激情の一撃
日本人の高校生のくせに流暢な英語を披露している教科書の登場人物を睨みつける。
大学に行って、俺は何をするつもりなんだろうな。姉も大学生だからなんとなく大学に行くつもりでいたけど……。そもそも姉ちゃん、大学で何やっているんだろう。あの人何学部だっけ……。
「じゃあ問一、武本」
「……」
「武本!」
「っはい、えっ、なに?」
「問一和訳してみて」
「えと……」
慌てて立ち上がり、先生が配ったプリントに目を落とす。な、なんだこれは、ぺ、ぺるはぷす……。
「……ええっと……」
泣きそうになりながら、ちらりととなりの席の女子に救いを求めるように視線を送ると、彼女は口パクで、たぶん、と言った。たぶん?
ぺるはぷすのところをとんとんしながら、たぶん、と繰り返す。どうやらこの単語は、たぶんという意味らしい、たぶん。たぶんってメイビーじゃないの。
たぶん、が分かればあとはなんとなく分かる。
「たぶん、……彼は、苦手な野菜を食べてみようとがんばったかもしれない……?」
「うん、正解。
「は~い」
俺のとなりで、彼女はぺろりと舌を出す。まあ、ばれないわけがないとは思ったが、しっかり筒抜けだったようだ。
着席して、こっそりとお礼を言うと、鷹野さんはにっこり笑って首を振る。
「メインの文章分かってたから、大丈夫だよ」
「ぺるはぷす、って、たぶんって意味なの?」
「……これはパーハップスって読むんだよ」
今度は俺が舌を出す番である。ごまかすように笑って、しっかり単語をノートに写して訳も書く。すると、鷹野さんは目を丸くした。
「武本くんがまじめに勉強してる……」
「……大学に行きたいので……」
「えっ、そうなの?」
「そこ、うるさいよ~」
先生に注意され口をつぐむ。前を向いてまじめに授業を再開させた鷹野さんにならい、俺もそうする。
大学に行きたいけど、どこに行きたいのか、何を勉強したいのかはまったく分からないし、そもそも俺の普段の生活態度を見ていて、俺が大学に行きたいなどと言い出すのは予想もつかないのはなんとなく分かるから、鷹野さんの驚きも当然のことである。
そんなこんなで午後の授業を終えて、帰りのホームルームも終え、クラスメイトが次々と部活に行ったり帰ったりして教室ががらんとしていく中、俺はひとりぼけっと窓の外を見ていた。春の西日を浴びながら、片頬杖をつき見える中庭を通る人たちを、眺めるでもなくただ視界に入れていると、前の席に誰か座った。トシかな、と思って顔を上げると、そこにいたのは予想外の人物だった。
「……」
「……」
じっと見つめ合う。根負けして先に口を開いたのは、中原くんだった。
「武本ってほんとに鼻につくよな」
「は?」
散々熱く見つめ合っておいて第一声がそれかよ。ずっこけそうになりながら、睨みつける。
「さっき鷹野さんと話してただろ、大学行くって」
「はあ、そっすね」
おめーにかんけーねーだろ。と言いたくなったのをすんでのところで抑え、相槌を打つにとどめると、中原くんは苦々しく言う。
「いいよな、器用なやつはちょちょっと勉強して適当なとこ行って大学生活謳歌できてさ」
「……」
「大坂に聞いたよ、北高だって、付け焼刃で入ってきたんだろ?」
「……」
まあ、付け焼刃、と言ったらそうなんだけど、たぶん大坂千寿はそんな言い方しないだろうなと、なぜか思った。
曖昧に首をかしげて肯定のつもりで口元をゆがめると、深々とため息をつかれた。
「おまえ知らないかもしれないけどさ、この高校入るために小学校から塾に通って遊ぶ時間潰してがんばって、それでも入れなかったやつもいるんだよ。その横を、なに中三の後期からちょっとがんばって軽々と入って、ほんとに人を舐めてるよな」
「……」
「そういうところ、俺も大坂も大嫌いなんだよな」
視線を、自分の手元に持っていく。
たしかに、俺の周りにも、ここやここに匹敵する偏差値の高校に受かるために放課後はずっと塾、というやつはいた。そういうふうにがんばってきたやつからすれば、俺はたしかに人を舐めているように見えるのかもしれない。
でも、じゃあ俺は勉強をがんばらずに底辺の高校に通っていればよかったって言うつもりなんだろうか。俺なりにがんばってみて、結果がこうなっているのだから、誰にも口出しさせるつもりはないのに。
たぶん、勉強に関しては人より少し要領がいいんだろうなというのは薄々感じている。あと山勘が当たる。
でもそれって、こんなふうに言われるほど駄目なことだろうか。
「それだけ言うために、こんな時間まで残ってんの?」
「は?」
「あほくさ。そんなふうに俺をけなして下げても、中原が上に行けるわけじゃないのに」
「……んだと?」
「だってそうだろ。俺が仮に人を舐めてて人生ちょろいって思ってたとしても、中原には関係ないことだし、そうやって俺の悪口言ったところで、むしろ中原は人として落ちてるよ」
まぶたに星が散った。
窓と反対側の、机と机の間の通路に椅子ごと倒れ込む。左のこめかみを押さえると、鈍く痛む。中原くんに殴られたのだ、と気づくまでに、時間がかかった。
椅子にもつれていた足を逃がして自由にしながら、中原くんを睨みつけた。
「何すんだよ……」
頭が揺れている気がする。中原くんの激昂した顔も、かすんで見えづらい。
「なんでおまえみたいなやつが軽々と、努力してる人を飛び越えてくんだよ! 不公平だろ!」
だめだ、と思った。あまりにも感情的で支離滅裂すぎて、殴り返す気も起きない。立ち上がり、殴られた左頬をかばいながら歩き出す。
「どこ行くんだよ」
「……帰る」
「……」
「別に、先生に言ったりしないし……」
めんどくさいし、中原くんとまたもめたとなると、先生も黙っていないだろうし。俺は今度こそ濡れ衣を着せられて何かペナルティを食らうかもしれないし。
けっこう強く、勢いよく殴ったみたいで、頭ががんがんと揺れている。わりと本気で痛いかもしれない。
最後にもう一回、中原くんを睨みつけて、教室を出た。
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