刃は愛撫を兼ねる

 しん、と数十人もの集まっていた委員たちが静かになる。それで、俺は自分がけっこう大きな声を出したことに気づいた。

 でもそれを恥じる前にけっこうみじめな自分に手一杯だった。自分から本人に向けて嫌われていると認めたのははじめてで、意外にもそれがショックだった。自分で言葉にしてしまえば、彼女に卒業式のあの日、まだ桜も咲かない校庭で薄紫色の風が吹く中言われたときよりもよっぽど、現実味を帯びていた。


「……嫌いなら、わざわざ構ってこないでよ……」


 みっともなかった。ひどく、無様な気持ちだった。

 でもそれと同時に、俺は彼女に嫌われているのだと自覚すればするほど、心がざわざわした。首筋がちりと焼けるような痛みに襲われた気がして、そこから甘いしびれが全身に広がっていくような錯覚に陥る。

 俺は大坂千寿に嫌われている。

 その事実は俺を絶望の淵から突き落とすのと同時に、突き落とされた先はどうやら楽園であるらしいと伝えていた。

 自分で自分の感情に説明をつけられなくて、ただただ戸惑って彼女のほうを見られないでいると、大坂千寿はため息をついて言った。


「嫌いっていうのはさ、いちいち目について不愉快だから嫌いなの。触れないでいるなんて難しいでしょ」


 不愉快。その単語に、もっと悲しまなければならないはずなのに。俺は好きな子の眼中にないどころか完全に余計な、邪魔なものとして映っているのだと苦しむべきなのに。どうしてか胸が高鳴ってしまう。

 俺はマゾかもしれない。だって、もっと言ってくれと、俺をもっと罵ってくれと、思ってしまっている。


「あ、あの……武本くん……」


 そこで、広瀬さんに遠慮がちに名前を呼ばれてはっとした。


「ごめ……」

「ううん、もうすぐはじまるから……」


 広瀬さんは、大坂千寿にちらちらと視線を送り、ぎこちなく逸らした。なんだろう、と思って俺もちらりと彼女のほうを見ると、こわばった顔をしている。

 それを疑問に思う間もなく、いつの間にか教室はさざなみのように雑談で満たされていて、すぐに担当の先生が入ってきて話し合いがはじまった。今日は顔合わせというか、細かいことは抜きのオリエンテーションだったらしく、俺たちはすぐに解放される。

 帰り、駅まで広瀬さんと一緒に歩いていると、ぽつんと言った。


「なんか、千寿、意外だったね」

「え……?」

「なんていうんだろ、嫌いな人とかいたんだ~っていうか、あんな冷たい声出すんだ~みたいな」


 ちょっと引いた、と気まずそうな笑顔を浮かべた広瀬さんに、俺は自分の逆ギレがいかに大坂千寿にマイナスにはたらいたのかを理解した。

 彼女の、こわばった顔を思い出す。


「あ、いや……俺、大坂さんとは中学同じで……もともとそんな仲良くなくて……」

「そうなんだ。でもなんかさ、武本くんが何して嫌われてるか分かんないけど、あそこまで言わなくてもよくない? って思った」


 ここで、俺にも理由がよく分からない、と言えばきっと、大坂千寿への風評被害は強まるのだろうな……と思って、曖昧に笑う。


「俺が悪いんだよ」

「そうなの……?」

「うん」


 ほんとうにそうかどうかは、わりとどうでもいい。俺にとっては好きな子に嫌われているというその事実だけで。

 頭の奥のやわらかいところまでぐちゃぐちゃに凌辱された気持ちになってそれがいっそ心地よいくらいでいっそ肉体ごとめちゃくちゃにしてほしくなるんだ。


「じゃあ、俺こっちだから」

「あ、うん。また明日ね」

「ばいばい」


 駅の改札で別れて、ひとりで歩き出す。家に帰る電車に乗り込み、ドアと座席の間に身を寄せる。

 窓に映った自分の顔は、まるで好きな人に散々甘い言葉をささやかれて頭をとろかされた女の子みたいだった。


 ◆

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