第8話『夜汐澄香』
「父さんはね、間違えすぎたんだ。」
是は、少女の夢のような日々の小さな小さな欠片。
少女だけが覚えている失われた日々。
男は真白の月を、そこに愛しい人がいるかのように見つめて、少女に語りかけた。
その目は愁いに満ちた静かな目だった。
「まちがえたの?」
曇りのない無垢な目で男に問う少女もまた、その言葉を聞きながら真白の月を見上げる。この草原の蛍も、二人を包むようにしてこの夏の終わりの空の下で瞬いた。
ああ、本当に夢のようだ。男はその夢を嚙みしめるように少しの間目を瞑ったのち、無垢な問いに答えを返す。
「ああ。間違えたすぎた。...間違えを直そうとした時には遅かった。」
男は諦めたのだ。世界の救済を。
そして掴んだものは何も無く、そこにあったのは一種の呪いと、後悔。
彼は知った。願ったところで意味は無く。夢も所詮は夢でしかなかったのだと。
その先にあるのは、絶望でしかないと。
「もうどうにもならない?」
それでも、この無垢な少女はまだ知らない。また、曇りのない瞳を男へと向けた。
「うん、どうにもならない。なんでも願いが叶う魔法とかがあれば話は別だけどね。過去は変えられないし父さんは魔法使いじゃない。そんなのはお話の中だけだよ。」
追い求めたものを自分で存在しないことを証明してしまうだなんて皮肉なものだ、男はそっと心の中でそう呟いた。
だがそれを遮るように次の質問を少女は投げかける。
「もし、そのまほうがあったら父さんはなんて願い事する?」
「はは、そうだな。父さんは――」
何もかも諦めた男がそう言うとともに、この夢は終わりを告げる。
蛍も星も瞬くのを止め、静寂が訪れた。
それはまるで誰かにスイッチを切られたように、突然に。
父はこの数ヶ月後、眠るように息を引き取った。なんだか長い名前の病気だった気がするがこの時の私は3歳。覚えてはいなかった。
「――父さんの夢、なんだっけ。」
夢は覚めた。目を開くとそこには大きな花畑。
私はいつの間にやらその花畑の中にある小さな椅子に座っていた。
暖かな日差しのもと、子供達は小道を駆け回り、手をつないで座っている老父婦は互いの温度を感じて、この平和に浸っている。
まるで天国のようだ。争いもなく人々が平和に......
「お目覚めですか。六条さん。」
声がした方を見ると見覚えのある女性。前に出会ったときは数分だったが私は確かにその優しそうな青い目を覚えていた。
そうつまり、ここは......
「天界へようこそ。以前は『急げ』と言われており、手早く済ませて名乗らず申し訳ありませんでした。私、天界案内役天使、エレノアでございます。」
微笑むその女性は私にお辞儀した。
「...吸っていいですか?あ、吸います?」
正直、耳を疑った。天使がタバコを吸うのは初耳だ。だが、別に煙草をひどく嫌悪しているわけでもないので。
「いえ、大丈夫です。そっちも大丈夫です。」
「わかりました。」
短く返事をした彼女は普通のものとなんら変わりのない市販の煙草に火をつける。
どういう原理か煙草から匂いはしなかった。
「本日は聞きたいこと、というか気になることがあってお亡くなりになってすぐここに座っていただいてます。すいません。」
吸ってるんだけどね。というクソ寒い冗談はさておき、本題に入る。
だがだいぶ記憶が曖昧だった。前に来た時のような寝ぼけているような感覚。
天界に来た時の副作用か何かなのだろうか。
何にせよ私は死んだ。頭ははっきりしてないがそれは確かだった。
「気になること...ですか?」
「ええ、本日は一つだけ。まあ本当は沢山あるんですけどね。」
そう言ってエレノアさんはクリップボードをどこからか喚び出した。
こちらも私たちの世界で売ってるごく一般的なものである。
用紙に何かを書いたエレノアさんは煙草を取り出した灰皿に置くとこちらを向き、にこやかな笑顔で
「まず一つ目、単刀直入に聞きます。雪華さん。『彩』を使いましたね?」
「使ったんですかね...?正直、よく覚えてなくて。」
まだ寝ぼけているような感覚はなんとなく続いていた。だから本当に私が何かしたのかさえも曖昧で不確かな現実だった。
「そこでおかしなことが起きたんですけど自覚は...ないですよね。
ですので一応の説明を。」
何か不味いことをしでかしたのだろうか、と不安になっている私を横目にエレノアさんは全くわからないと言ったように首を傾げて唸っていた。
理解不能。数秒の沈黙の後、二人はため息をついた。
「...まず、基本知識として彩は8歳までに発現し、10歳には中期完成形、12歳には完全に能力が開花する、というのはご存知ですね?」
「は、はい。授業で何度か習いました。」
口元に手を当てて眉間にしわを寄せた彼女の口からは『うん、違う。』と、小さく漏れた。2本目のタバコに突入した彼女は続ける。
その目は先程よりも鋭いものだった。なんとなく、空気に重苦しさを感じた。
「――雪華さん、あなたはこの数日でその『序列』をすっ飛ばした。天界及び人類の記録において異常であり偉業です。」
卵から鶏が生まれるようなものなのだと思う。カエルの卵からカエルは生まれない。それがこの世界における大概の生物の中でのルールだろう。
彩も同じことだ。
26年前までこの世に存在しえなかった超常的な力。だからこそ何が起こっても不思議でないとも言えよう。
だが、『それ』はもう人のモノになってしまった。
超常は日常になり、
だから人は異常の中にある異常を特別視する。
もちろん、無能力も含めて。
でも私にはその異常の凄さは到底理解できるものではなかった。
「それってそんなに大変なこと...なんですか?」
正直に言うと差して大変なことではないように感じた。だがそれでも、エレノアさんの目つきは鋭く、重苦しい空気は依然として変わらぬままだった。
「これ自体は大変なことではないのです。でも...」
「...でも?」
一呼吸おいてエレノアさんは私の目をまっすぐ見て、答えた。
私にはまだこれがどれほど大変かはわからなかった。
故に私は閉口する。だが、一つだけ、なんとなく分かったことがあった。
たった一つの揺るがない現実。
変えようのない世界の概念。
......この世界は、きっと私が嫌いだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「お、起きたか。」
彼の素っ気無い声と共に見上げたのは蔵の天井。この蔵結構大きいんだな。
なぜか私の周りには見知らぬ青年、少女らが取り囲んでいた。
「本当に生き返ったわ.....でも、そんな」
「.....マジか」
「不思議だにゃ~」
「くびくっついたね」
「報告が増える.....」
口々に彼らは目の前で起きたことへの衝撃を口にした。そもそも誰なんだろうか。なぜ私の家に?
「首.....?何が起きたの.....」
私がそう小さく呟くと、弔木は笑いながら話す。
首、というよりも折れていたであろう腕のほうが何となく、痛みを感じた。
「俺がお前の首を跳ね飛ばして今、くっついたとこだな。」
ああ、今まで忘れていた。
というか思い出したくなかった。
靄が少しだけ晴れた。死に際、わざと
さっきまで戦闘をしていたこと。多く傷は負ったが何よりも首の落ちた自分の体を見たというのが一番深い傷だった。
「あらら落ち込んでんな。まあ落ち込むか。首切れ」
「そこまでにしとくにゃ。首は今禁句にしとくにゃ。」
そうだ、この人たち。全く面識はない。いつの間にか家にいたけどこの人たちは誰なのだろう。
背の高い男に目つきの悪い男。幼女に猫みたいな女の子と黒髪の美女。
怪しいといえば怪しいが何となく悪い人たちではなさそうだ。
「えっと、貴方たちは.....?」
「それもそうにゃよね。わからなかったらそりゃ困惑するにゃ。」
猫の耳のような帽子の彼女は困ったように微笑んだ。弔木は気がつけば呑気に座ってお茶をすすっていた。自分は関係ないといった風に羊羹まで食べていた。
「まずあっちの目つきが悪い事務員みたいな格好した男、これが伽井雄一郎。彩の名前は『千の馬』。
まあ近くの車なら操れるって感じにゃね。」
伽井、と紹介された男は気づけば弔木の横で一服していた。
こちらに気づいたのか、微笑んで手を振ってくれた。
「んでこのでかいのが片岸誠司。彩の名前は.....なんだったかにゃ。硬化するんにゃ。
おーい片岸ー彩の名前なんだったかにゃ~」
「ん、ああ?これだ。長くてあんまり覚えられん。」
弔木に貰ったのか私の羊羹を丁寧に切って食べている彼は私にスマホを向けた。
『不落の鋼鉄壁』それが彼の彩の名だ。如何にも堅そうな名前だ。
「んでんでこの子の名前は六花。拾ったにゃ。彩の名前は『空色の夢』、なんにゃけど.....
まあいろいろあるんにゃ。これはまた、そのうちってことで。」
片岸さんの横で羊羹を頬張るダボいパーカーにアホ毛の生えた幼女だ。可愛い。
年齢が年齢なら何かの物語の主人公になってそうなほど属性がマシマシだ。
拾った.....とか聞こえた気がするがとりあえず聞こえなかったことにしよう。
「そしてこの私が猫撫椎名。彩の名前は
『化け猫の目』『化け猫の耳』『化け猫の脚』にゃ。まあ『探知』『読心』『転移』って感じで多重能力所持者.....『多彩』なんにゃ。
私共々、以後お見知り置きを。にゃ。」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします.....えっとあの、もう一人の方は.....?」
周りを見渡しても縁側で羊羹を食べる弔木たちしかいなかった。羊羹はすでに三本目に突入していた。
私が取っておいたものではあるが、まあお金には困ってないしまた買えばいいだけのことだ。
特に気にすることでもないだろう。
それよりももう一人、黒髪の少女がいたはずだ。どこへ行ったのだろう。
探す必要はなかった。私が先刻まで倒れていた蔵の中に彼女は立っていた。
賑わう縁側とは真逆に、時が止まったような静寂だけがある空間に黒檀のような黒い髪は揺れた。その飲み込まれそうなほどの美しさに、私は息を飲む。
じっと私が倒れていた場所を見つめる彼女に私は静かに声をかけた。
「あの.....あなたはあっち、行かないんですか?」
「.....そうね。」
会話がすぐに終わってしまった。
なんというかここまで話が続かない二人だけの空間は気まずくてしょうがない。こういう空間は苦手だ。
このままここにいるのもなんだか変な気分だが声をかけておいて『はい、そうですか』と素直に立ち去るのもなんだか失礼な気がする。
「やっぱり痕跡が.....うん。うん。そうなると.....」
独り言まで言い出されると本当にどうすればいいやら。本当に気まずい。どうしようものかよ考えていると。少し焦っているようにも見えた彼女は数分の沈黙の後、振り返ってやっと口を開いた。
「用件を言わないとね。私、今日は貴女に会いに来たの。」
「私に、会いに来た.....?」
もちろん彼女とも初対面だ。
過去にあったことはないし両親の知り合いの関係、というわけでもなさそうだが.....このような美少女とお近づきになれるようなことをした覚えもない。
「ええ、貴女に。」
「それは一体どういう.....」
そっちの説明もしなきゃね、と彼女は小さく、静かに呟く。悲しげな顔で。
黒檀のような黒髪は揺れる。
外から風は吹いていない。
これは言い訳に過ぎないことだが、正直、助かったからと言って油断した。
彼女の右腕は輝いていた。
まるで燃えるように。
今、彼女の手は間違いなく『
逃げることもままならないまま、彼女の火力は最大へと至る。
思い浮かべたのは見ているだけで焼かれてしまいそうないつかの夕日。
それは気高く、美しい橙だった。
「じゃあ、自己紹介。私の名前は
そして――」
裏切られた、というと少し違う。
でも少しの可能性も信じてなかったと言えば嘘になる。
一呼吸おいて彼女は閉じた目を開いた。
「――覚えておきなさい、六条雪華。これが貴女を殺す人間の名前よ。」
彼女の腕の光は勢いを増す。足が動かない。彼女は口元を緩ませ、微笑んだ。
彼女が腕を伸ばしたところでようやく気付いたのだ。もう遅い、と。
確信させられた。いや、分かっていたことだろう。
......やっぱり、この世界は私が嫌いらしい。
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