事あるごとにメスの顔

「……学校の先生になりたいし、バイトも教職がいい。だから、塾講とか家庭教師とかできるように、それなりに名の通った大学を受けるつもり」

「……K大、とか」

「なんで知ってるの?」

「のんちゃんに、聞いた」


 なんか、内緒でいろいろと、のんちゃんから情報を流してもらっているのがばれたみたいで、ちょっと居心地が悪かったけど、大坂千寿はそっかと言って軽く流した。それで、言う。


「あんたは、どこ受けるの?」

「……決まってない。だって、夢もないし、勉強したいことも分からない」

「……」


 門扉を握りしめる。今度こそ、俺だけが置いてけぼりにされていると強く感じた。きっともう、三年生の初夏なんて、みんな進路を決めている。


「自己中心的で、自己満足で、これこそ偽善なのかもしれないけど」


 そう前置きして大坂千寿は口にする。


「あんた、やればできるんだからさ、ちゃんと勉強していいとこ行きなよ」

「でも……」

「将来、やりたいことが見つかったときにさ、選択肢は多いほうがいいでしょ? いい大学に行く、知識を身に着けておく、ってそういうことだよ」

「……そうなの?」


 うん、と頷いた。


「知識があればやりたいことが増える。知っていることが多ければ多いほど、やれることは増える。勉強ってそういうものだよ」


 好きなことに饒舌な大坂千寿を、まぶしいと思った。秘密の宝石箱を少しだけ開けて覗き見たような、そんなときめきが胸を襲う。自分だけの心にそっとしまって、いつまでも大事にしておきたいような、そんなきらめき。

 なぜか泣き出しそうになりながら夢の尊さを語る彼女を見ていると、ふと、その瞳が泳いだのが分かった。


「それで……」

「?」

「……あんたに……」

「……?」


 もったいぶるように、言葉を喉のあたりでつっかえさせる彼女に首をかしげて先を促すと、打って変わって小さな声でつぶやいた。


「勉強を教えてあげたい……」

「…………えっ」


 目を見開く。思わず、え、と聞き返してしまうくらいには、それはありえない提案だった。

 だって大坂千寿は俺のことが嫌いで、目も合わせたくないくらい、名前すら呼んでくれないくらいに嫌いで、なのにそんな勉強を教えてくれるなんて、あるわけない。

 まじまじと見つめると、言い訳がましくまくしたてられる。


「将来的に苦手なタイプのこどもにも勉強を教えなきゃならないんだから、その練習がしたいの! 生徒をえり好みするのは先生として失格でしょ? それにあんたは水あげればちゃんと育つタイプっていうか打てば響きそうっていうか、練習台にはもってこいというか……」

「……いいの?」

「えっ」

「俺、勉強して頭よくなったら、大坂さんと同じ大学受けたい」


 俺のこの言葉が予想外だったのか、一瞬彼女は真顔になって、顎を引いた。そして首を傾げた。


「好きにすれば?」


 俺は、変なお伺いを立てたのだろうか。大坂千寿は、きょとんとしている。

 てっきり、同じ大学を受けるのを嫌がると思った。だって、中学校の卒業式にわざわざ俺に嫌いだと告げたのも、同じ高校に来るのが嫌だったからなんだろうし。そりゃあ、大学は広いし、同じ学部同じ学科を受けない限りなかなか顔を合わせる機会もないかもしれないけど。

 好きにすれば、なんて、まったく歯牙にもかけられていないような気持ちになって、少し落ち込んだ。


「あたしはあんたが嫌いだけど、だから同じ学校に来ないでなんて未来を潰すことは言いたくないし、それは嫌いでもやっちゃいけないことだと思ってる」

「……」


 もう最強にかっこいい。

 きゅんとしてメスの顔をしているのだろう俺に、彼女はもう一度首を傾げ、じゃあ、と背を向けた。

 その背中を見て俺は不意に根本的な、あまりにも初歩的なことに気がつく。


「あの、俺の勉強なんか見て、大坂さんの勉強は大丈夫なの……?」

「……大丈夫、と言えるほどでもないけど、復習になるし、そんなつきっきりで教えるわけじゃないし、大丈夫」


 振り向いて、にっと笑ってドアを開けて家に入っていく。


「…………」


 握りしめていた手を開く。もふもふのたぬきが、不敵に笑ってこちらを見ていた。


 ◆

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