溜息をついた。

溜息さえも出せないほどに、この部屋は重たい空気に包まれていた。



「どうするにゃ?『黒封筒』に入ってたこれを見た以上私達も無関係じゃないんにゃよ?」

「しかし……罠の可能性も無くはない。そうだろ?藤城さんよ。」

「そうだな。だがあの様子だ。100%罠という訳では無いだろ。」


皆が口々に話し合う中、弔木だけは強い目で何かを決めたように考えていた。何を考えているのかもわからないがその目は、きっと彼の中で何かが決まっているというような感じだった。

そして小さく頷いたあと、彼は私に話しかけた。



「……六条、どうすんだ。」

「どうするって……どう、したらいいのかな。」


変な汗が出てくる。それが焦りによるものなのか、それとも恐怖によるものなのか、若しくは、別のものなのか。それさえも分からなくなってしまうほどに私は混乱していた。


それでも、少しでも『助けたい』という気持ちは心の奥にはあった。だが、それを口に出す力はまだなく。



「わ、私は……やっぱり……!」

「六条さん。俺はやめといた方がいいと思う。」


伽井さんは私に向かって気だるげに呟いた。いや、気だるげなのが伽井さんの普通なのかもしれない。だが、何となく前にあった時の彼とは違う気がした。


それに対し猫撫さんは少し不機嫌そうに問いを投げかける。



「む。なんでにゃ?」


「捕えられていたのはあの夜汐澄香だ。Bクラス能力者がそんな簡単に捕まると思うか?」


「わな、かもね。おじさんは?」

「おじさん……あ、俺か。俺も反対だな。もし六条さんの身に何かあれば……それにお前らだって死ぬ可能性もある。」


藤城さんがそう言いかけた時、弔木は雑誌を捲る手を止め、私の方を見た。



「……それを踏まえてだ。六条、お前はどうしたい。逃げたきゃ片岸達も協力はできるだろ。だが行くなら、止めはしない。」



罠の可能性が無いわけじゃない。それはこの場の全員が理解している。


だが、もし仮にこれが罠ではないとしたら。彼女は今も苦しんでいることになるしあのゼマーという男はBクラス能力者を、ねじ伏せることの出来る実力の持ち主という事だ。

つまり無能力者も同じの私が突っ込んでいったところで殺されるのは必然だ。

だが、彼女が苦しんでいるのなら。


「私、は…」


私の答えは無謀極まりない言葉になるだろう。

声が出せない。多分これは、恐怖だ。

死のカウントダウンに対する拭う事などできない、呪いとも言える恐怖。


息が詰まる。誰かが私の首を絞めているみたいに苦しい。言葉が出てこない。居心地の悪い畏怖が背中に這い寄るようだ。きっと、それが私の首を絞めているのだ。だから声が出ない。


ああ気持ち悪い。この恐怖がでは無い。それに怯える、私という臆病者が、だ。震えが止まらない。今にも狂ってしまいそうだ。


でも、ここで言わなかったら。

今、彼女を助けなかったとしたら。

無理矢理に自分自身に植え付けた『希望』は、醜く、無謀な、ただの自己暗示でしかない。

だが今はそうしないと。彼女が救われない。

それなら私は。




「……行く。行かなかったらきっと、一生後悔する。」



今ここで答えを無理矢理にでも出す。

私の心の奥の何かが、これが正しいと言った気がした。まるで恐怖を掻き消すように、不安を根底から取り除くように。


道は決まった。これが私の正義なのだ。恐怖が消えた訳では無いし、今も実際手の震えは止まらない。でも、これでいい。これが正しい。

その正義も、肯定もただの無謀で無様な自己暗示でしかない。だが、私という臆病者が希望を見出すにはそれで十分だった。



――それが私の命を捨てる結果になったとしても。



斯くして『夜汐澄香救出作戦』は開始された。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「お、まだ生きてんのか。」

「こんなことで、死ぬわけ、ないでしょう。」


傷だらけのの少女は力強く、自分を見下す男を睨んだ。


「随分生意気な口を叩くこった。お前、立場わかってんの?今殺してやってもいいんだぜ?」


冗談めかしてさらに少女を嘲る男は1発、少女の腹に蹴りを入れる。


「……くっ…こんな枷、無ければ死んでるのは貴方よ。それに貴方は私を殺せない。目的は六条雪華という一人間の『身体そのもの』だもの。」


「チッ………まぁいい。こっちには『コレ』がある。負けることはありえねぇよ。」



この暗がりの中にはケタケタと気持ちの悪い笑いが響いた。1発、また1発。何かを殴る音と共に。

それは誰が聞いても気持ちのいい音では無いだろう。

笑って、嗤って、哂う。途方も無く、男の声はこの闇に響き続ける。


床には誰のものかもわからないほどに暗闇にぼかされた何かの液体が撒き散らされる。


彼女はまだ希望を捨てていなかった。捨てるべき希望を持ち続けたのだ。


だから、彼女はまた強い目で彼を睨んだ。

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