マジョリティの隙間で

 年が明けた。巨大交差点の中心、周囲が大騒ぎしている中で、俺たちも雰囲気に呑まれて寒い中で頬を紅潮させておめでとう、今年もよろしくね、なんて言い合う。このあとここにいる何人かが騒ぎすぎて羽目を外して警察にしょっ引かれるんだろうなあ、思いながら、少し離れた神社まで歩くことにする。

 同じように考えている人はたくさんいるみたいで、神社までの道のりは、普段なら十五分もかからないはずが、三十分もかかってしまった。

 となりでそつなくこなす千寿ちゃんを盗み見ながら初手水を済ませ、参拝列に並ぶ。


「なんとこの日のために、五円玉を集めておいた!」

「……彰吾って意外とマメだよね」

「五円玉九枚で四十五円だから、始終ご縁がありますように、になるってトシに聞いた」

「猪澤くんって意外とそういうの気にするんだ」


 感心したようにつぶやく千寿ちゃんの手元には、五円玉が一枚。そして、参詣の列は遅々として進まない。のろのろちびちびと進みながら、寒い、と千寿ちゃんが言う。

 俺は、暑いのよりも寒いほうが我慢できるけど、千寿ちゃんはそうじゃないんだって、あたしは夏が好きだ、って言っていた。

 五円玉をコートのポケットにしまって、千寿ちゃんの手を取る。


「うわ、手冷たい」

「彰吾の手はなんでこんなあったかいの……?」


 心底不思議そうに首を傾げた彼女に、俺も分からない、と笑って見せて、ぎゅうと体温を移すように覆って握りしめる。俺の手の中で、細くてかわいい手が揉みこまれ、じんわりあたたかくなっていく。

 両手を両手で包み込んであたためて、他愛ない話をしているうちに、俺たちの順番が回ってくるようである。

 賽銭箱に五円玉を投げ入れて、……なんだっけ?


「二礼二拍手一礼」


 こっそり千寿ちゃんが教えてくれて、慌てて頭を下げた。

 今年も千寿ちゃんと好きなだけいちゃいちゃいちゃいちゃできますように千寿ちゃんに捨てられませんように千寿ちゃんとディズニーシー行けますように千寿ちゃんが幸せでありますように!


「彰吾は何お願いした?」

「……ないしょ」


 言えるかー! 恥ずかしすぎて言えるかー!

 へらり、と笑ってごまかすと、すべて見透かしていますよ、というふうな余裕の笑みが向けられてどぎまぎしてしまう。俺は、さらにごまかそうと、おみくじの列を指さした。


「おみくじ、おみくじ引こう!」

「うん」


 おみくじも長蛇の列で、俺たちはけっこうな時間を手をつないでお互いの体温を行き交わせながら過ごして、ようやくお金を払うところまでやってきた。


「六番です」

「六番ですね、どうぞ」


 巫女さん(バイト)に手渡されたおみくじを、まだ見ないでてのひらで包んで、ひとの流れのないところで千寿ちゃんと開く。


「彰吾、なんだった?」


 少し声を弾ませた千寿ちゃんは、きっとまんざらでもない結果だったのだ。俺の手元で、凶の文字がゆらゆらと揺れている。


「彰吾?」

「……」


 新年早々、神様にあんなことを祈った直後にこれだ。しょんぼりしていると、ぴゅうと冷たい風が吹いて、俺の手からおみくじを奪っていく。あっ、と思ったのもつかの間、俺の前に立っていた千寿ちゃんが見事な反射神経でしっかりキャッチしてくれる。


「もう、しっかり持っててよ」

「あ、ごめん、ありがと……、え」


 手元に戻ってきたおみくじはなぜか大吉だった。なんで。


「あたし、あんまりよくなかったから結んでいく」


 ふわりと、クリスマスに俺があげた香水の匂いを漂わせて身をひるがえした千寿ちゃんの背中をぼんやり眺め、手元の大吉を眺め、おみくじを結んでいる千寿ちゃんのかじかむ手元を眺め。

 ようやくからくりに気づくばかな俺なのである。


「っ千寿ちゃん!」

「ん? どしたの?」

「…………っ俺、大吉だったよ」

「そっか、よかったね」


 そう言ってふわりと笑う千寿ちゃんに、俺は正解のリアクションを取れたのだって、ちゃんと分かってはにかんだ。

 千寿ちゃんは、かっこよくて、潔くて、強くて、それでいて優しくて、俺をとろとろに甘やかしてしまう。

 でも俺は?

 俺は千寿ちゃんに、もらった百個のうち一個でも返せているだろうか?

 俺の凶みくじを結んで戻ってきた千寿ちゃんが、黙りこくって大吉を見つめている俺に声をかけた。


「さ、帰ろ。それとも海まで出て、初日の出、見る?」

「……千寿ちゃん、あのさ」

「ん?」


 何を言う、と決めて呼びかけたわけじゃなかった。でも、何か言わなくてはいけない気がして。それから、俺は顔を上げて千寿ちゃんの手を握った。


「どうしたの?」


 握ったまま、微動だにしない俺に、焦れて声をかける。どう、言えばいいんだろう、って悩んで。


「俺、千寿ちゃんが大好きだよ」

「……」

「ほんとに、大好きだからね」

「……」


 きょとんとしている。そりゃそうだ、いきなりこんなところでそんなことを言われるなんて、誰も予想してないし俺だって予期していなかったのだ。千寿ちゃんがぽかんとしてしまっても当たり前だ。

 手をつないだまま、境内のはしっこで、俺たちは立ち尽くしている。

 やがて、千寿ちゃんが頬を緩ませた。


「あたしは彰吾のこと、嫌いだけどね」


 分かってる、分かってるよ、千寿ちゃんが俺のことをなんのしがらみもなく好きだなんて言える日は来ないってこと。

 同情やそれに類するもので付き合って「もらっている」とは思っていない。彼女はそんなこと、絶対にしない。ちゃんと自分の意志でもって俺と付き合うことを決めた。でも、俺を好きなわけじゃない。

 表情を曇らせた俺を、愉悦にまみれた顔でじっと見つめて、彼女は言った。


「でも」


 あたしに嫌われて落ち込んでるその顔は、すっごく、大好き。


 ◆


 しん、と寝静まった俺の家。姉はパリピなので夜通しクラブで年越しだし、そばを食べた両親ふたりはCDTVと一緒に年を越したと思ったらもう寝室へ。

 そんな家に、千寿ちゃんを招き入れ、特別静かな暗い部屋でそっと彼女の頬に触れる。ふに、とやわらかい感触に、あまり力を込めてはいけないという気持ちとぐちゃぐちゃにしたい気持ちがせめぎ合う。

 普段、千寿ちゃんにリードを取られてばかりで鳴りを潜めていたけど、俺はまだ、ちゃんと男だった。千寿ちゃんを、俺なりの正しい手順できっちり愛したいって、思える。


「……」

「……? 彰吾?」


 俺の正しい手順って、なんだ?

 キスをしようと顔を近づけて、今まさに唇が触れんとしたところではたと壁に突き当たる。おとなしく目を閉じてくれていた彼女が、いつまでも訪れない感触に薄目を開く。

 俺の手順って言ったらそりゃあ、キスして、服の上からぎゅっと抱きしめて身体をさわって、そして服を脱がせてまたキスして、身体を触って……。

 固まっている俺に、千寿ちゃんは不思議そうに声をかけた。


「どしたの? 今日はいれたいんじゃないの?」


 ためらっている、と思ったようだった。実際、俺はためらっている。俺は千寿ちゃんを組み敷いてしまってもいいのか? 俺は、千寿ちゃんをちゃんと気持ちよくできるのか?

 だって男は気持ちいいかどうかなんて見ればなんとなく分かるけど、女の子はそうはいかない。女友達に、カレシがへたくそだから演技してるんだけど罪悪感がすごい、という深刻な相談を持ち掛けられたのもつい最近の話だ。


「彰吾……?」

「俺……」


 不安だけどでもそんなことかっこ悪くて言えなくて、もだもだしていたら、そっと千寿ちゃんのてのひらが俺の頬に添えられた。しっとりと、熱い。


「言って」

「え」

「思ってること、全部言ってみて。恥ずかしいとか、そういうのはナシね。ちゃんと聞かせて」

「……」


 誘われるように、ぼそぼそと不安のもとをぶちまけると、千寿ちゃんは俺をそのやわらかな腕で抱きしめて、くすくすと耳元で鈴を転がした。


「いいのに」


 大好きなあたしのこと、好きにしていいのに。

 甘ったるいささやきに、耳が犯される。


「ッ彰吾」


 俺はたぶん、自分の下で目を細めて頬を染めるこの女の子の表情を、濡れた感触を、俺のこめかみを伝う汗を拭うために伸ばされた指先が孕んだ熱を、一生忘れない。


「……あのさ」

「ん?」

「ふつうとか、そうじゃないのとか、あんまりもういいなって思った」

「日本語しゃべってよ」


 ベッドに、下着だけ身に着けてふたりで寝転んで、さらさらの黒髪をそっと指に絡める。あきれたように眉を下げる千寿ちゃんに、俺も笑って見せて、これきり、と言った。


「これきり?」

「うん。たぶん、世間一般にはこうするのがふつうなんだけど、俺は、千寿ちゃんと一緒にいられるなら、別にふつうじゃなくてもいいかなって」

「……」

「あっ、それとも千寿ちゃんはほんとは、俺を抱くのヤだったりする?」


 うつぶせで肘をついて上体を少し起こした彼女は、俺をじっと見下ろして、ゆっくりとかぶりを振った。


「あたしね、さっき彰吾に抱かれながら、変なこと考えたよ」

「変なこと……?」

「見上げながら……あたし女なんだなあって」


 ほんとうに、それは変なことだった。でも、すぐに謎は解けた。


「いつも彰吾を抱きながら、これが本物だったらいいのに、って思ってるから、なんであたし男じゃないんだろうって思ってた。男だったら、もっと一緒に気持ちよくなれるし、じかに感じられるから彰吾に無理させることもないし、加減もできそうなのになって。今、自分が女なんだって思い知ったし」

「……でも、千寿ちゃんが男だったらたぶん俺全力で抵抗するけど」

「そうなの?」


 腹筋に力を入れて上体を起こし、今度は俺が千寿ちゃんを見下ろした。後ろに手をついて、身体を支える。


「性別がどうって言うか……俺、千寿ちゃんだから好きなわけで……いれるだけならほかの男でもよかったけど、別にいれてほしいわけじゃないしなあ……。なんて言うかなあ……いれるのが千寿ちゃんだから許してるってか、性別が千寿ちゃんって感じ?」


 俺はあまり頭がよくはないので、言葉を選んでつっかえつっかえかたちにするしかない。そして、言いながら、うわ、支離滅裂、と思う。

 でも、本心だ、心の底から。千寿ちゃんだからいいのであって、同じ器具を使われてもほかの女の子に掘られるなんて言語道断である。想像しただけで吐く。

 もう一度、指にさわり心地のいい髪の毛を絡め、ため息をつく。


「俺男だしさ、そんな簡単に壊れるわけじゃないし、多少無理させても翌日には復活するから。だから、今まで通りでいいよ」


 幾度かまばたきして、千寿ちゃんは困ったように笑って、俺をからかった。


「でも彰吾、すぐ、壊れる、やめて、って言う」

「それは……」

「んふふ、でもあたしあの悲鳴好きなの」

「げえ、悪趣味」


 千寿ちゃんの目尻ににじんでいた水滴は、見ないふりをするのが俺のためで彼女のためなんだろうな、って思って、目をつぶった。

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