弟の好きな子

 殴られたのをそのままにして家に帰ると、珍しくも家にいた姉は驚いて目を丸くした。


「なに? けんか?」

「……かなあ」

「え~」


 眉を寄せつつも、手当てをしようと冷凍庫に入っていた保冷剤を持ってきてくれる姉に、俺は問いかけてみる。


「姉ちゃんって」

「はい? タオルいる?」

「いらない。姉ちゃんって大学に何しに行ってんの?」

「……あんたあたしを馬鹿にしてんのか」


 いらないと言っているのにタオルを、姉は肩をいからせて投げつけてくる。別に、揶揄のつもりで聞いてないんだけどな。


「そうじゃなくて……進路考えようと思ったんだけど、別に行きたい大学も勉強したいこともないのに大学行こうと思ってて、そういえば姉ちゃんって何学部だっけって思っただけ」

「あたし社会福祉学科」

「……って何勉強するの?」


 姉は少し視線を上向けて考えて、うなって、答える。


「社会をよりよくしていくための仕組みを勉強している」

「…………ほんとに?」

「疑ってんのかコノヤロー」

「痛い! いたたたた!」


 中原くんに殴られたところをぐりぐりと握りこぶしで押されて悲鳴を上げる。ようやく解放されて、涙目、いやちょっと泣きながら言い訳した。


「だって姉ちゃん、バイトか遊びかバーベキューしか行ってないじゃん!」

「大学は行って当たり前だからわざわざ行くって言わないの!」

「……なるほど」


 大判の絆創膏を選んで頬に貼ってくれる姉の横顔が、急に大人びて見える。いつもは、ウェーイ朝まで乱痴気バーベキューパーティ最高! みたいな顔をしているのに。


「そっか、彰吾ももう三年かあ。進路ねえ……」

「姉的に俺がK大行きたいって言ったらどうする?」

「全力で止める。受験料の無駄」

「ですよね~」


 絆創膏を貼り終えて、痛いと言っているのに粘着をたしかめるようにぽんぽんと叩く姉が、首を傾げる。


「でもなんだって、ほかにもレベル高い大学はあるのにK大…………」


 疑問を口にしている途中で、ひらめいたように表情が明るくなった。


「好きな子がそこ行きたいの? あんたの学校レベル高いし、そこ行きたい子とか行ける子とかうろちょろしてそうだよね~」

「……」

「無言は肯定、っと」

「なっ」


 救急箱を棚にしまいつつ、姉はにやにやと笑みを隠さない。あまつさえ、詳細を聞き出してこようとする。


「どんな子? かわいい?」

「……かわいいけど、かわいいよりはかっこいい」

「ふーん。サバサバ系かあ……残念……」

「え、なんで?」

「え~、だって一緒に買い物とか行きたい~、きゃっきゃしたい~」


 姉の中で、俺とその子が付き合うことが前提で、さらに自分がその子と買い物に行けるほど仲良くなれると信じて疑ってないあたり、コミュ力のおばけって感じがすごい。

 すごい人だなあ……と半ば羨み、半ば呆れで見つめると、笑った姉は俺の髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き混ぜてきた。


「やめろよ」

「とりあえず、今度の日曜買い物付き合ってよ」

「友達と行けばいいだろ」

「誰も空いてないんだもん」


 舌打ちし、しかし姉と一緒に買い物に行って荷物持ちをすると、甘いものをおごってもらえることを、俺は知っている。適当に頷いて、部屋に退散する。

 ベッドに、着替えもしないまま身を投げ出して、ぼんやりと俺を殴った男のことを考える。

 不公平だ、と吐き捨てた。軽々と人の上を飛び越えていくのが、ずるいと言った。

 きっと中原くんは、俺みたいになりたいのだ。人生を軽んじるくらい能力があって、努力して地を這う人の上を飛び越えていくらしい、俺に。不公平の天秤の、重たく傾くほうに入りたいのだ。

 馬鹿らしい。


 ◆

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