夢はまだない
最初の疑問にはとても答えづらいものがある。なんせ俺のチャラさを理解してもらえそうにない。そして、ふたつめの問いにも。
大坂千寿の「仮面」が剥がれたのは、少し前だ。露出狂事件がある前なら、俺は堂々と、大坂千寿の誰にでも優しくて、頭がよくて運動神経抜群で、かわいくてかっこいいところが好きだ、と言えた。でも、今はそうじゃないのだ。
黙っていると、彼女はふんと鼻を鳴らして俺の横をすれ違う。
「帰る」
「お、送ってく」
「いらない」
サンダルの足音をぺたぺたと響かせて、エントランスを抜けていく。ちょっとそこまで、というふうな軽装に、いらないと冷たく突き放されて一瞬悩んで、でもやっぱり追いかける。
「ついてこないで」
「やだ」
「……」
心底汚いものを見るような目で見られ、背筋がぞくぞくする。そそくさと大坂家まで速足で動かしながら、彼女は俺を睨みつけた。
俺は、口を開く。
「あのさ」
大坂千寿は返事をしない。
「俺やっぱり、大坂さん、優しくてかっこいいって思う」
「は?」
つっけんどんに、は、と言われて睨まれて、それでもひるまない。これだけは伝えないと。
「……自分が、よく見られたいってだけの理由で他人に優しくって、なかなかできることじゃないし、きっと大坂さんは、根が優しいからそれが実現できるんだろうなって思うし、なりたい自分をちゃんとイメージして近づこうと努力してるの、すごいかっこいいと思う」
「…………あんたに言われると馬鹿にされてるようにしか聞こえないんだけど」
「俺は……ほんとはあんまり優しくないと思うし、なりたい自分に向かって努力もしてないから」
「……」
そうだ。歩生のことだって、誰のことだって、自分の責任だろう、って、全部自分で選んだんだろうって、そうやって突き放してきた。情けは人の為ならずとか言うけど、そういう次元ではなく、俺は人を突き放す。
それでいて、自分はまったく努力をしない。なりたい自分。大坂千寿に愛される自分になるよう努力をしないで、嫌われている事実に甘んじている。
自嘲すると、大坂千寿はふと口をつぐみ、何か物思うように俺を見た。
そのまま、お互い言いたいことは言ったみたいなので、黙って、大坂家に着いてしまう。
「あの、これ、ありがとう。あと、うれしかったけど、あんまり夜遅くに出歩かないほうが……」
「あんたさ」
俺の忠告をぶった切って、大坂千寿が口を開いた。
「将来の夢って、なんかある?」
きょとんと、間の抜けた顔をさらしてしまった気がする。それくらい、彼女の言ったことは脈絡がなかった。
「え……やりたい仕事とか?」
「そう」
「……えっと……」
頭を切り替えて、必死で考える。でも、そもそもないものを探したって出てくるわけがなかった。
「……まだ、ない」
「そう」
大坂千寿の表情は、能面みたいだった。何を考えているのかまったく分からなくて、そして彼女の前で将来の展望がまったくないことを吐露したのも恥ずかしくて、俺だけが置いてけぼりにされたこどもみたいな顔をするしかなかった。
「あたしね、学校の先生になりたいの」
凛と、大きな鈴を小さく揺らしたような声が闇夜に響いた。
はっとして、俺の呼吸ですらその、かたちになった夢をけがすような気がして、息をひそめた。
「勉強は、自慢じゃないけどできるほうで、それで教えてって言われることも多いけど、先生をやるのは苦手じゃなくて、それで、教えた人の点数が上がるのがうれしかった」
「……」
「だからかな……サチの、カンニングの話は、正直許してない。せっかく教えて、理解してもらえたのに、わざと間違えたんだもん」
…………。
「サチって誰?」
「中原幸彦。フルネーム知らないの?」
察して流すほうがよかったんだろうけど、どうにも俺の中で中原くんとサチという愛称が合致しなかったがために、話の腰を折ってしまう。首をすくめ、門扉に手を置いて続きを促す。
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