メスの顔してるよ

 のろのろとかぶりを振ると、彼女は大げさにため息をついた。


「言えないようなことを言われたの?」

「……」

「黙ってたら分かんないんだけど」


 苛立ったように声を荒らげられても、まっすぐな黒い瞳に射抜くように睨まれても、中原くんは俺の口から彼女に伝えるにはあまりにも残酷なことを言った。

 あきらめたのか、ふいと彼女の手が下駄箱を離れた。ほ、と胸を撫で下ろした瞬間、大坂千寿は吐き捨てるように言った。


「文化祭の軽いノリに付き合わされたあたしはそんなにかわいそう?」

「っ」


 なんで、その文言を、知っているんだ。

 ゆらりと、うつむかせていた顔を上げると、大坂千寿は冷たい目で俺を見ていた。


「ほんとはね、あのとき中原くんがなんて言ったか、あとから本人に聞いた」

「……」

「聞いてもないのに、武本は俺がこう言っただけで馬鹿みたいに突っかかってきた、って教えてくれた」


 なにか、なにか言わなくちゃと思って口をぱくぱくと開閉させるも、肝心の言葉が出てこない。だって俺はあのとき、たしかにほんのちょっと、大坂千寿を「かわいそう」と思ったのかもしれなくて。


「ち、が……」


 かろうじて否定の言葉を絞り出す。大坂千寿は、俺が気持ちを言葉にするのを、根気よく待っていた。


「……俺、中原がうらやましかった……、だって大坂さんのこと幸せにしてあげられる立場にいるんだよ……でも中原はそれをしないって言うから、ぜいたくだって思って、むかついて……」


 大坂千寿をたぶらかして好きにできる立場にいるのに、その権力を行使しない。それが異様にむかついたのも、事実だ。

 それに、文化祭で、俺がさぼろうと空き教室に向かった際に見た、大坂千寿とその友達の姿。好き、と言った彼女の少し曲がった背中。あれを中原くんは裏切ったのだと思うと、はらわたが煮えくり返った。


「馬鹿じゃないの?」


 背中に氷を滑らせたように、ひゅっと冷えた。


「あたし、中原くんに幸せにしてほしいとか思ってないんだけど」

「……え……やっぱり大坂さんクラスになると、人に幸せにしてもらわなくても幸せになれるの……?」

「なにそれ」


 笑った。

 大坂千寿が俺の言葉で笑うのを見たのは、ずいぶんと久しぶりに感じる。実際、十年ぶりくらいだと思う。

 とっさに言葉を失って、また口を開閉するだけになる。目を合わせられずに、鼻のあたりを見ながら、それでも笑っている彼女があまりにもまぶしくて、あの日のチューリップみたいで、泣き出しそうになる。

 覚えているのは俺だけなのに。


「なに泣いてるの?」


 いつの間にか、泣き出しそう、ではなく実際に涙ぐんでいたらしい。笑うのをやめてきょとんとしている大坂千寿の視線が恥ずかしくなって、目尻をカーディガンの袖でこすって、首を振る。


「……ねえ」

「……?」


 けっこう大きな音で、一時間目終了を告げるチャイムが鳴り響いた。下駄箱の近くにスピーカーがあるのは、遅刻防止だろうか。

 上階ががやがやとうるさくなり、だけどこのあたりは静かなままで、大坂千寿はぽつんと呟いた。


「あたしは、あんたが思うような人間じゃない」

「へ?」


 どういうこと、と聞こうと口を開くより前に、彼女は眉根を寄せて小さく肩を落としため息をついて、もう一度笑って、俺に背を向けて行ってしまった。


「あっ、武本! おまえ~、謹慎明けに遅刻とか、やる気ないだろ!」


 先生が俺を見つけて駆け寄ってくる。それにぼんやりと視線を返すと、たじろがれた。


「な、なんだよ、そんな目で見ても単位はやらんぞ」


 俺はどんな目をしているんだろうか。

 大坂千寿に微笑みかけられて、俺はいったいどんな顔をしているというのだろうか。


 ◆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る