かわいいが過ぎるぞ
自慢の姉だ。頭がよくて、運動神経抜群で、顔はかわいいのにモデルみたいに身長が高くてスタイルもよくて、人当たりもよくてでも駄目なことは駄目ってちゃんと言えるし、自分の意見を持っていて、とにかくケチのつけどころがないような人だ。
ただしそんなちいちゃんにも、ひとつだけ弱点がある。(ただしそれは、欠点ではないのだ)
「佳音、日焼け止め知らない?」
「あ、部屋に置いてある、ちょっと待って」
夏の日差し、色白で敏感肌のわたしたち姉妹は、共用で、肌に優しい日焼け止めを使っている。普段はリビングに置いてあるんだけど、その日はわたしが部屋で使ってしまっていた。急いで持ってくると、ちいちゃんは玄関で待っていた。思わず小言をこぼしてしまう。
「ちいちゃん、出かける直前に塗っても意味ないよ」
「分かってるけど」
彰吾を待たせている、と言うちいちゃんは、背中が大胆に開いたニットのタンクトップの露出部分に塗ろうとして、悪戦苦闘している。
「……塗ってあげる」
「ありがと」
背が高いから、どんな服もモデルのように着こなしてしまう。こんな服、似合う人なんかめったにいないと思うけど、まるで店頭のマネキンのようにすらりと着ている。下半身は、デニムのショートパンツで、サンダルは華奢でシンプル。すごくかわいいけど……。
「ちいちゃん露出度高くない?」
「海行くんだもん」
「あ、そっか」
そう言われてみれば、開いた背中から覗くインナーは、ブラジャーじゃなくて水着の生地のよう。
「そしたら、日焼け止め意味なくない? これ、ウォータープルーフじゃないし」
「だいじょうぶ、海でまた塗るから」
飄々と言う。そういえば、彰ちゃんを待たせている、って、うちの玄関先でかな。
「家に上がって待ってもらったら? 暑いし」
「そう言ったんだけど、なんか、断られちゃって」
「ふうん?」
少し伸びた爪を眺めながら、わたしが背中に日焼け止めを塗り終えるのを待っている。手を止めて、玄関のドアを開ける。
門扉に、太陽のまぶしさに辟易しているように、背中をもたせかけている。
「彰ちゃん、中で待ちなよ」
「のんちゃん、おはよ。いいよ、もうすぐでしょ?」
「ううん。ちいちゃんね、これからあと十五分は出てこられないの」
「なんで?」
「日焼け止めがなじむのを待たなきゃ」
「佳音」
わたしを諫めるように、ちいちゃんが後ろから声をかける。彰ちゃんは、わたしたちを交互に見て、そうなの、と言う。
「じゃあ、待たせてもらおっと」
いそいそと玄関に入ってきた彰ちゃんは、ちいちゃんを見て目を丸くした。
「千寿ちゃん、露出度高くない?」
「……そう?」
「でも背中きれいだね……」
ここはカレシとして「そんな格好で街を歩かれるのは……」というふうな時代錯誤な心配や毅然とした独占欲を覗かせてほしかったんだけど、いかんせん彰ちゃんはちいちゃんのカノジョなので。
余計な産毛の生えていないきれいな背中をほれぼれと見つめた彼は、ふと何かに気がついたように指を伸ばした。
「これ、俺と一緒に選んだやつ」
「そうだよ、当たり前でしょ」
彰ちゃんの指が触れたのは、ちいちゃんの水着のホルターネックの紐だった。シンプルな黒いサマーニットの首元から覗く水着は、どうやら鮮やかなイエロー系の花柄らしかった。
俺と選んだ、と言った彰ちゃんは、当たり前でしょ、と返したちいちゃんに、そっか、と頷いて、少し頬を緩ませた。
「そっか」
屈託なくはにかむ彰ちゃんを見て、わたしとちいちゃんは思わず顔を見合わせ視線を絡ませ、頭を抱えた。
嘘みたいにかわいい。
ちいちゃんに至っては吐きそうなくらいに悶えているのが、なんとなく分かる。前に言ってた、ちいちゃんは萌えの限界値を超えると気分が悪くなるくらいに悶えてしまうんだって。
「これ、試着したとき千寿ちゃん俺に見せてくれなかったけど、絶対似合うよ」
あっ、ちいちゃん、そういう乙女なことしたの?
横目でにらむと、ちいちゃんは飄々と自分の腕につけた時計を見た。
「もういいんじゃない? 行こうよ」
「うん」
ふたりが立ち上がり、玄関のドアを開けて、彰ちゃんがくるりと振り返る。
「行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい、気をつけて」
にっこり笑って手を振ると、彰ちゃんも手を振り返してくれた。ドアが閉まって、ふたりの姿が見えなくなる。
わたしは、彰ちゃんがかわいく笑っているのが好きだ。悲しい顔をしてほしくないし、泣いたり諦めたりしてほしくない。だから、ちいちゃんと付き合うことになったのだと聞いたときに、すごくうれしかったけど、同時にほんのちょっぴりさみしかった。
彰ちゃんに自分のお姉ちゃんを取られてしまった気持ちになったし、ちいちゃんに彰ちゃんを取られてしまった気持ちになった。三人で仲良く、ではなくて、ふたり、になってしまったのだって思った。
とは言えわたしはもう分別の分からない三歳児ではないので、さみしいと思いながら彰ちゃんの幸せを願える、正しい十七歳だ。ちいちゃんの幸せは……特にわたしが願わなくても、自力でガツガツ奪っていきそうだし、いいかなって思っている。
ふたりを見送った余韻を味わってからリビングに戻ると、お母さんが台所の朝食の片づけをしている。
「いいなあ海、わたしも行こうかな」
「宿題は?」
「あっ、やろうと思って計画を立てているのにそういう横槍を入れてくることによってやる気がなくなるやつ!」
「は?」
べっと舌を出し、自室に逃げ込む。もちろんすぐに宿題に手をつけるわけもなく、スマホを開いて友達からきているラインをチェックする。
遊ぼう、というメッセージに、海行こうよ、と返して、水着買わなきゃ、って思う。
カレシと海って楽しいかなあ。友達と海もとっても楽しいと思うから、きっと好きな人と行く海も楽しいかなあとは思うんだけど。残念ながら好きな人、はまだいないんだけど。
だってお姉ちゃんがあんなにハイスペックで、しかも幼馴染の男の子とあんなに素敵な関係を築いているのを目の当たりにしたら、理想も高くなるってものでしょ。
ベッドにあおむけに沈んで、いいな、って思う。
「いいなあ、ちいちゃんはいいなあ……」
今頃海で、女の子に逆ナンでもされている彰ちゃんを思う。わたしは彰ちゃんをお兄ちゃんのように慕ってきたからそんなふうな目で彼を見たことはないけど、女の子の目線からすればなかなかいい線いっているのだと知っている。
そんなかっこいい彰ちゃんを思いのままにしているちいちゃんは、彰ちゃんに強くて、弱い。
よく、デートから帰ってきて苦しそうな顔をしている。楽しくなかったのかなあ、って心配していたけど、そうじゃないのだとすぐに分かった。水を、酒のように飲み干したあとで、ちいちゃんはぼそっと一言こう言ったのだ。
「……しんどい」
疲れているみたいだし何か考え込んでいる様子だったのでそっとしておこうと思ったのだが、ちいちゃんがとても聞いてほしそうにしていたので、その場にとどまり、耳を傾ける。
「なんで彰吾ってあんなにかわいいの……意味分かんない……なんかもうかわいいの感情を通り越して気分悪くなってきた……ねえ聞いてよ、ラテアートの写真撮ってにこにこするって、女子かよ!」
女子に対する偏見では……。
「しかもラテ飲んだあと唇の上に泡つけてるし! あざとい!」
ちいちゃんはかわいいものに触れすぎるとどうやら頭がおかしくなる、と理解したのは、そのときだった。たぶん彰ちゃんの前では繕っているんだろうけど、家に帰ってくるともうダメだ。
そしてその晩、海から帰ってきたちいちゃんは案の定、シャワーを浴びて炭酸のペットボトルをすごい勢いで飲んだ後、どん、とボトルをテーブルに叩きつけてわたしをにらんだ。
「…………なんで砂のお城つくっちゃうの……」
「……」
「地味に下手だし! かわいい! 気持ち悪い!」
彰ちゃん……ちいちゃんが壊れるからもうかわいくならないでほしい。
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