第17話 決断

 王都にある宿の一室で、ディランは目覚めた。体を起こして窓の外を見ると、整然とした街並みや、遠くの中央広場の賑わいが見える。懐具合の問題で、ぼろくて汚い木賃宿に泊まっているのだが、部屋からの眺めは悪くなかった。

「おはよう、ディラン」

 声に驚いて、勢いよく振り返る。ほんの少しだけ頬を緩めたエヴァが、椅子に座ってこちらを見ていた。朝起きて、女性――少なくとも見た目は――がそばにいるというのは、どうしても慣れない。

「おはよう」

 ディランは挨拶を返しながら、目を背けた。今の彼女が着ているのは、例の下着のようなやつだ。ずっとローブを着ていて欲しいのだが、動きにくいということで、人前以外では断られてしまった。もし誰かがディランの寝込みを襲いに来た時に、対応できるようにということらしい。命を狙われる覚えなんて無いので、大丈夫だと言ったのだが……。

「着替えるから、向こう向いててくれない?」

「分かった」

 エヴァは壁の方を向いた。最初は首を傾げられたが、もう何度か繰り返しているやりとりなので、素直に従ってくれる。

「ディランは裸を見られるのが嫌なのか?」

「嫌と言うか、まあ、うん」

 曖昧に答える。セリアだったら、剣相手に何恥ずかしがってるの、とでも言いそうだ。いや、絶対そう言うだろうと、ディランは確信した。

(……でも、もしエヴァが男性だったらどうだろう)

 それでも、同じ部屋にいながら平気な顔をして脱ぐんだろうか。何となく、追い出しそうだ。

 そんなどうでもいいことを考えてしまったディランだったが、続くエヴァの言葉に、思わず声をあげた。

「しかし、私も裸のようなものなのだが」

「えっ!?」

 つい彼女の方に目をやってしまう。エヴァは、服の胸元を引っ張っていた。

「これは脱ぐことができないからな。確かめてみるか?」

「いや、いい、いい」

 ディランは慌てて首を振ると、自分の作業に集中した。しかしこれ以上脱げないというのは、安心したような、残念なような。

 身支度を済ませて、ディランはベッドから降りた。エヴァは、まだそっぽを向いている。

「そう言えば、他にも何か思い出した?」

「いや」

 エヴァは首を振った。

 修復作業で彼女が思い出したのは、『自分の願いはドラゴンに関すること』ということだけだった。しかもそのドラゴンというのは、ディランたちが北の山脈で見た、あの赤竜レッドドラゴンらしい。

 赤竜をどうすればいいのか、それは分からない。分からないが、仲間と議論したところ、やはり退治じゃないのか、というのが結論だった。前の持ち主が、赤竜退治を望んでいたのかもしれない。

 マリーの師匠は、記憶は徐々に戻っていくんじゃないかと言っていた。しかし、自分たちにそれを待つ時間は無い。願いを叶える期限は、残り十日ほどだ。他に策は無いかと聞くと、実際に赤竜を目の前にすれば、すぐに思い出すかもしれない、ということだった。

(それだけでも、相当危険だな)

 一体どこまで近づけばいいのか。本当にまで行って無事に逃げ出せる自信は、ディランには無い。やるなら、覚悟が必要だ。

「ちょっと、ここで待っててくれ」

「分かった」

 素直に従うエヴァを残して、ディランは部屋の入口へと向かった。扉を開けて廊下に出たところで、声をかけられる。

「ディラン」

「ん?」

「そろそろ、私を壊す算段を立てておくべきなんじゃないか」

「……」

 ディランは何も言わずに扉を閉めた。


 セリアの部屋の扉を叩くと、「ちょっと待って」と言われて、少し待たされた。中からは、どたばたと動き回る音が聞こえる。

「どうぞ」

 開いた扉から部屋に入る。彼女にしては珍しく、中は少し散らかっていた。本や紙の資料が、雑に積み上げられている。

「これって……」

 机の上に放置された、開きっぱなしの本のページには、ドラゴンの絵が載っていた。生態や能力について、細かく記述されている。

「昨日から、調べてたけど」

 そう言うセリアは、夜更かししたのか、眠そうな顔をしていた。

「無理よ、ドラゴンと戦うなんて。かなうわけない」

「倒さなきゃいけないかどうかは、まだ分からないだろ」

「近づくことすら無理よ」

「……」

 黙ってしまったディランに、セリアはぽつりと呟くように言った。

「やっぱり、壊した方がいい」

「そんな」

「命には代えられないでしょ?」

「……金はどうする? 今から稼ぐにしても、時間が足りない。装備を処分しなきゃいけなくなるよ」

 治癒の軟膏だとか、非常時のための攻撃用の魔道具とかを売れば、なんとか金は工面できるだろう。だがその後は、金も装備も足りない状態で、慌てて仕事を探すことになる。苦しくなるだろう。

 もっとも、それは半分言い訳のようなものだ。それよりも、エヴァをたくないというのが、ディランの本心だった。人間じゃないんだから、なんて割り切ることはできない。

 そんな思いを見透かすかのように、セリアはディランをじっと見据えていた。思わず視線を外す。

「一人で行くよ。元々、俺だけの問題だから。それを言いにきたんだ」

「なっ」

 ディランが言うと、セリアは目を見開いて絶句した。

「セリアたちは、待っててよ。エヴァの記憶が戻るまで近づいて、すぐに逃げるつもりだ。一人の方が、逃げやすいかも……」

「そんなことできるわけないでしょ!?」

 激昂げっこうしたセリアが、ディランの腕を強く掴んだ。彼女の気迫に圧倒され、唖然とする。

「あなたが行くなら、私も行く! 待ってるなんて、絶対に嫌」

 セリアの目には、涙が溜まっていた。ディランは狼狽うろたえながら、なんとか言葉を絞り出す。

「わ、わかったよ……」

 それを聞いて、セリアはようやく手を離し、表情を緩めた。目元をこすりながら、弱々しい声で言う。

「本当に行く気なの?」

「うん。もう決めたんだ」

 ディランは小さく頷いた。彼の瞳には、澄んだ決意が宿っていた。

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