クズの見解
「おい、彰吾!」
見回りとは名ばかりの、校内を呆然と歩いている俺に、声がかけられる。
振り向けば、トシとこわい顔のみゃあちゃんがこちらに向かってきていた。なんとなく内容を察しつつ、面倒くさくなって無視する。
「無視すんじゃねーよ! このゲスヤリチンが!」
みゃあちゃんに腕を掴まれ、ようやく立ち止まる。およそ公共の場で飛び出たとは思えない暴言に、うんざりする。俺は今歩生どころじゃないっつうの。
「なに?」
「なにじゃないでしょ、歩生に全部聞いたから!」
「なにを?」
「二股かけてたんだって?」
「…………ん?」
あ、そうか。俺が否定しなかったから、大坂千寿のことはそう処理されているのか。
まあ、気持ちが彼女にあるのに歩生と付き合っているんだから、二股に違いはないのかもしれない。となりのトシも否定しないし。
「で? 大坂さんと修羅場ったの?」
「修羅場ってねえよ、そんなんじゃねえし」
トシは、全然何も分かってない。俺がどれだけ大坂千寿に嫌われているか、彼女がどれほど俺にかかわることを拒否しているか。
みゃあちゃんがすうっと息を吸い込んだ。
「こんなクズだって知ってたら歩生と会わせなかったんだけど!」
「みゃあ、落ち着けって」
「ほんとサイテー! 一回死ねば!?」
みゃあちゃんの暴言が、友達を思ってのことだというのは分かる。俺が、好きな子がいると歩生に告げなかったのはよくない。でも。
「俺だけが悪いの?」
「は!?」
「歩生は自分で俺と付き合うって決めたんだよ、俺がそそのかしたわけでもないし、おまえらにゴリ押しされたからでもなくて、俺を見て、付き合うって決めたんだよ」
かわいそうだよ。いつかの、大坂千寿の辛辣な言葉が耳の裏側で耳鳴りのようにこだましている。
そうかな、みんな俺を見て、そして決めたんだ。俺が無理に交際を迫ったわけじゃない。俺と話して、飯を食って、何回かデートしたりして、それで俺と付き合うってことを向こうが決めたのに、悪いのは全部俺?
それに、こうやって俺を悪者にしたら、彼女たちの意思はどこに行く?
「俺は俺なりに真剣に向き合ったし、それでも一番好きではいられなかったけど、そういの、責めていいの歩生だけだと思うんだよな」
俺はたしかに最低だと思う。悪いことをしたって、歩生には謝って許してもらえなくてもしかたないと思う。
でも、こんなふうにみゃあちゃんに責められる筋合いはまったくない。
「ていうか、なんの権限があってみゃあちゃんが俺にケンカ売ってんの?」
「なに、ショーゴくん頭おかしいんじゃないの……」
顔を真っ赤にしたみゃあちゃんがトシの制服の袖を引っ張る。トシは、反対側の手で髪の毛を掻くと、ぼそっと言った。
「まあ、クズな発言には違いないけど、たしかに彰吾と歩生ちゃんの問題だもんな」
「サトシ!?」
もうこれ以上みゃあちゃんに付き合っていられるか、と歩き出す。なにか背後でわめいているようだけど、俺に対する意味のない罵倒のようで、文章の体になってないから痛くもかゆくもなかった。
でも、論破するってあんまり気分のいいものじゃないな。憂鬱の種がひとつ増えただけだ。
ていうか、見回りって何すればいいの、と疑問に思いつつ、さぼろうと使われていない教室のほうへ向かう。生徒たちの荷物とか、予備の道具とかがあるので、それらに用のある生徒が行ったり来たりしてひとけがまったくないわけじゃないんだけど、だからこそあまり目立たずさぼることができそうだった。
空き教室群の奥のほうは、さすがに誰もいなくてしんと静まり返っている。自分の足音が響くのも気になって、俺はそうっとすり足で進んでいく。
「……?」
誰もいないと思っていたら、入ろうとした教室から誰かの声がした。なんだ、ここまで来たのに人がいるのか、と思いつつそっとドアの窓から覗いて、変な声が出そうになった。
大坂千寿だ。しかもひとりじゃない。同じバスケ部の女の子と一緒にいる。椅子に腰かけて、ふたりで向き合ってなんだかちょっとあやしい雰囲気だ。
まさか。
「好き?」
「……うん」
心臓が一瞬止まった気がして、呼吸も三秒くらい止めた。問いかけに、少し間を置いてうんと頷いた大坂千寿の表情はうかがい知れないが、いつもしゃんとしている背中が少しだけ曲がっている。
握りしめたこぶしに、となりに座るポニーテールの女子の手が重なって、そのままふたりの影も重なってしまうのかと思いきや。
「千寿に特別扱いされちゃう男の子っていいよな~。大事にしてもらえそう」
「そうかなあ」
違った。俺はいったい何展開を期待していたんだ。いや別に期待はしてないけど。
「いいじゃん、バスケ部のキャプテン同士とか、超まんがっぽい」
「ははっ」
「美男美女カップルかあ、いいねいいね」
後頭部を鉄パイプで殴られたように、視界がぐらりと歪んだ。頭の奥が急に立ちくらみを起こしたように重たくなって、ふらついて一歩後ずさる。
そのまま、ふらふらと俺はその場を逃げるように立ち去っていた。もしかして足音を聞かれたかもしれないとか、そういうことを気にする余裕ができたのは、もっとずっとあと。
「あ。彰吾、みゃあ怒って帰っちゃったよ。女ってこえーな……、……彰吾?」
午後の三時を過ぎて、盛り上がりのピークを過ぎた文化祭の喧騒の中をよろけながら歩いていると、前方からトシがやってきた。
「おい、なに魂抜けたみたいな顔してんの、ちょっと」
「……、俺」
俺は、ようやく大坂千寿を諦められるのかもしれない。正面切って祝福なんて絶対にできないし、まず彼女のほうがそれを許さないだろうけれど、それでも、俺はやっと、大坂千寿のことを頭の中から手放すことができるのだ。
「……男バスのキャプテンって、誰だっけ」
「ああ? なに急に。あれだよあれ、うちのクラスの
だめだ。誰だっけ、と聞いておきながら名前を聞いても顔が浮かばない。うちのクラスのやつであるということは分かったものの、たぶんバスケ部員って何人かいるし……。
「ど、どれだ?」
「もう十一月なんだから顔と名前くらい一致させてあげてほしい。ひょろっと背の高いなよっちい奴だよ」
ひょろっと背の高いなよっちい男、というので真っ先にまぶたの裏に浮かんだのは、俺に、単位やべーの、と笑いながら聞いてきたバスケ部のあいつだった。
◆
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