第3話 閉架書庫にて

 そう簡単にはいかなかった。

 現国教師の指示が回っていた。図書委員は一般図書としてのあつかいを断固として拒否した。

「文句は先生に言ってよ」

「先生は一般書架へ置いてはいけないと言ったんですよね? では閉架へいか書庫に保管だけさせてもらえませんか」

 笑顔を絶やさずおだやかに詭弁きべんを展開する古泉に、図書委員の女子はくらっときたらしい。やがて陥落かんらくしたのか首を縦に振った。

 古泉は催眠術でも使えるに違いない。


 閉架書庫は高額な古書や修復が必要な本が保管されているところで、貸し出し禁止である。だから文芸誌の保存だけならいいだろう、との判断らしかった。同学年の女子にそこまで高飛車に言われたくはないが、北高のトラブルメーカーことSOS団の手になる雑誌ときたら、まあ警戒はするだろう。

 書庫まで案内をしてくれた図書委員は古泉に笑みをなげ、俺には疑わしげな視線を飛ばしてから去っていった。


 ずらりと並んだ大型の本棚は奥に行くほど年代が古くなっている。棚ごとに一つか二つ仕切りが入っていて、部活名が書いてあった。もう北高に存在しない部活名もいくつかある。

 奥に進むにつれ、本を紙魚しみがひそかにかじってっているような独特の甘いにおいがする。一番奥の本棚の中段に“文芸部”と書いた仕切り紙が見えた。文芸誌は開校以来、継続的に発行されていたようだ。

 年をさかのぼるほどに冊子の厚みが増しているのは、昔は娯楽が少なかったからだろう。一番薄いのが去年の二月の日付で、作った生徒は卒業してしまい、そのあと長門がひとりで入部(?)したわけだ。

 薄い昨年度の文芸誌の横に、俺はもってきた真新しい文芸誌をねじ込んだ。ばりっとした高級紙だからひときわ目立つ。


 滅多に来る機会もないことだし、俺は書棚からランダムに一冊とりだしてページをめくった。

 制作年次はかれこれ二十年以上前で、装丁はまだしっかりしていてシンプルなイラストが表紙になっている。

 編集後記をみると、部員は三年の女子と二年の男子生徒だけのようだ。狭い部室で向かい合って原稿を書いていたんだろうか? たった二人だけ、というのも不自然だ。当時は創部規定が違ったのか。

 二人ともかなりの達筆だった。男子の方はほかの部活との掛け持ちらしい。その文芸誌の翌年号はなかったから、三年生女子の卒業とともにいったん休部になったらしかった。


 室内が暗くなってきたので携帯を開くと閉館時間も近い。俺は元あった箇所に文芸誌を戻した。こんどヒマがあったら閲覧してみよう。

 任務完了とばかりに俺が振り返ると、古泉が一つだけあるテーブルに向かって文芸誌を読みふけっている。

「そろそろ閉館だぜ」

「これは本棚の一番奥にあったんですが、気になる記述があります」

 文芸部の棚の古い年代の場所で、その左端ということは……。

「この文芸誌が最古、ということか」

「そうです」

 俺は改めて、古泉の手にある文芸誌を見る。

 古めかしい和綴わとじの本で、背表紙に開校してまもなく新しい校舎に移転した年号が表記されている。かれこれ四十年以上前だ。表紙は劣化がすすんで何が書いてあるのかははっきりしない。背表紙には“探索部たんさくぶ始末記”とある。


 古泉はポケットから黄色い付箋ふせん紙を取り出して、ところどころに貼り付けている。

「この一年、あなたも忘れ得ぬ思い出はたくさんあると思います。ほとんど毎月のようになにかしら事件やイベントがありましたからね。そのうちの幾つかは僕も深いかかわりがあったわけですが」

 いつもながらこいつは前振りが長い。特に『機関』がらみとかハルヒ関連については常に婉曲えんきょく表現だ……ということはそうなのか。もはや普通の高校生の会話を全く期待しないまま、俺は古泉の横に座った。

「去年、涼宮さんの発案で第一回ミステリーツアーをしたのはいつでしたっけ?」

「たしか五月の下旬くらいだったかな……お前も行ったろ」

「あの島に行ったのは?」

「夏休みが始まってすぐだ。企画したのはお前だろうが」

 おまけにあの夏休み後半は終わらなかった。一万数千人いたはずの俺たちの記憶は虚空に消えて一つだけが残った。それが今の俺たち、ということになっている。



「これは当時結成されたばかりの探索部の記録です。彼らは生徒会には文芸部と称していましたが、実際の活動はきわめて多岐たきにわたっています」

「まるで俺たちにそっくりだな」

 と言った瞬間、俺の左肩甲骨けんこうこつのあたりに不吉な何かがへばりついたような気がした。

 古泉の笑みは極めて薄く、徐々に俺のいやな予感が加速する。

「この付箋を付けたところを見て下さい」

 かなり急いで読み飛ばしたようなのに、本の上から一定間隔に綺麗に付箋がはってある。通信講座で速読でも習ったんだろうか。こいつは超能力以外にも特殊技能があるらしい。

「過去に我々と同じような集まりがあったとしたら、どう思います?」

 俺は本を受け取って黄色付箋を頼りに本を開いた。

 ”第一回 不思議探索”と書いてある。

 思わず俺は末尾の編集後記を見る。制作者はそれぞれペンネームで書いているので断定はできないが、おそらくメンバーは女子三名、男子二名だろう。編集長のペンネームは名前から察するに女子だ。

 当時の学生名簿ならまだ図書室にあると思うが、たとえ引っ張り出したところで、人物特定は無理だろう。

「我々とよく似ていることは確かですね。しかも女性がリーダーらしい」

 まあ、このころは男の、なんていなかっただろうし土佐日記を気取るヤツもいなかったとすれば、性別を変えてペンネームにするはずもない。なんかの略号なのかアルファベット三文字のが一人、リーダーの女子は筆圧の高い感じの達筆だ。そして一人だけ異様に整った印字品質のゴシック体……。まさか。


 古泉は紙面を指した。

「日付を見てください。我々が一学期に不思議探しツアーに出かけたのと同月同日です。これは偶然でしょうか」

 さらに別の付箋個所を開く。

「もうひとつ。全員で夏のキャンプに出かけていますが、これも我々が島に出発した日と同じです」

「ほかにもあるのか」

「そこから少し戻ってください……前から三番目の付箋です」


 ソフトボール大会健闘けんとう記録、とある。マジか。

 ざっと読んでみると部活動費の配分で生徒会ともめたあげく、部活対抗ソフトボール大会で決着を付けたらしい。場所は学校の野球場だ。開催日は去年の第九回市民野球大会とおなじ、人類の生存をかけた俺の大活躍(と長門マジック)の末に上ヶ原かみがはらパイレーツに圧勝した日だ。

 ただし、探索部の試合は負けている。俺たちの大会参加理由はハルヒの思いつきだったし、これも違う。記事は一人を除いた全員が悔しまぎれに書いたとしか思えない内容だった。

「偶然と言うにはできすぎてる」

「涼宮さんが創造主だとしたら、この世界を造る前になんらかの予行演習を行っていた、ということにならないでしょうか」

 俺は本を机の上においた。いきなり話が飛躍したが、ごく自然にそうかもしれないと思った俺が少しイヤだ。

「しかしその世界では涼宮さんの心は満たされなかった。そこで我々の世界を創造した。もしかすると世界は何度も創造されていたとしたら?」

 古泉は妙に熱くなっていて、普段見せるシニカルな態度がどこかに消えちまってるが、こいつの本心はわからん。


「未来に狙いを定めて新たに世界を創り出し、以前の世界をまるごと閉鎖してしまったのです。これが朝比奈さんの言う時間の断絶、ではないでしょうか? とすれば我々の信じている創造主説と朝比奈さんの時間断絶説は同じ物事の二つの側面でしかなかったことになります」

 古泉の言葉を聞き流しながら、俺は考える。

 こいつとつきあい始めて一年近くになるんだ。簡単にはだまされないぜ。

「ひょっとしておまえの企画が終わってないって可能性の方が高いんじゃないか」

 俺だって今ではハルヒの能力を信じている。信じざるを得ない物証の数々をの当たりにしてきたからな。

 でも古泉の説はあまりにぶっ飛んだ話だし、検証のしようがない。この古びた文芸誌も誰かさんの作り物ってほうがよっぽど信憑性しんぴょうせいがある。

 俺は以前ネットで見た知識を思い出す。台所にでも転がっているような化学物質と電子レンジさえあれば、劣化紙は簡単に作れるらしい。


 古泉は俺の質問に動じなかった。ちょっと大人びた笑みで俺を見返している。

「僕に、いや『機関』にそこまでする理由があるでしょうか?」

「ハルヒが退屈したり激怒するとまずいんだろ」

「もちろんですが、今回は文芸誌の発刊という課題にSOS団が取り組んで解決した……それ以上のことはなにもありません」

「今はおまえの言葉だけだ。証拠がない限りこんなトンデモ説を信じる気にはなれん」

 古泉は肩をすくめ、驚いたことに古泉は紙袋にその文芸誌をいれた。いったい何のつもりだ?

「ここの本は貸し出し禁止じゃないのか」

「宇宙法則すら歪曲する涼宮さんを前にして、校則を守る必要などあるでしょうか?」

 そこまで言われちゃ俺も返す言葉もない。


 窓口の図書委員は相変わらず微妙な視線をこっちに向けていたが、俺は気にしないことにした。持ち出しがバレても古泉なら何とかするだろう。



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