第9話『夕日の不安、夜闇の道化』
――それは、大輪の華だった。
美しく煌めく夕陽色の大きな花。
私はそれの存在を顔から数センチ程しか離れていない状態になってから気がついた。
ただ、嗅いだのは蘭麝ではなく、硝煙。
「あら、逃げないのね?諦めたの?」
口元を緩ませ、心底嬉しそうに笑みを浮かべる彼女は軽蔑するように鋭い視線を私に向けた。
「いや、動けないかな。足が震えて。あと私の予想だとその大きさの能力なら逃げても死ぬよね、私。」
あまりに大きすぎるそれは私の身体を覆うほど、大きく、可憐だ。
夜汐澄香は一瞬驚いたように目を見張り、呆れたように大きく溜息をついた。
「なぜそんな余裕があるのかわからないわ。呆れた。」
「まぁ、私が死んでも、ね?」
その言葉に、夜汐澄香の目はさらに鋭く、強いものになった。それは嫌悪でも憎悪でも呆れでもない、彼女だけが知っている何かの強い感情。
「……まあ、そうね。ならば精々私に殺されるまでは生き延びるのね。」
彼女の表情の中にあったのは焦りだった。
悔しそうに彼女は力を弱める。
大輪の花は散り、そこに残ったのは先程と同じ静寂だけだった。
「六条さん!」
片岸さん達が駆け寄ってくる。
恐らくこの蔵から漏れた光に気がついたのだろう。
今が真昼ということもあってすぐには気づかなかったらしい。
「いえ、なんでも。何かありましたか?」
「光が見えたような気がしたんにゃけど……」
「ひかってた」
「光ってたか?」
やはり光が漏れていたらしい。
だが伽井さんは気づいてないし『気の所為』で済ませられるだろう。
「気の所為だろ。俺はなんも見えなかったぞ。」
ナイス弔木。
彼が馬鹿でよかった、そう思ったのは今回が初めてだった。だが夜汐さんは静かに口を開く。
それは挑発だった。私の目から見ても明らかな。
「今、私が彼女を殺そうとしたのよ。『仮面屋』さん?」
彼女はまた笑みを浮かべる。愉快そうに。
「ほう?そりゃどういう事だ依頼者さんよ。
……それにその名前、知ってるってことは表の人間じゃねぇな?大元マフィアかヤクザの手下ってところか?」
片岸さんの話し方がなんとなく、変わった気がした。
先刻会話した時と雰囲気が違う。決定的に、何かが。そんな気がした。
「ご名答。私、『アルジェント』に雇われてるの。」
「『アルジェント』だと…?
壊滅したんじゃないのか!?」
彼女は笑みを浮かべ続ける。彼の表情、反応を楽しんでいるようだ。
周りの空気は重く、静寂はこの家を包み込んだ。
「ええ、壊滅したわ。そこの殺人犯によってね。でも彼は重大な見落としをした。その所為で何人の人間が傷ついたのかしらね?殺人鬼さん?」
「てめぇ…!」
「いい、片岸。やめろ。」
弔木は静かに片岸さんを制止する。
その表情に怒りは無かった。
だが、多分。彼は今少しだけ怒っている。
私の勘違いの可能性も否定はできないがもしそう出なかったとしたら、彼の怒りを見るのはこれが初めてだった。
「それで…」
「うん。アルジェントはいいにゃ。なんで雪華さんを殺そうとしたんにゃ?」
猫撫さんは首を傾げて問いを投げかけた。
そう言えばそうだ。
そもそも私が命を狙われる理由が分からないままだった。
「直、わかるはずよ。
そうね…一つだけ忠告しておくわ。」
彼女は私を見て微笑んだ。
「――『檻はもう見つかった』」
彼女はその言葉を残し立ち去った。
直にわかる。檻は見つかった。
意味は理解できない。私にはただ不安だけが募っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ねえ弔木。」
「あ?ンだよ。」
「私ってなんかおかしいのかな。」
片岸さん達が帰ってから数時間。
ボロボロの家の中で二人はようやく足の踏み場を確保して、ただ何かをするわけでもなく座り込んでいた。
「頭の話か?体の話か?」
「頭は大丈夫だと思うよ。一般人だったわけだし特殊な話に理解力がないだけであって。」
「まあそうだな。じゃあ大丈夫だろ。」
私は元々一般人。住む世界は彼らとは違った。
理解力がない自分にうんざりなのはこの数日間、私としても辛いことではあった。
「ねえ弔木。」
「ンだよ。」
「私って殺された場合また生き返れたりするのかな。」
「んなわけねえだろ。俺が殺した時はあっちに頼んだし確率だ確率。」
思えばここ数日で私は何度も死んだ。
計3回ほどだっただろうか。死んだという現実はあれども私はしっかりはっきり覚えている訳では無い、というのが現状なのだが。
「100%じゃないの?」
「ああ。『天界』に直で行けんのはのは確率。大体は魂貯めとくとこに行くらしい。まあそこで天使に拾われれば天界には行けるが……」
「じゃあもし私が夜汐さんに殺されたらもう終わりか。」
「……俺じゃねえからな。人間だろ。お前はよ。」
私と弔木は穴の空いた天井を見つめて、大きく溜息を吐き出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やあやあ!夜汐澄香さん!
お元気かな?元気じゃなさそうだ!」
気さくそうに男は少女に声をかけた。
どこから現れたかもわからないその細身の男は少女の目的地あと数十メートルと言ったところで声をかけてきた。
当然、少女は不機嫌になる。
「何かしら。私、今日は貴方に用はないのだけど。」
「今日も冷たいなぁ。君が僕に用がないのはいつもの事じゃないか。
用があるのは僕の方だ。あの娘のことでね。」
「……何かしら?」
「―― × × × × × × × 。」
少女の目が変わった。
その夕日は夜闇に輝き、闇を払う。
少女の服の裾からは金色の光が漏れていた。
「……させないわ。そんなこと。
この私が生きている限り。」
「ははははは!冗談だよ。
そんなに本気にならなくったっていいじゃない。
僕にそんな力があるわけでもなければ味方も部下も居ないんだからさ。」
男は続ける。おどけてみせるが、それは逆に少女の精神を逆なでするだけだった。
「それに、僕としてもその展開は実につまらない。まだ楽しめる
「……狂ってるのはあなたの方じゃない。」
「そう言われると……そうなのかな?」
その男は『狂っている』と言われたのは初めてではない。
だが自覚などする意味もない。
『確定』というのは彼にとって面白みのない展開なのだから。
「まあ、何にせよ夜汐さんはそろそろ行動を起こさなければいけない。分かってるんだろう?」
「……私を含めて全員、貴方の『楽しみ』に成るつもりなんてないわ。」
わかっているさ、と男は不敵な笑みを浮かべる。暗闇に溶け込むように立っているその男に、少女は宣言する。
「私、貴方が大嫌いよ。」
「嫌われてるのは知ってるけどさぁ。
まあ僕は面白ければ君たちのことはずっと好きなんだけどね?」
少女はそう言って目的地まで足を急がせた。
男は、全ての人間を愛す変態でもなければ一人の人間だけを愛す偏愛でもない。
ただ、面白い人間が好きなのだ。
そんな彼もまた世間から見れば『異常』なのだ。そんな変わり者を人は『狂人』だなんだと侮蔑する。だがそんなことは彼にはどうでもいい事だ。
『狂人』は闇に溶ける。その存在さえも曖昧にしてしまうこの闇に彼は居心地の良さを感じた。
彼は進んでゆく。人のいない、暗い夜に。
男は『楽しみ』を求めて歩く。
退屈が大嫌いだから。
「……だからまだまだ楽しませておくれよ?」
その誰に向けて言ったかもわからない言葉は、
闇と静寂の中へと消えていった。
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