第10話 失われた輪

 目の前に制服姿の長門がたっていた。

 背後に広がる街の灯……ぼんやりとした夜空で今にも雨が降りそうだ。

ここは北高の正門だ。正門の花壇に俺は腰掛けており、隣に朝比奈さんが目を閉じたまま俺に肩を預けている。朝比奈さんにしても相当負荷がかかっていたみたいだ。

「あっ!」

 ぱっと目を見開いた朝比奈さんが俺との距離を置く。

 周囲をもう一度見渡すと、北高のすぐ横には小学校があったはずなのだが、建築中の校舎があるばかりで、坂道に沿って並んでいた住宅もまばらだ。間違いなく過去に来たようだ。どれくらい前に来たのか。

 無意識のうちに携帯を取り出す。夜の七時すぎだ――すぐに携帯の画面に何の意味もないことに気がつく。


「そこでなにをしてる」

 一人の生徒が傘を持って立っていた。俺と同じ学生服でブレザーじゃない。一体俺はどっちの過去に来たんだろうか。ハルヒのほうか、それとも真実の過去、なのか。

 道路側に降りてきたその生徒を街路灯が照らしている。細面の鼻筋の通った好感の持てる顔つきだ。目が優しい。秀でた額ともの柔らかな言い方に思いやりを感じる。


「今何年ですか。西暦で」

「おもしろいことを言うね。それとも僕をかついでいるとか」

 それでもその生徒は応えてくれた。俺のいた高校一年二月から二十年以上前……。眼の前にいるこの人は俺の大先輩ってことになるのか。でも、まだ予定の半分も来ていないないじゃないか。

 俺は振り向いたが朝比奈さんは黙ったまま。長門は相変わらず沈黙の海に沈んでいる。唖然とする俺の額にぽつりと雨粒があたった。

「部室に行きましょう」

 朝比奈さんがそう言うなら、きっとわけがあるはずだ。部室で詳しく聞けばいい。

「初めて見る顔だけど君、一年生かい」

「……はい」

「そうか。僕は二年だから君を知らないのかも知れないね。僕もついて行ってあげようか」

 建物は同じでも今の俺は全くの部外者だ。もう校舎の明かりも少なくなっているけれど、この三人組で行くよりは疑われずにすむだろう。

「お願いします」

「ところで君、何の部活に入っているの?」

「えっと、……文芸部です」

「文芸部?」

「はい」

 先輩は微かに古泉に似た笑みを浮かべた。この時代にも文芸部は確かに存在しているはずだが。

「案内してあげよう。雨も降ってきたし。あ、そこのお二人さんはこの傘を使って」

 長門と朝比奈さんに開いてあげてから、小走りに先を行った。向かう先は今と同じ部室棟らしい。向かいの校舎も俺の時代よりは新しく見える。勢いを増す雨に追われるように俺たちはその先輩の後を追った。


 文芸部室は階段を上った先、SOS団と同じ階、同じ部屋だ。

 先にドアを開けた先輩が電灯を付けた。なんとなくついさっきまで人がいた気配がある。

 部室にパソコンがないことで改めて昔に来てしまったことに思い至る。俺の生まれるずっと前だから解らないが、当時のパソコンは部費で購入できるような値段じゃなかったはずだ。当然ながらハルヒが持ち込んだような古い冷蔵庫や着ぐるみ、コスプレ衣装も見当たらない。かわりに黒板の向かいの壁は一面が書架で、ぎっしりと本で埋め尽くされている。

「そこにすわって」

 俺はそこにあった折り畳み椅子を三つ広げ、場所を確保する。朝比奈さんと長門と一緒に机を挟んで先輩と向かいあった。

 窓ガラスを雨が勢いよく叩いている。もう傘なしではどこにも行けないだろう。何のためにこんな中途半端なところにいるのか。目的地まで遠いって言うのに……。


「この文芸部に部員は僕ともう一人、三年生の女子がいるだけなんだ。僕は美術部と掛け持ちだから週に一回しかしか来られないんだけどね」

 部室に侵入するつもりだったのに帰宅途中の文芸部員に出会うとは。これが朝比奈さんの狙いなのか。それとも長門の計算か。

「君、僕が声をかけたときに光る板のような物を持っていたね? 見せてくれないか」

 俺は仕方なく持っていた携帯を渡す。

「これなんだい?」

「電話のようなものです。テレビも視聴できる。あと料金の支払いとか」

「かけてみてくれ」

「まだネットも携帯の帯域をカバーする中継器も発明されていないはずなんで」

「上手い言い訳だね。でもこんなに薄くて軽いテレビなんてみたことがない」

 俺は電卓や携帯ゲームやその他のアプリを一通りみせてあげた。少なくともただの侵入者でないことはわかるだろう。この俺の行為が歴史改変になる可能性もあるが。もしそうなら朝比奈さんが止めに入るはずだし。その朝比奈さんはどういうわけか、ひどく緊張した面持ちで先輩を見つめている。


 スマートフォンを弄っていた先輩は机に滑らせて俺に返した。

「百聞は一見にしかず、というかどんな説明よりも説得力があるね。これは今の技術じゃ出来ない。つまり君は未来から来た。なぜ? しかも三年の先輩が卒業したら廃部が決定しているこんな部活に」

 どこまで話せば良いのか。果たして話して良いのか。横に座った朝比奈さんは長門級の沈黙に浸っており、俯いたままだ。なぜなんだろう。


 ひょっとして、朝比奈さんは俺をここに連れてきたときに、俺にも禁則事項的なかせをはめたりしていないか。俺だけじゃなく朝比奈さんだって、歴史が変わったりしたら困るはずだ。

 逆説的に言えば俺が普通に話せることは話していいのだし、話せないことは禁則なのだ、という理屈が成り立つ。

「俺は……年後からきたんですが、目的は……の暴走を阻止する資料を探すことで……」

 やはり、肝心なところで単語が出ない。

 先輩は理知的な瞳で俺を見つめた。普通こんなヨタ話を口走ったら通報か笑い飛ばすところだ。なのに話を聞いてくれている。

「こうみえても僕は文芸部の端くれでね。いろいろと本を読む内に書きたい気持ちも出てきたのさ。このことを小説のネタにしてもいいかい? 君が本物かどうかは問わない」

「先輩の歴史尊重精神に任せます」

「つまり、僕が書いたら歴史が変わってしまう?」

「正直、俺にも分からないんです」

「じゃ、書くか書かないかの判断は保留することにして、君の手伝いをさせてもらえないか。未来人の手伝いをすることなんかめったにないだろうし……なぜここに来たのか本当のことを教えて欲しい」

 実のところ、この人が文芸部員であれば、俺が調べるより遙かに効率がいいだろう。

「実は探している物があるんですが。昔の文芸誌なんです。誰が作ったか、そのメンバーが今何をしているか」

「いつ頃の?」

「学校に最初に入学した生徒が結成した文芸部が作った文芸誌です。この時点からすると二十年近く前かな」

 先輩は気の毒そうに俺を見つめた。

「この学校にはじめて文芸部ができたのは創立してから三年目だ。君の言っている文芸部は存在しない」


 

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