言いたいことがあるんだ

 本命の受験当日、俺は吐きそうになっていた。もちろん緊張で、である。

 定期的に受けていた模試では、だいぶ結果を残せるようになっていて、K大も、最初に模試を受けたときはD判定だったのがB判定までは伸びた。ちなみに大坂千寿はB判定からA判定に上がっている。

 ただA判定でも、受験っていうのはとある成績以上の人を全員受からせるわけではないので、絶対はないのだと彼女は口を酸っぱくして言っていて、勉強に余念がない。ほんとうにすごい。

 B判定という全然安心できない成績を抱えたまま、俺は受験本番に臨もうとしているので、たいへん吐きそうになっているわけである。

 一応滑り止めの大学は受けていて、自己採点もわりと問題なかったから、行先が不透明なわけではない。でも俺は、せっかく大坂千寿に勉強を教わってがんばったからには、最良の結果を出したい。


「だいじょうぶ」


 俺が青い顔で歩いているその横を、いつも通り凛とした表情で背筋をまっすぐにして歩いている。そして、俺のほうを見ることはないまま、そうささやいた。


「がんばったの、知ってるから。だいじょうぶ」

「……」


 吐いた言葉が白い霧になって消える。でも、俺の心にはちゃんと届いた。そうだよ、俺はちゃんと勉強したし、模試の点数も順調に上がっていってた。今更うだうだ言ってもしかたない、やれることは全部やった。


「じゃあ、がんばって」

「うん、大坂さんも」


 試験会場は一緒だけど、席が離れている。俺は手を振って自分の受験番号が振られている席についた。

 ぎりぎりまで英単語帳をめくりながら、気持ちを集中させる。息をゆっくり吸って、吐く。


「それでは、はじめてください」


 試験官のその一言で、問題用紙の冊子を開いた。


「おつかれさま」

「……」


 試験が終わって、席から動けないでいる俺を大坂千寿が迎えに来た。巻きかけのマフラーが机にかかる。


「……帰ろう」


 一言も発せないでいる俺を、彼女はどう判断したのだろうか。荷物をまとめて立ち上がる。とぼとぼと大学を出て、彼女の後ろをついていく。

 駅に着くまで、俺たちは無言で歩いていた。改札を通って電車をホームで待つうちに、こらえきれずに、俺は口を開いた。


「……駄目だったと思う」

「……」

「せっかくあんなに教えてくれたのに、ごめん」


 俺のほうを振り返ったと思ったら、いきなり鞄を横っ腹に振りかぶってぶつけられた。


「いっ……!」

「まだ結果も出てないのにぐちぐち言わないでよ!」

「……」

「ていうか! あたしにごめんとか言う必要ない! あんたの人生でしょ!?」


 顔を真っ赤にして怒っている大坂千寿を見て、泣きそうになる。だって、あんなに一生懸命教えてくれたのに、俺駄目だったんだよ、全然できなかったんだよ。


「……落ち込むのは結果出てからにして」

「……うん……」


 大坂千寿は、だいじょうぶだとか、心配するなとか、そんな陳腐な言葉で俺を慰めたりはしなかった。それが逆に心地よくて、安心した。

 電車に乗っている間も、駅で降りても、彼女はもう一言もしゃべらなくて、俺のマンションの前を素通りして自宅に向かおうとする。その背中を思わず呼び止めた。


「あのさ!」

「……?」

「もし、受かってたら、俺、大坂さんに言いたいことがあるんだ!」

「……」

「もし、受かってたら、だけど……」

「分かった。聞くから、受かって」


 振り向いた彼女が、顔をくしゃくしゃにゆがめてにっこり笑った。俺に向けられたことなんてない、そんな笑みに、びっくりする。それから、表情をすっとまじめなものに戻して、手を振って去ってゆく。

 ふわふわと落ち着かない気持ちで乗ったエレベーターで、俺は気づいた。あの笑顔は、彼女なりに俺を安心させようとしたものだったのではないだろうかって。

 もし、受かっていたら。勢いとか、うっかりとか、口を滑らせたとかそういう体じゃなくて、きちんと告白しよう。ちゃんと、俺の好きを分かってもらって、それでちゃんと終わりにしよう。信じてもらえないままうやむやになっているのは、ずっとそわそわしていたから。

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