マジでメスにされてしまう
顔を洗って歯を磨いて着替えて、部屋を掃除して、もしかして何かお茶とか用意したほうがいいのだろうか、と思いながら茶葉の入っている缶を開けて、淹れ方分からん、とぼやく。
ぼやいたところでようやく現実逃避を終えて、玄関先で追い返そう、と強く心に誓った。
そわそわしていると、インターホンのチャイムが鳴った。
「はい」
『大坂です』
「待って、開ける」
オートロックを解除して失敗に気づく。いや、ここで事情説明して追い返すのがベストだったんじゃないの、俺。
インターホンの前で自問自答しているうちに、部屋直通のチャイムが無情にも鳴り響く。
「おそよう」
「おそ、おそよう……」
「?」
ドアを開けると、明らかに挙動不審であろう俺を不思議そうに見つめる大坂千寿が立っている。なんかかわいい紙袋を提げていて、あっ手土産かな、誰もいないのにすまないことした、と思う。
おどおどしていると、彼女はごく当たり前のことを言い出した。
「……入れろとまでは言わないけど、いつまで突っ立ってればいいの?」
「いや、それが、その」
「なに?」
「今、家に俺ひとりで……その」
眉を寄せ、首を傾げる。
「だったらなに?」
「だからその、若い男女が部屋にふたりきりというのは何か間違いが起こってしまうとよくないので、その~」
「……おばさん、今日バスツアーでしょ?」
「…………」
俺も先ほど知った情報をなぜ赤の他人の彼女が知り得ている。目をしばたかせると、とりあえず入れてよ、と言われる。ふぐう、こいつ俺の話聞いていたのか。
「だから、駄目だってば」
「今日、うちのお母さんと彰吾のおばさん、どこだっけ山梨だったかな、その辺までバスツアーなの」
「あ、そうなんだ」
「だから入れて」
「話が通じない」
かたくなに入室を拒否していると、彼女はこれ見よがしにため息をついて、じっと俺を睨みつけた。
「つまりね、今日あたしはここに彰吾以外誰もいないことを知ってて来たの」
「……」
「だから、観念して入れてね」
「……ん? えっ!? いや!?」
一瞬の俺の思考停止の隙を突かれ、侵入を許してしまう。慌てふためいて、スニーカーを脱いでいる彼女に声にならない声をかけていると、顔を上げてにたりと笑う。
「だいじょうぶ、痛くしないから」
それ俺の台詞では!?
ほとんどもう泣きそうになりながら、さっさと靴を脱ぎ廊下を歩き始めている彼女に、声をかけた。
「…………俺の部屋はふたつ目のドアです……」
「ん」
どうせ冗談で言っているだけだ、俺が踏ん張ればどうとでもなるはずだ、だって俺はその気になれば大坂千寿を押さえつけることができるのだから。つまり襲われたとしても力づくで回避することなど余裕。
結局紅茶を淹れようとしたものの普段手伝っていないばかりにキッチンの品物事情に弱い俺はポットを見つけられず、冷蔵庫のペットボトルの緑茶をそそいで部屋に向かう。ドアを開けた瞬間そこには衝撃的な光景が広がっていた。
「何それ!?」
ベッドに腰かけた大坂千寿がもてあそんでいたのは、明らかにゴムと思われる物体と、明らかにそのなんていうか滑りをよくするためのじぇ、ジェル的な。
「これを指にかぶせて」
「……」
「これを垂らして」
「……」
「さて。彰吾、こっちにお尻向けて」
「はあああ!?」
よく見ると、ゴムとかジェルとかは、先ほど俺がお土産かなと思ったかわいい紙袋から取り出されているものらしかった。お土産じゃなかったんだ。
いやそんなことより待ってほしい。
「どういう意味!?」
「そのまんまの意味だけど」
「え、何、痛くしないってそういうこと?」
「そうだよ」
「おかしくない? 待って、落ち着いて?」
ほの薄いほほえみをたたえてこちらを優しく見つめる大坂千寿に、きゅん、とする。そのかわいくてかっこいい笑顔を、俺は向けてもらえる立場になれたのだ。なんなら独り占めする権利だってあるし、触れることだってできる。
でもちょっと待ってほしい。
「落ち着いてるけど……」
「明らかとち狂ってるよね?」
「だって、彰吾が言ったんじゃん」
「え」
「抱かれたいって」
いつだ。いつそれを本人に聞かれあー! 二年次の文化祭準備の際に聞かれたね!
たしかに、大坂千寿に抱かれたいと思っていることは認める。その考えは覆ってはいない。でも、それは比喩的なもので、めちゃくちゃにされたいしぐずぐずにひどい言葉で甘やかされたい願望もいまだにあるけど、あくまでも正常な状態を保っている中で、のことであって。
正常な状態というのはもちろん、ふつうの、ふつうのセックスのことである。多少彼女にマウントを取られるのはよし、いやむしろおいしいとしよう、ただ今のこのマウントの取られ方は、俺の今後の人生を大きく大きく大きく左右する。
だってそこに指を入れるとさすがに人生が三百六十度変わってしまいません?
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