俺の親友は酒に酔うとヤバい

 皆さんは俺のことをご存じではないだろうから、一応自己紹介をしておきます。

 わたくし、武本彰吾の大親友の、五十嵐匡臣、五十嵐匡臣と申します、以後お見知りおきを。

 地の文で自己紹介かましてくんじゃねーよ? 皆さんとか、地の文とか、発言がちょいちょいメタいんだよ? まあこれが小説の醍醐味ではないですか?


「おまえさっきから誰としゃべってんの?」


 不審そうな目つきを隠しもせずに、大親友のショーゴがじっとりと見つめてくる。右目の下の泣きぼくろがきゅうとゆがみ、あやしいねおまえ、と視線が語っている。

 ここは大学のカフェテリア。ショーゴと俺は、午後の講義のために腹ごしらえを済ませて一服しているところだ。


「そうだ、ショーゴさ、次の飲み会こそ参加な。もうハタチだろ」

「んー……」


 スマホをいじりながら気のない返事をするショーゴに、眉を寄せる。ショーゴはこないだの週末にハタチの誕生日を迎えたので、もう気兼ねなく飲める年齢だし、女子たちもそろそろ武本くん連れてきてよとうるさいし、このタイミングでこいつを引っ張ってこないと俺の立場が危うい。


「なんで嫌なんだよ」

「……俺、酒あんま好きじゃねえもん」

「甘いやつとかあるから、とりあえず生の時代はもう終わったから、最初っからピーチウーロン飲んでも誰も怒らないから!」

「いや、味じゃなくて」


 長く細い足をブラックデニムスキニーに包んだ彼は、唇を尖らせ(たぶんこの表情、癖なんだろうなって思う)眉を寄せた。


「みんなと遊ぶの好きだけど、酒はなあ」

「なんか失敗でもしたの?」

「やー、そういうわけじゃないけど」

「飲んだことあんの?」

「ないけど」


 なんだと。じゃあ、自分がいける口なのかそうでないのかも、まったく分からないということじゃないか。これはもったいない。ふつうハタチになったらお祝いで酒を飲みたくなっちゃうものじゃないのか。そして調子に乗って浴びるように飲んだ末に急性アルコール中毒で救急車で搬送されるまでが様式美じゃないのか。


「なにそれ、絶対違うでしょ」

「まあそれは言い過ぎとして……ためしに飲んでみたくね?」

「んー、親が晩酌してる匂いがもうなんかダメでさ~」

「とにかく今日の飲み会、ショーゴ来るって幹事に伝えてあるから」

「はっ? なに勝手に……」

「ちな、幹事俺です!」


 両手で親指を立てると、ショーゴの顔がげんなりとゆがんだ。

 そのあと、少しむむうとうなって考えたのちに、ショーゴはため息をついた。


「ま、いっか。甘いやつなら匂いもそんな気になんないよな?」

「よし来い! 何気ショーゴと飲むの初めてだから楽しみかも」

「ははっ何それ」


 ◆


 ショーゴが壊れた。


「えっちしたい」


 カクテルを二杯飲み、まだまだ素面の顔をしていたショーゴは、お持ち帰りを狙う女子たちにしこたま絡まれ飲まされてしまった。この肉食獣たちは、ショーゴがカノジョ持ちだって知らないのだ。なんせ大坂さんは、学部も違うし、めったに大学内では一緒にいないし。

 初飲酒でべろべろにされてしまったショーゴを、いったい誰が介抱するのか、席のすみっこでじゃんけん大会がはじまった。


「最初はグー」

「じゃんけんぽん」

「今、後出しした!」

「は!? してねーわ!」


 不毛なじゃんけんなんかする前にとっとと誰か背中でもさすってやったほうがいいんじゃないのかなあ。などと思いながら、ほどほどに酒を楽しんでいる俺は、となりでふにゃふにゃになっているショーゴが何ごとか呟いたのに、耳を寄せる。


「え? なんて?」

「……したい」

「おい女子ども、ショーゴがなんかしたいって言ってるぞ」


 きらりと目を光らせた女子たちが寄ってくる。


「武本くん、何? なんて言ったの?」

「んんー」

「なんでもしてあげる!」

「えっちしたい……」


 きょとん、とみんなが一瞬目を丸くする。テーブルに突っ伏してむにゃむにゃと、えっちしたいえっちしたいとぐずっている。

 ショーゴはどうやら酔うとエロい気持ちになるらしい。などと俺が感心しているうちに、肉食獣たちは次々と我に返り、挙手をはじめる。


「あたしと! あたしとえっちしよう!」

「こんなド貧乳よりわたしと!」


 一触即発の空気の中、ショーゴは爆弾を投下した。


「んん、ちとせちゃん……」


 その爆弾はたやすく、一触即発の女子たちを吹き飛ばす。突如として降ってわいた女の子の名前に、彼女らは見開かれてぎらついた目つきで、俺をにらんだ。


「誰? ちとせちゃんって誰なの?」

「…………ショーゴのカノジョ」

「は!?」

「聞いてないんだけど!?」


 俺がショーゴにカノジョがいることを暴露した途端、女子たちが悲鳴を上げた。ていうかこの、ショーゴに女子が群がってほかの男が放置されている現状、どうすればいいの。もう収拾つかないんだけど。とはいえ、男たちもだいぶ酔っ払っていて、半分何が何だかって感じだ。もう帰りたい。誘ったの俺だけど。

 いきなり明らかにされたカノジョの存在に女子たちが悲愴感漂う顔をしている中涼しい声が響いた。


「……マサオミくん、だよね?」

「あっ、大坂さん、えっ、あれ、なんで?」


 満を持してなぜか大坂さんの登場である。いったいどこからわいて出たのだ?

 俺のささやかな疑問に答えるように、彼女は淡いピンク色の唇からため息を漏らした。


「友達に、彰吾が女の子に飲まされてるって聞いて、場所を教えてもらったの」

「へっ? ああ、そうなんだ……」


 この場に、ショーゴと大坂さんのことを知る子がいたらしい。視線を走らせると、隅のほうにいる黒髪の清楚系の女子と目が合ってにこりと微笑まれた。なるほど。


「飲めないくせに、楽しくて無理するから……」


 まったくもう、とうめきながら、大坂さんがショーゴの肩を揺らした。


「彰吾、帰るよ」

「ちとせちゃん……」

「ん?」

「えっちしよ、ちとせちゃん」

「帰ってお水飲んだら、いくらでもね」


 えっちのお約束を取り付けたショーゴが、ふにゃあ、と笑って立ち上がる。おまえ欲望に忠実だな。

 見えないけど、ついてないけど、しっぽを振りまくっているショーゴは、大坂さんの横に立って大事そうにその手を握りしめてごろごろにゃんにゃん甘えまくっている。ふと大坂さんがその切れ長で大きな目をこちらに向けた。


「ごめんね、迷惑かけて」

「いや……飲ませちゃったのこっちだし」

「彰吾、ちゃんと歩いてね。寝たら置いてくからね」

「はあい!」


 返事だけは一人前の優等生な、ふにゃふにゃしているショーゴの手を引いて、もう一度俺のほうを振り返る。


「ほんとうにごめんね、あっ、お金……割り勘だよね、いくらかな?」

「や、いいよ立て替えとく。明日こいつに請求するから」

「そう? ごめんね……」

「大坂さんが謝ることじゃないって、ほんと。こっちこそごめんな」


 その後も、大坂さんは平身低頭気を使いまくりで、ショーゴのケツを叩いて居酒屋を出て行った。よくできたカノジョだ……。かわいいし、しっかりしてるし性格いいし、マジで最高のカノジョすぎる……。

 と、ここで俺は女子どもが静かになっていることに気づくのである。


「……」


 どうした、と聞くのもなんかこわいし、横目でちらりと見ると、ぼんやりとふたりが去った入口のほうを見つめていて、何か言われるまでは黙っておこう、と心に決める。

 席について、飲みかけのカクテルのグラスに口をつけると、女子のひとりが呟いた。


「……人間として女としてすべてで負けた……」


 呆然と、そう言う彼女に、ほかの女子たちが連鎖するさざなみのように同意していく。

 まあたしかに、大坂さんはあまりにも人間として出来すぎているし、女とか男とかそれ以前に人間として完璧だし、絶対あの子はすごくいい子なんだけどいい子ちゃんじゃなくていい奴、って感じだし、って俺が何を言いたいかと申しますと。


「おまえら、目を覚ませ。ショーゴは顔だけが取り柄のどーしようもないバカだ。カノジョが出来すぎてるってか、ショーゴがダメすぎるんだよ」

「あ?」


 あっ。


 ◆


翌日ふつうの顔してけろっと大学のカフェテリアで茶をしばいていたショーゴを見つけて、俺もコーヒーを買って駆け寄る。


「おまえ、昨日の金出せ」

「あ、うん。……正臣、なんか泣いたの? 顔めっちゃむくんでるけど」

「二日酔いだバカヤロー」

「……二日酔いって実在すんだ?」


 あ、やっぱりだ。こいつあんだけ酔っ払ったわりに酒残ってない。そんな事実に羨望の気持ちを抱きつつ、俺は昨夜怒れる女子たちにしこたま飲まされた苦い記憶をそっと封印する。

 向かい側に座って、せめて一矢報いてやろうと、財布をごそごそしているショーゴに、切り出す。


「大坂さんとえっちできたの?」

「ぶふっ」


 いーち、にーい、と札を数えていた口がむせる。


「な、な、何言って……」

「覚えてねーの? 昨日おまえ、酔っ払って大坂さんが迎えに来てくれるまで、えっちしたいっつって駄々こねて女子たち困らせてたんだぞ」

「ええええ」

「いや、つーか大坂さんにえっちしたいって言ってたぞ」

「うわ、だからか……」


 この世のすべての真理を悟ったような菩薩のような表情で、だからか、と言う。何がどうなったのだ。


「何が?」

「いや……いつもより千寿ちゃん激しかったなって……」

「え、やだ、大坂さん……」


 思わぬ収穫にきゅるんとしてしまう。目をきらきらさせてショーゴを半笑いで見つめると、居心地が悪そうに宣言される。


「もう酒飲まない」

「えっ」

「だって俺あんま昨日の記憶ないし、それってやっぱヤバいじゃん?」


 ヤバくない。とは絶対に言えない。幸い二日酔いも何もないようだが、こいつの身体と酒は相性が悪いのかもしれない。しかも、あんなに場を引っ掻き回されたら、収拾をつける俺の身になってみるとやめさせたほうが無難である。


「たまにならいいんじゃない?」


 ショーゴが、は、という顔をする。


「何言ってんの」

「たぶん大坂さんが後始末してくれるっしょ」

「それ一番やだな!?」


 にやにやしながら、コーヒーにスティックシュガー二本を溶かし、スプーンでかき混ぜてそのスプーンをショーゴのほうに向けて指さすようにする。


「いいじゃん、あんなかわいくて性格よくて嫌味のないミス・パーフェクトなんだから、ちょっとくらい苦労かけさせろ」

「……ははは」

「なんだよ」

「いや……。でも、俺女の子にセクハラしたんでしょ、それはやだなあ……」


 いや、おまえが、って言うか女子たちがセクハラしてたけどな……。

 ショーゴは酔うとけっこうおもしろいことになっちゃう、というのを知ってしまったからには、俺はこいつを飲みの席に連れ出さないわけにはいかないし、女子たちもおさわりワンチャン狙ってくるだろうから催促も激しくなってくるだろう。


「あっ、武本くん」

「んあ」


 ショーゴが振り返ると、昨日の飲みの席にいた女の子が駆け足でやってくるところだった。その慌てぶりに、なんだなんだとふたりして目を丸くしていると、俺たちのところまでやってきたその子は、鞄をごそごそとあさって何かを取り出しショーゴに渡した。


「これ、昨日の忘れ物ね」

「あ、うん、ありがと……これ、俺落とした?」

「うん。武本くんが座ってた席のとこに……自転車の鍵?」

「あ、いや……」


 どうやら、ショーゴは鍵を落としたらしい。真っ青になったショーゴは、ありがとう、とにっこり笑って彼女の手を握った。よっぽど大事なところの鍵だったらしい。ぽっと顔を染めたその子が、いいのいいの、と照れ笑いして去っていく。


「どこの鍵?」

「あー……。これの鍵」

「……それダミーじゃないんだ」


 ショーゴが示したのは、首についてる一歩間違えればSMの道具みたいな南京錠付きのチョーカーだった。


「てか、鍵がないと外せないんだよ」

「ふーん。……それつけて風呂入ったの?」

「鍵にはスペアというものがあってな」

「あっそ」


 わりとどうでもいい情報を提供され、気のない答えを返してスマホを何とはなく眺めようとすると、ショーゴが立ち上がる。なんだか腰をさすっているので、それを横目で見ながらからかう。


「なんだよ、ヤりすぎて腰痛か、リア充」

「……当たらずとも遠からず……俺次授業入ってるから、行くね……」

「……? おう」


 なんだよ、当たらずとも遠からずって。完全にヤりすぎだろ。

 あきれ返って、コーヒーをすする。ちょっと砂糖を入れすぎたのか、甘すぎる。二日酔いにはつらい。じんわりと熱を持ったような痛みのある頭を持て余しながら、悟りを開いたかのような表情でカフェテリアの入り口を見ていると、大坂さんが数人の友達と入ってきた。おっ。

 俺に気づかないまま奥のほうの席に行ってしまった彼女を見て、俺は首を傾げる。

 ショーゴがあんなに腰を気遣っていたのに、大坂さんはまったくふつうのいつも通り。そういえば、あの子は高校でバスケ部の主将として腕を鳴らしたとかショーゴが言っていたような。

 なるほど、体力おばけか。

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