第8話 坂道
ようやくテスト漬けの一週間が終わった。
テスト期間中もずっと雪が続いていて、気象台は六十年に一度とかほざいていたが俺はそれどころではなかった。テスト疲れを癒やすまもなく俺は次なる課題に取り組まなくてはならん。
自室のベッドに寝っ転がりながら、俺は文芸誌を手に取る。
古泉は第一巻を複写したからどうぞ、といって渡してくれたのだ。かくして原本は古泉の『機関』に、複写は俺の手元に残った。第二巻はいまだハルヒの手にある。俺もざっと読んだだけだ。
最初の一年分の記録からは高校生活まるっと三年ループ説はかなり怪しかったものの、日付の一致や事件の類似性は無視できない。
ハルヒの言葉も気になる。
全部リセットになるくらいの見直し、とは何だろう。俺たちもまた封印された過去の一つになってしまうのか。
そういえば古泉が言っていた。
『この文集を読んで思い起こすことがあったら教えてください』
過去の文芸誌を作った生徒は俺たちの
つまり生まれ変わりとか、転生とか言うヤツか。俺は古泉のバカ話につきあうつもりはなかったが、例のゴシック体筆記は嫌でも長門を連想させるし、同じ時期に入院したやつもいる。
そんなわけで上質紙にコピーされたその欠落の多い文集を受け取って、時々見返したりしている。過去の北高の話だから建物のロケーションは同じだし、それなりにリアルに親近感がある。
もし二冊目が一冊目と同じ精度で俺たちの行動を近似していたとする。するとどうなる?
たぶん、ハルヒは書いてあることとまったく同じ行動はしないはずだ。あいつはそういう性格だし、退屈のあまり過去を閉鎖したんだったらなおさらだ。ハルヒは予言をことごとくぶっ壊すような行動に出るだろう。
あるいはハルヒが俺もよく読んでいないその第二巻にとんでもなくおもしろい記述を見つけ、この世界で同じことをやってのける可能性はどうだろう。
いったいこれは予言の書、なのか反予言の書なのか……思考の堂々巡りをする内に俺は眠りに落ちていった。
土日は部屋に引きこもってゲームをやったり睡眠貯金を積み立てたりして過ごし、文芸誌をめぐる謎も手つかずだった。今週で二月は終わる。何が起きるのかはまったく解らない。
テスト明けの授業は頭の上を通り過ぎるのにまかせた。どのみち今日から短縮授業だ。俺は教科書を文芸誌にかぶせて読んでいた。思えばハルヒもたぶん第二巻を手に同じことをしていたのかも知れない。休み時間のあいだも一言もなかった。
放課後、部室に全員がそろってからおもむろにハルヒは言った。
「タイムカプセル探しは続けるけど、最悪月末に校内を見張ってて、スコップを持った人が来ればその人たちに決まってんだから探す手間が省けるわ」
「おっさんがスコップを持って校内に侵入した時点で、すぐに通報されるだろうが」
「バカなこと言ってないで、ジャージに着替えなさい」
「何をするつもりだ」
「あたしたちのクラスが優勝するためによ」
「何の話だよ」
と、俺の視野に古泉のニヤケ顔が入ってきた。
「涼宮さんが文芸誌にある記述を発見したのですよ。それが……」
「当時の部長さんが所属していたクラスが春休み前の球技大会で優勝したらしいのね。で、思ったの。大昔の生徒に出来てあたしに出来ないはずがないじゃない?」
春休み前の球技大会がそんなに大昔から行われていたとは知らなかったが、ハルヒもやる気らしい。
「朝比奈さんと長門は関係ないだろ」
「これは団の活動の一環なの!」
……かようなわけで俺たち五人はもうすっかり暗くなってきたグラウンドをぐるぐる回っている。ときおり
ハルヒは遙か先を走っていて、振り返っては活を入れている。長門は平然とその後ろで距離を保ち、俺と古泉は既に寒さと疲労で意識がかすれがちになっているであろう朝比奈さんを支えつつ、何とか徒歩に毛が生えたくらいのスピードで後について行っている。
「少なくとも予言の一つは成就させるつもりらしいな」
「涼宮さんの目標が球技大会優勝へとロックオンされた以上、これは実現するでしょうね」
「あのタイムカプセルとか埋めた連中もか」
「おそらく」
「俺は開けない方がいいと思う。ですよね、朝比奈さん?」
「……あの、ちょっと息がきれちゃって……ごめんなさ、……そう思います」
俺と古泉は足を止めた。ハルヒはちょうどトラックの反対側、校舎のすぐ下当たりを走っている。
「朝比奈さん、あなたの上司というか、なにか指令とかは来てませんか」
「はぁ……。その……ないです。ひぃ」
ふうふう言ってる朝比奈さんには申し訳ないが、今回は「あの人」は絡んでいないんだろうか。閉鎖されている過去への手がかりだというのに。
「こらぁ! そこの三人! 立ち止まらない! 走りなさいよ!」
あっという間にトラックを半周してきたハルヒが勢いよく走ってくる。仕方なく、しゃがみ込んだ朝比奈さんを俺と古泉で助け上げる。そのとき……。
「古泉」
「なんでしょう」
「正面玄関に向かう坂をみてみろ」
「誰か歩いているようですが」
追いついたハルヒは息一つ荒げずに俺の指さす方向を見つめている。
「こんな時間に怪しいわね」
って言う俺たちもかなり怪しいんだが。
一人……二人。一定間隔で正門から正面玄関へと小走りに登っているようなのだ。誰だろう、という疑問よりなんなんだろう。おぼろに人としての形をしているが何か異形の存在へと形を変えている。
「いくわよ! キョン、遅れんじゃないわよ」
こんなことにはすぐさま反応するハルヒは校庭から教室棟への階段を目指して走り出した。
「古泉、お前が原因じゃないよな」
「ええ」
「朝比奈さん?」
答えはない。まだ息切れして応えるどころではないらしい。首をふるふると振ったところを見ると推定無罪だ。
「あとを追うしかないか」
「……ですね」
古泉は朝比奈さんに手をさしのべ、長門は無音無風で滑るように走り、俺はちょっとよろめきつつ後を追う。
グラウンドから階段を上りきるとハルヒが正面玄関の少し前、ちょうど正門を望むところで足を止め、辺りをうかがっている。
「ハルヒ」
「静かに!」
ハルヒの指は正門を向いており、そこには名状しがたい白い霧のようなものが浮いている。こちらに気づいた様子もなく、また一つ、またひとつと正門から登ってくる。人型であることは分かるのだが、半透明ではっきりしない。油染みた窓ガラス越しに見るような濁った存在が正門から入ってきてはゆるゆると坂を上って玄関の手前でふっと消える。
「なんだろ、あれ」
ハルヒがつぶやくように言った。
「ひっ」
俺の背中に朝比奈さんがしがみついた。逃げたしたいような、いやこのままでいたいような柔らかいものが背中にあたる。やめてくれませんかこんなときに。
少し遅れてなめらかに登ってくる白い人型はそれまでのより小さく、輪郭がやや明瞭だった。まるで子供の幽霊のような……。
やがて唐突に白い人型の歩みは終わった。澄み切った夜空に星々が見えるだけになった。冷たい空気のせいか遠くの街の灯が鮮明だ。
最初に我に返ったのはハルヒで、
「みんなはここで待ってて。あたしとキョンで調べてくる」
「わっ」
一瞬で朝比奈さんを引きはがして古泉に預けたかと思うと、俺の腕を掴んだまま正門への坂を下りていく。
「いまのなんだったんだろ」
「俺に訊かれてもな」
「タイムカプセルと関係があんのかも」
「えっ」
「四十年って大昔じゃない? ひょっとして……アレを埋めた人はみんな亡くなってて、魂だけが約束を守ろうとして。だから幽霊? なのかも」
「それはないだろう」
「どうしてそう思うのよ」
「冬に幽霊なんかでないだろ」
とはいうものの確信はない。唐突に俺は長門が書いていた幽霊話の一節を思い出した。
“幽霊と会話できる存在がいるとしたら、その存在も幽霊……”
これはハルヒが原因なのか。それとも……長門がまたやらかしたのか。
ハルヒは俺から離れ、正門から坂道の向こうを眺めている。俺も反対側の上り坂側を見たが何もない。正門前の電柱に架かる街路灯がわびしく光っているだけだ。
「誰もいないわ」
「そろそろ戻ろう。このままじゃ風邪を引きそうだ」
ハルヒはチラリと俺を見て素直に向きを変えた。正面玄関までの短い道のりを並んで歩く。
「キョン、もしあんたがタイムカプセルを埋めたとして、掘り起こしに来る? 四十年後でも何年後でも?」
「生きていて、それなりに余裕があればくるさ。その頃には俺だって
口には出さないが、俺みたいな高校生活を送っているヤツはそうザラにはいないだろう。ハルヒみたいなのも多分唯一無比の存在だ。何しろ空間を丸ごと閉鎖しちまうような女はそういるとは思えん。
「四十年後にあたしはいるのかな」
「どういうことだ」
「別に死ぬとかそういうことじゃなくて、あまりにつまんない日常に飽きてしまってどこか――例えば外国とか――にいってるかも」
「つまらないなら面白くすればいいさ」
ハルヒは歩みを止め、俺を見上げる。
遠くの街の灯と天上の星の川を背後にハルヒの瞳が一瞬きらめく。
「そうね。そのためにSOS団をつくったんだものね」
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