第6話『右手の夢』

蔵の中に倒れている少女が一人。

少女は突如として現れた『真っ黒い何か』に投げ飛ばされ、自分の家の蔵で暫しの間気を失っていた。

腹はその『真っ黒』に破られ、この蔵の床に赤い絨毯を広げていた。

腕も折れ、頭からは血を流している。

脚にも打撲痕や切り傷。

外傷だらけだ。それでも。



――それでも、私は生きていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



ただ、何も無い草原。無限に広がる『無』。

真白の月だけが静かに草原を照らす。


大きな、大きな月だ。

手を伸ばせば届きそうなほど、大きくて丸い月。


それを眺めていると背後に草を分ける足音。

振り向いても誰もいない。

声がする。優しい声。


「初めまして。六条雪華。」


そよ風が吹い―――


瞬き。その一瞬でそよ風は熱風へと変わる。

ああ、見覚えのある光景。


赤い月。


燃える街。


壊れた世界。


私は知っている。

私だけが知っている。

私だけの夢の世界。


目の前にいたのは綺麗な女性だった。

草原の月のような、真白の髪。

こんな場所には似合わない。


「急ぎだから、手短に。『これ』持ってって。」


手に握らされたのは、まるで蛍のような小さな光。今にも消えてしまいそうな幽かな光。

微笑む彼女に言葉を掛けようとする。


だが声は出なかった。


「さあ、目を醒まして。貴女なら、きっと。」


目が覚めた。外から少量の光が射し込む蔵の中、一人ため息をつく。

気がつけば先の腹の傷は無く、頭の血も、折れていた腕も治っていた。

何処から何処までが夢だったのか。

それは私にもわからなかった。



――外で刃物の触れ合う音が聞こえた。



『真っ黒』と『彼』が刃をぶつけ合う。

『真っ黒』は自身の腕を。

『彼』は剣を。


彼は素早く『鬼』に斬りかかる。

鬼の二撃。彼の一撃は惜しくも防がれた。

鬼は一撃で彼の攻撃を受け止め、もう一撃で彼にダメージを与える。

速すぎる。これではどう足掻いても彼の傷が増えるだけだ。

攻撃を受けたことでよろけた彼の腹にもう一撃。鬼のもう片方の手。

つまり拳だ。


殴られた彼は吹き飛び、蔵の奥。

つまり私の真横へと飛んできた。壁に体を強打したことでおそらく彼は一度死んだ。

飛んできた速さ、腹への拳の威力から見るとビルの6階位から落とされたのと同等の衝撃だろう。


『前回』彼を殺した時の復活までの時間は一分ほど。

あの鬼がここに到達するまで約10秒。

応戦する能力も、彼を担いで走る力もない。

完璧な詰み。どうする。『何か』行動を起こさなければ。


彼を盾にするか?

それだと復活時間が伸びるだけだ。


彼を置いて逃げるか?

そもそも逃げられない。


もう一度腹を裂かれて時間を稼ぐか?

そんな度胸私には無い。


何も無い。骨董品の壺は沢山あるが武器になりそうなものが何一つない。

何より暗いため置くまで見渡すことは難しかった。


「…え……あ……」


辺りを見回している暇などなかった。

気づくのが遅かった。

既に『鬼』は目の前にいた。


恐怖で硬直した躰を無理やり動かす。

間一髪。髪の毛の先数本分を持ってかれたが片腕をかわした。

完全な偶然。次は無理だ。


度胸などなくとも迫りくる第三選択肢。それに怯える余裕など無く、次の恐怖が押し寄せてくる。


弔木の復活まで残り五十数秒。

壁に追い詰められた私は拳をギリギリで避けていく。何か。何か打開策を見つけないと。

そんな時、


突然目眩が私を襲った。


足がよろけた。なんでこんな時に。

なんでこんなタイミングで。

自分自身の体を恨んでいる暇もなく、目眩は強くなり続ける。まるで高熱を出したように頭と体がいうことを聞かない。


今は。今だけは持ちこたえないと――


「かは……ッ」


目眩いは止むことを知らずに加速を続ける。

どくどくと血が流れ出す。

腹には『真っ黒』な腕が刺さっていた。


鋭く刀のような腕ではない。

私の腹には拳が刺さっていた。


熱い。痛い。苦しい。死にたくない。

色んな感情がごちゃ混ぜになって頭がおかしくなりそうだった。

傷口が内側から焦がされるように熱く私は嗚咽する。息が詰まる。痛みだけが募る。

滴る血はじわじわと地面を這っていく。


弔木の復活までまだ30秒ほどだろうか。

それまでに私は死ぬんだろうな。


大穴から流れ出す血は、彼の元に届く程に伸びていた。

私が死んだら、彼はどう思うのだろうか。

…きっと怒る。怒るし殴られる。

私の代わりになる人間が見つかればいいのだが。

約束して数日で死ぬなんて情けない。

……何でこんなに彼の心配ばかり。

でもやっぱり彼のことは大嫌いだ。

顔を思い出すだけでイラついてきた。

こんな時なのに。

でも、悲しませるのは嫌だ。


なんてことを考えていると本当に全く力が入らなくなった。体が鉄になったように重い。

私は自分の腹を見ながら私は膝から崩れ落ちた。


既に痛みなどは感じず、後悔が募っていく。


ああ、もし一言でも話せたら。

あと一言だけ。一言でいい。

掠れてしまった私の声が誰かに届くはずもないと分かっていながら。

私は小さく、声を出す。


「aaa…?」



『真っ黒』の脚を掴んで。



「構成……材質…把握。」



「……材質変換……対象指定、『鉄』」



「『構成材質、変換…ッ!!』」



この言葉はなんだろう。聞いたこともない、強い言葉。それをまるでいつか口にしたように、知っていたかのように。

ただ真っ直ぐ『真っ黒』だけを睨んで。

少しの音でもかき消されそうなほどの声で呟いた。


光を灯す私の右手。

夢に見た、蛍のような小さな光。

私が触れている手から『真っ黒』は鉄へと姿を変えていく。

それをも理解してないはずだった。

でも、今ならなんとなく『これ』が何かわかる。

これが私の力。

これが私の夢だ。


だが力とは有限で、無限の力など存在するはずもない。エネルギー切れだ。

私は本当に体中の力を失い、倒れる。

踠き苦しみ逃げようとする鬼を見つめて。




「…弔、木。ごめ……ね…」



突如、『真っ黒だったもの』を光線が貫く。

闇を払うように、眩い光が辺りを照らす。


「俺の腹も裂いた仕返しだクソが…!!」


光線は更に強くなった。

夕焼けの色の真っ直ぐな炎。怒りを乗せたその一撃は鬼の身を燃え滓へと変える。



――光は散った。赤い光は青へと変わり、蛍のように分かれて消えた。

私はその全てを綺麗だと思った。

こんな状況なのに。


あの飲み込まれそうな黒はもうここには無かった。その灰となった『モノ』は、もう動かない。

その灰を踏み潰して、彼はこちらへ歩み寄る。



「……生きてっか?」


死にそうだよ。


「……見りゃわかる。死にそうだろ。色々説明はしてもらいたいが…まあ一先ず助かった。」


別に助けてない。結果的にそうなっただけ。


「まさかお前と俺の血液型が一緒だとはな。」


関係ないだろ。そんなこと話してるほど暇じゃないんだけど。


「…関係ねぇと思ったろ。関係大有りなんだぜ。俺の彩は血を集めて生き返る。だから数十秒早く復活できたんだよ。」


なるほど。私も変なところで役に立つんだな。


……ああもうダメみたいだ。

ここが終着点らしい。

視界が霞んできた。意識がはっきりしてない。

ついでに言うと躰の感覚もない

これでホントのホントに最後。

ここでお別れだ。


「…まあ聞きたいことは山ほどでもないがある。だからとりあえず――」







「もっかい死んどけ。」


私はまた、霧のかかる意識の中で彼のニヤリと笑う顔を見た。

そして首の落ちた自分の躰も。

これに関しては早急に忘れたいところだが、まあ仕方がな


ここで少女の意識は途絶えた。

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