思い出と今
四桁の受験番号を何度も何度も舐めるように見て暗記し、スマホの画面にずらりと順に並んでいる受験番号を、最初のほうはすっ飛ばしていく。自分の受験番号に近くなったころからスクロールを弱めて、祈るような気持ちでそっと指を止めた。
「……あ」
彼女に報告しなきゃ、その気持ちはあったんだけど指が止まったまま動かなくて、何度も何度も目が確認ばかりする。
合格発表が解禁になってから五分後くらいに、スマホが震えた。大坂千寿。
「……もしもし」
『……その声』
「…………ごめん」
俺の受験番号は、合格者一覧になかったのだ。
大坂千寿は少し黙り込み、それから、咳払いして言った。
『なんで謝るの? 落ちたのはあたしじゃなくて、あんただよ』
「……だって、あんなに教えてくれたのに」
『申し訳ないって思うのは分かる。でも、あんまりあたしに謝りすぎると、落ちたのは自分のせいじゃなくなるんじゃない? あんたの力不足のはずが、あたしの教え不足にならない? まあ、それもあったのかもしれないけど、一番の責任の所在はどこなの?』
ため息まじりのそれに、俺は不意に歩生のことを思い出す。
全部、歩生の選択で責任なのに俺に押し付けるなよ、そう思ったことを。
そうか、俺も今、彼女に謝ることで責任を彼女に少しだけ押し付けようとしていたのかもしれない。泣き出したい気持ちをぎゅっと押さえ込み、ごめんと一言、声を張った。
「あのさ、一年待っててほしいんだ」
『……』
「浪人して、もう一年がんばって勉強して、今度は絶対受かって見せる。だからそのときは、俺の言いたいこと、聞いてほしい」
がんばって、俺は彼女の前に立ちたい。目が合った瞬間に逸らすのはもうやめたい。ちゃんと、自信をつけてから彼女の目を見て、言いたい。
『……分かった。待ってる』
まだ言いたいことを言ったわけでもないのに、そのやわらかい一言で救われる。あと一年、この一言でがんばれる。そう思えた。
『でも、一年だけ。それ以上は待たないから』
「うん! がんばる!」
まるで、おさないころのあの約束みたいだって思った。彼女は、覚えてる、と俺に聞いたけど、たぶん彼女すら知らない続きが、あの約束にはあるのだ。
実は、あのとき彼女が花壇から摘んだチューリップは、どうせもとには戻らないからと、先生がゴミ箱に捨てたのを、俺がこっそり拾い上げ、家に持ち帰った。それで、母親に頼んで押し花にしてもらったのだ。あのとき母親は、面倒くさい、チューリップは押し花にするのが難しい、などと言いながらも、ちゃんと押し花にしてくれた。
そんなチューリップの押し花は、今俺の幼稚園時代の思い出(園で描いた絵の画用紙とか、折り紙でつくったメダルとか)と一緒に、クロゼットのケースに入っている。
一年後のことを約束してくれる彼女のまっすぐさ、まじめさは、あのときのまま。
幼稚園時代の初恋をずるずる引きずっているもうすぐ卒業する高校三年生、笑ってくれていいよ。
今度こそ、この約束だけは叶えてみせると決意して、俺は今年進学しないことを両親と先生に告げた。先生は、最近がんばっていた俺をちゃんと見ていてくれたみたいで、おまえがどうしてもK大に行きたいなら、と止めなかったし、親に至っては、今年の学費が浮いたことを喜んでいた。それってどうなの。
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