第35話 餌

 赤竜ディーから教えてもらった裏道を使って、ディランたちは目的地へと楽々と向かっていた。ほぼ山のふもとから巣まで一直線に続くその洞窟は、人間がぎりぎり通れるぐらいの太さで、魔物もほぼいない。普通のルートだと、ワイバーンに何度も出会うことになる。

(もしワイバーンに街を襲わせてるのが本当にディーだったら、ここを使って攻め込むことになるのかな……)

 それを考えるのは憂鬱だった。もっとも、自分たちはたぶん参加しないだろう。とてもじゃないが、ドラゴン相手に戦力になんてならない。

(エヴァやラムは元気かな)

 ディーと共にいるはずの、二本ふたりの魔剣のことを思い起こした。赤竜と敵対したら、彼女たちとももう会えなくなるんだろうか。ウォードなんかは、ひどく悲しむに違いない。

 いやそんなことより、生きて帰れるかの方が重要だ。そう思ってため息をつきかけたが、

(……あ)

 セリアの顔が視界に入り、ディランははっとした。唇をぎゅっと引き結び、不安そうに眉を寄せている。彼女を元気づけるのが、自分の役割だろう。ため息なんてついてる場合じゃない。

「大丈夫だよ。ディーが話の通じるやつだっていうのは、俺たちよく分かってるじゃないか。それに、万が一の時は逃げればいい」

「……うん」

 セリアはこくりと頷くと、ディランの腕にすがるようにしがみ付いた。胸の中に、幸福感と責任感の両方が湧き上がるのを感じる。シルトも今度は茶化してきたりはしなかった。

 やがて、洞窟の終わりが見えてきた。緊張の面持ちで外に目をやる。

 垂直に掘られた大きな穴の底には、今は何者の姿も無い。戻ってくるまでしばらく待つしかないか、そう思っていたのだが、

「……あ」

 奥に続く別の洞窟の陰に、一組の男女が佇んでいた。

 最初ディランは、一人しかいないのかと勘違いした。何故なら、体を溶け合わすように強く抱きしめ合っていたからだ。

『ひゃあ……』

 とシルトが言うのにも、今なら共感できる。二人は、激しいキスを交わしていた。

 どうしようかと仲間たちに相談しようとして、ディランは思わず固まった。陶然とした表情のセリアが、二人の行為に見入っている。赤く染まる頬と、わずかに開いた唇が色っぽい。

「ディランじゃないか」

 不意に名前を呼ばれ、呪縛が解けたかのように視線を動かした。心臓が、どきどきとうるさい。

 先ほどの男女、赤竜ディー魔剣エヴァが、ディランたちの方を向いていた。声をかけてきたエヴァが、親しげな表情を見せている。心なしか、ディーの方は迷惑そうな顔をしているような……。

(……とりあえず、敵意は無さそうかな)

 ディランは少しほっとした。だがまだ油断はできない……などと思っていると、

「ディーさまー! 大変なんですっ!」

 いつのまにか少女の姿になっていたシルトが、大男に向かって頼りない足取りで駆け出した。慌てて止めようとするディランの腕を、セリアが掴む。

「様子を見ましょ。あの子に説明してもらえるなら都合がいいわ」

「……まあそうか」

 シルトを所有しているのはディーで、ディランたちは預かっているだけだ。仮に彼がワイバーンを操っているのだとしても、シルトに危害を加える理由は無い。

 少女の真っ白な長い髪が、ふわふわと揺れている。この姿を見たのは久しぶりだ。エヴァやラムと違って、シルトはあまり人型を取りたがらない。疲れるとかそういうことではなく、単純に慣れていないようだ。

 シルトはワイバーンの問題について、熱心に説明していた。主人ディーに対しては魔物臭いと思わないのかなとディランはふと思ったが、聞いてみる度胸は無い。

 やがて話が終わると、シルトは疲れたように肩を落としていた。エヴァが、頭を優しく撫でている。まるで母親のようだとディランは思った。

 ディーは少し考えるようにしたあと、こう言った。

「つまり、私がワイバーンを操っているのではないかと問いただしに来たわけか」

「いや、まあ……」

 ディランは言葉を濁す。その通りと言えばその通りなのだが、本人を前にしてはっきりとは言い辛い。

 すると、セリアが前に出て言った。

「でも、違うんでしょう?」

「もちろん、違う。人間の街を襲う趣味など無い」

「なら、ワイバーンの行動の理由を教えて欲しいの。あなたなら分かるんじゃないかと思って」

「教えて私に何の得がある?」

 面白がるように言うディーに、セリアは毅然とした口調で告げた。

「街の人たちは、あなたが黒幕だと思ってるわ。このままだと、冒険者たちが大挙してあなたを退治しに来るわよ」

 脅すようなその言葉に、ディーはぴくりと眉を動かした。横で聞きながら、ディランは冷や冷やしてしまった。さっきまでは不安そうにしていたセリアなのに、まるで別人のようだ。本番に強いと言うか、なんと言うか。

「それでも負けないのかもしれないけど、でも面倒だろう? ワイバーンが襲ってきた理由が他にあること分かれば、冒険者たちがここに来る理由も無くなる」

 ディランはそう補足した。赤竜はまた少し考えたあと、こう言った。

「まず、誰かがワイバーンを操っているという可能性は考えなくとも良い」

「そうなの?」

 セリアが若干疑わしげに尋ねる。相手は言葉を続けた。

「他者の命令を聞くほどの知能すら、やつらは持っていない。この山から追い出すぐらいなら私でもできるが、それが限度だ」

「じゃあ、ワイバーンたちが自発的にやってるのね」

「その通りだ。やつらが集団を作ることはほとんど無いが、例外がある」

「例外って?」

「お前たちも見たことがあるはずだが」

 ディーはそこで言葉を切った。どうやらこちらに答えさせようとしているようだ。

「洞窟の中にいたやつらの話か?」

「それは私が捕まえていただけだ」

 ウォードの言葉に、ディーは素っ気なく言った。やっぱりあれは食糧庫だったらしい。

「ん? もしかして、洞窟の近くにいたワイバーン?」

 食糧庫のすぐ外に、大量に飛んでいたのを思い出す。なんであんなにいるんだろうと思っていたが……。

「……まさか、仲間を助けるため?」

 セリアがはっとして言った。ディーは満足したように頷いた。

「そういうことだ」

生餌いきえにしてたってわけね……いい趣味してるわね」

「わざわざ食料を探しに出るのも面倒だからな」

「ちょ、ちょっと待って。どういうことだ?」

 話についていけていないディランが口を挟む。仲間を助ける? 生餌?

 すると、セリアが丁寧に説明してくれた。

「洞窟の中にワイバーンが捕まってたでしょ? 外を飛んでたのは、そいつらを助けようとして集まってたのよ」

「ああ、そういう……。生餌って?」

「あいつはわざと生きたまま捕らえておいて、ワイバーンをおびき寄せる餌にしてたってわけ。いくらでも捕まえられるようにね」

「な、なるほど」

 ディランは引きつった笑みを浮かべた。ひどいことを考えるものだ。もっとも、動物を家畜にしている人間たちが言えた義理ではないのかもしれないが。

「ちょっと待てよ。ってことは、街のどこかでワイバーンが捕まってるってこと?」

 ディランはふと思いついて言った。今までの話を総合すると、そういうことなのだろう。

「なんでワイバーンが街にいるんだ?」

 ウォードも首を傾げながら言う。勝手に紛れ込んできた、なんてことはまず無いだろう。なら、誰かが捕まえているはずだが……。

 当然のことながら、生きた魔物を街に持ち込むのは禁止されている。研究のためなどで特別に許可されることはあるが、極めて稀な例だ。

「それは私が答えられる問いではない。お前たち人間の問題だ」

「うーん……?」

 ディランも同じく首を捻る。理由が全く思いつかない。

「用はそれだけか?」

「ええ。ありがとう」

 セリアが丁寧に頭を下げる。来た道を指さしながら言った。

「とにかく街に戻りましょう。これ以上聞けることも無さそうだし」

「……そうだな」

 まだ色々ともやもやしていたが、ディランはセリアの言葉に従うことにした。

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