とびきりの笑顔で

 勉強会は、最寄りの図書館で放課の一時間後に待ち合わせ。


「ごめん、ホームルーム長引いて……部活、だいじょうぶ?」

「あっ、だ、だいじょうぶです……」


 体育館倉庫の前で、バスケットボールの準備をしていた久保さんに声をかけると、肩を浮かせて顔を赤くしてこちらを見た。

 俺が何か口火を切るのも違う気がするので黙っていると、彼女は弱弱しい声で言う。


「き、来てくれないと思いました……」

「……なんで?」

「だって、あんな一方的で、用事もあったかもしれないのに……、ありがとうございます」


 はにかみながらお礼を言われて、急にトシの言っていた「何パーかは期待する」みたいな忠告が頭をよぎった。俺は間違えたのか、もしかしてこの子に期待させているのか。


「えっと、それで……あの、わたし武本先輩が好きなんです!」


 もじもじしていたわりには潔い告白だ。罵られて勃起してあたふた言い訳みたいに親友相手に告白したのが聞かれていた俺とは雲泥の差である。


「先輩は、わたしのことなんか覚えてないと思いますけど、わたしは、あの日からずっと……」

「顔は、一致しなかったけど、でも、覚えてたよ」

「……え?」

「食券買うような店、なかなか行かないから分かんないよね」


 大きな目をしばたいて、次の瞬間顔が真っ赤に染まる。額まで赤くして、火がつく、という表現がぴったりの。

 そして俺は、この発言でまた彼女の期待値を上げてしまったことに、今更気がついた。やべ。


「あー、えっと、それで……その、でも」


 断ろうと口を開きかけると、俺が言葉を練るより早く、久保さんがまくしたてた。


「あの! いきなり付き合ってほしいとか、そういう気持ちではないんです! ただわたしのことを知ってくれればなって思って! と、友達から、はじめてくれませんか……」


 困る。付き合ってほしい、と言われたなら簡単に断ることもできたのに、友達から、という微妙な位置関係を要求されると、一気に断りづらくなる。

 俺が答えに窮していると、久保さんがそっとおとがいを上げて、顔を覗き込んできた。


「だ、だめですか」

「…………俺」


 うなだれて、どう言おうか思案する。この子を傷つけたくないと思うのはエゴなんだけど、でも、やっぱりもう俺の中途半端さで誰かを傷つけたくはない。


「……俺、好きな子、いるから……友達からはじめても、意味ないと、思う……」

「……」


 黙り込んだ久保さんに、良心が痛む。でも、やっぱりずるずると深みにはまってから傷つけるよりは、ずっとましだと思った。


「俺のこと、好きになってくれて、ありがとう」


 口の端を無理やり持ち上げて、笑う。もうこれは完全なエゴだけど、この子がかわいいと言ってくれた、ほくろの引きつれる笑顔を見せることが、俺にできる最大のお返しだと思ったんだ。


「あ~遅れる……!」


 自宅の最寄り駅から少し離れた図書館に向かって、俺は改札から猛ダッシュしていた。

 久保さんは、俺のことを優しいと言って、それでまだもう少しだけ好きでいたいと言って、少し泣いた。泣いたのを慰めるべきかどうすべきか悩んで結局、ティッシュを差し出して泣き止むまで一緒にいたおかげで、俺は勉強会に遅刻しそうになっているのである。

 図書館の入り口に大坂千寿の姿はない。中のテーブルスペースで待っているのかもしれない、と急いでそちらに向かうと、やっぱり、もうすでに参考書を広げて勉強をはじめている彼女の姿があった。

 凛と伸びた背筋で、うつむき加減にテキストを覗き込んで時折ノートに何か書き写す。斜陽にきらりと透ける黒い髪がきれいで、肌の透明感も増すような気がした。


「……」

「…………遅いんだけど」

「ごめん!」

「うるさい。静かにして」


 立ちすくむ俺に気づいた大坂千寿が、ため息をついて声をかけた。図書館であることも忘れ大声を出した俺を諫め、席に座るよう促す。すごすごととなりの席に腰かけ、ペンケースと教科書を取り出す。

 英語から、と言う彼女の言う通りテキストを広げて一生懸命単語を頭に突っ込んでいると、ふと、つぶやく。

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