逆転満塁ホームラン

 とにかく走る。距離にしてみればそんなに大したものではないけど、とりあえず走る。すぐに着いた大坂家の門扉の前で少し息を整えて、インターホンのボタンに指を乗せる。チャイムの音が響いて、誰かが受話器を取った。


『はい』


 一瞬誰の声か分からなかった。大坂姉妹のどちらかだとは思ったものの、そういえばこのふたりは声が似ている。


「あの、武本です……」

『彰ちゃん?』

「あっ、のんちゃん」

『お姉ちゃんに用事? ちょっと待ってね』


 通話が切れて、しばらくの間があって玄関のドアが開いた。まだ制服姿のままの、帰ってきたばかりなのかもしれない大坂千寿が顔を出す。


「なに?」

「これっ見て!」

「……?」


 先ほど姉から見せられたものを差し出すと、彼女はきょとんとして受け取り、それから目を見開いて中身を取り出し、まじまじと見て俺を睨みつけた。


「どういうこと?」

「ほ、補欠枠で、受かってたっぽくて……」

「は? 補欠枠確認しなかったの?」

「してない……」

「馬鹿じゃないの!? ふつう未練がましく確認するでしょ!?」


 ぎゃんぎゃん怒鳴られて、もう俺はおっしゃる通りでございますと土下座するしかなかった。

 姉が、そろそろ出かける準備をしようかな、とリビングでのんびりしていた頃、速達が届き、俺宛てのK大のロゴが入ったこの封筒を受け取り、一瞬何が起こったのかが分からなかったらしい。で、俺に断りなく中身をあらため、絶句してあのラインのメッセージだったというわけだ。

 ひとしきり俺をなじった大坂千寿は、深々とため息をついて、その場に力が抜けたようにしゃがみ込んだ。


「大坂さん」

「……もう、あんたのために気を揉んだ時間を取り戻したい……」

「ごめん……」


 ほぼ反射で謝ってから、言葉の意味をしっかりと噛み締めて、気づく。


「……俺のために気を揉んでくれてたの?」

「……」


 抱いていた封筒をぐちゃっと握りしめ、それを乱暴に俺に突き返す。受け取って、笑う。


「でも、よかった」

「……そうだね」


 ため息をついて、彼女はむっつりと腕組をした。それから、俺をじっと見る。


「なに?」

「受かったら、あたしに言いたいことがあったんじゃないの?」

「……」


 なんにも言葉を用意してなかった。

 落ちたと思っていたから、一年後だと思っていたから、正直告白の文言を考えるのは後回しにしていた。無言で、口をえさを欲しがる鯉のように開けたり閉めたりしながら、でもさ、と思う。

 でもさ俺はどうせいろいろかっこいい言葉や言い回しを考えたところでじょうずに言えるはずがないんだよな。


「好きなんだ」


 すっと、驚くほどに自然に、その言葉が口から零れた。大坂千寿は、表情を変えない。たぶん彼女も、これが俺の言いたいことだと分かっていた。


「はずみとか、惰性で告白するのは、もうやめる。俺は、大坂さんが好きで、だからちゃんと告白して、そんでちゃんとフラれたいんだ。……前に、大坂さんはあたしのどこが好きなの、って聞いたけど、たぶんどこが好きとかそういうのじゃなくて、好きってたぶん理屈じゃないんだと思う」


 好きとか恋とか、そういうのは理屈や理論立てて語れるものじゃない。


「たしかに、みんなに優しくてなんでもできて、かっこよくてかわいい大坂さんが好きだった。でも、そうじゃないって分かってからも、嫌いになれないどころか、もっと好きになった。それに、大坂さんは自分で思ってるほど、たぶん嫌な人じゃないと思う。やっぱり、優しい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る