第9話 断層

 

 翌日。

 またしても雪である。昨日降った雪が日中に融けてガラス状になったところにふんわりと雪がミルフィーユ状に積層してやがる。

 一瞬の気の緩みで俺は宙を舞い、雪の降りしきる空を歩道から眺めるハメになった。

「キョン、大丈夫かい」

 手をさしのべたのは国木田だった。谷口までもが珍しくコートを着ている。

「なさけねぇな。テストが終わった途端これかよ。どんだけこんを詰めてんだよ」

「昨日の特訓の疲れが出たのかい」

「国木田、特訓てなんだ」

「涼宮さんが球技大会へむけた特訓だってさ。もう噂になってるよ」

 谷口は大仰に力尽きた蒸気機関のような溜息をついた。

「お前も命けずってんなー。よく付き合いが続くよな」

「腐れ縁だ」

「とても俺にはできねぇな。あんだけの美形でも性格は最悪だからな」

「部室には朝比奈さんも長門さんもいるし、実は結構仲よくやってるんじゃないの」

 こいつらは朝比奈さんにはつねに同情的だった。特に国木田は文化祭の時に朝比奈さんのメイド姿に舞い上がってたから、意外とそれっぽい気持ちはあるのかも知れん。

 だがそれはやめておけ。朝比奈さんはいつまでもこの時代にいられないんだからな……と言えないのがつらいところだ。


「いまごろ未来の北高生は必死に勉強してるところだな。こんどこそ俺好みの女子が入ってくるのを期待したいぜ」

「ランキング作ってなかったっけ?」

「まあ、転入生でも来ない限り美形ランキングは不動だしな。飽きが来るさ」

「お前はほんと気楽でいいな」

「キョン、それは誤解だ。俺だって将来のことを慎重に考えてるぜ」

「家の後を継ぐんじゃないの? 電気店の」

「いや、大型家電店に押されて個人経営の店は減ってるんだよ。だから……」

 俺は聞いているふりだけして歩みを進める。国木田が相手をしているから大丈夫だろう。

 大丈夫でないのはこの世界だ。

 校内に侵入するであろうジーサンバーサン突撃インタビューの結果、ろくな答えが返ってこなかったら、団の全面的な見直しだという。それがこの世界の見直しでないことを祈るばかりだ。



 玄関口で二人と別れ、俺は少し遅れて教室に入った。

 最初に感じたのは教室の暗さ……いや黒い制服だった。男子は詰め襟の学生服で、女子は古風な黒い生地のセーラーカラーだ。スカートのたけはもっさりと長い。

 コートを脱ぎかけた途端、俺の制服はいつの間にかブレザーではなく、詰め襟の学生服になっている。思わずコートをもとにもどした俺とハルヒの目が合った。

「キョン、なんでコートを脱がないの? まさかパジャマのままで登校したとか?」

「んなわけないだろ」

 コートを脱いだ国木田も谷口も学生服でごく当たり前にさっきの話の続きをしているようだ。まさか一年五組だけ制服コスプレ大会とか?

「ハルヒ、俺たちの制服って学生服じゃないよな」

「じゃ、今あんたの着ているのはなんなのよ?」

「俺の言いたいのは、昔からこんなのが制服だったか、という意味だ」

「北高が始まってからずっとそうよ。まああんたもこのところ忙しかったみたいだし、ボケてんのは許してあげる。でも今日も特訓だからね」

 このあたりはまだ変わっていないらしい。

 教室前部のスライドドアが開いて、英文法の女性教諭が入ってきた。今日の一限は数学じゃなかったか? と言う俺の疑問は直ちに次なる疑問へと昇華した。教壇に立ったそいつが当たり前のように朝のホームルームを始めたからだ。

「岡部はどうしたんだ」

「岡部ってだれ?」

 ハルヒは俺の頭にツツガムシが沸いたかのような顔で見つめている。

「担任だろうが」

「そんなやつ知らないわ」

 ハルヒはそう言い放つと俺を無視して黒板の方を向いてしまった。

 壇上の教師の長ったらしい話がむなしく聞こえてくる。球技大会に向けてクラス一丸となって頑張りましょうね、みたいなクソどうでもいい話だった。勝手にやってくれ。

 ……世界は既に改変されつつある。



 四限の終わりを告げるチャイムがなってもホームルームは始まらない。今日は短縮授業じゃないのか。 ハルヒが学食にすっ飛んでいったところをみるとどうもそうではないらしい。俺はあっけにとられた国木田と谷口を置いて、ハルヒとは別方向に走った。

 行く場所は一つしかない。

 部室のドアを開けると、古風なセーラー服をきた長門、朝比奈さんがいた。

「朝比奈さんも異常に気付いたんですね」

「キョン君、あの……お願いが」

 こんなときにですか。一体何をさせるつもりなんだろう。だが、まずは俺達の中で一番分析能力のある人物に訊くべきだ。

「長門、ハルヒはどこまで世界を変えてるんだ」

「涼宮ハルヒは文芸誌の記述を信じるあまり、その過去を創り出してしまったものと思われる」

「過去があったんなら俺たちと地続きのはずじゃないか」

「本来の過去とは別の時間線を創出し、それを我々の世界に接合しようとしている。昨夜は作られた過去の事象がこちら側に不完全な形で漏出したもの」

「その過去では球技大会の練習にあの坂道を使っていた……?」

「そう」

 文芸誌の記述通りの世界があるとハルヒは信じてしまったのか。それを俺たちが異常と感じるのは、俺たちの本来の過去――朝比奈さんの説では未だ到達できていない――が存在しているからだろう。

「これからどうなる」

「改変速度から計算すると今週末には偽りの過去が真の過去に取って代わる。同時に未来も変化してしまう」

「あのタイムカプセル開梱で、だな?」

「そう。タイムカプセルの内容物を涼宮ハルヒが確認した瞬間、真の過去は消失し、改変は固定される」

「どうすればいい?」

「涼宮ハルヒに真実の過去を認識させる必要がある」


 ハルヒはいったんこうと決めたら梃子てこでも動かない女だ。まして過去にSOS団とそっくりな団体があったとなれば、信じたくなるのも当然だろう。それをどうやってひっくり返せばいいんだ? 真実の過去ってなんだろう。

 ……まさか、この状態は。

 俺はずっと黙り込んでいる朝比奈さんを見つめる。朝比奈さんはしばらくためらっていたが、

「こんな機会が来るのをあたしたちはずっと待っていたんです」

「機会? これが? 俺たちは書き換えられているんですよ?」

「最優先指令が届いたの。キョン君を連れて跳躍するようにって。涼宮さんが偽りの過去を創り出したせいで、一時的に四年以上前へいけるようになったわ。あたしたちはどうしてもその真実の過去に行かないとダメなの」

「重大な転換点となる歴史上の時空座標は既に算出している。これ以上涼宮ハルヒによる改変が進行する前に、偽りの過去を除去しなければならない」

 なぜ俺なんだ? 朝比奈さんが過去に干渉できないのはわかる。朝比奈さんは微妙にこの時間平面上では乖離した存在だから。ならば……。

「長門の力でもダメなのか」

「その世界には情報統合思念体は存在していない」

 どんだけ昔に戻るつもりなのか。たった数年の跳躍で気を失うってのに。それに過去に行っても何をしていいのかさっぱりだ。

「現行の朝比奈みくるの能力ではエラーが多発するため、あなたを安全に移動させることができない。私はTPDDの演算補正を行い、人体への影響を最小限にする」

「じゃ、おまえもいくんだな?」

「私の任務は観察だから」

 後ろから伸びた手でいきなり目の前が真っ暗になる。柔らかいものが背中に当たる。俺はため息を付いた。俺の同意くらい取って欲しいんですが。

「キョン君、ごめんなさい……」


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