第13話 王都

 魔物との遭遇に懲りたディランたちは、予定よりも遠回りして、より安全な道を進むことに決めた。そのせいで余分に日数はかかったものの、一度も魔物を見ることなく山脈と森を抜けることができた。エヴァの傷は、彼女の言う通り、受けた次の日には綺麗に治っていた。

 森を出ると、北に広がった草原の先に、王都の姿が見えてきた。遠くからでも、周りを囲んだ高い壁と、小高い丘の上に建てられた豪奢ごうしゃな城がよく見えた。

 王都の東西には、人や馬車が列を成していた。皆王都に入るための順番を待っているのだ。もし正規の街道を通ってきていたら、山脈をぐるっと迂回して、西側の人の流れに混ざっていたはずだった。

(でかいなあ)

 手でひさしを作りながら、ディランは王都を眺めた。特に、城がでかい。あまりにも大きいので、縮尺の感覚が狂っているんじゃないかと思うほどだ。

 仲間たちの方に目をやると、エヴァ以外はみな見入っているようだった。最初に「早く行くわよ」とか言い出しそうなセリアも、黙って目を向けている。

「……そろそろ、行く?」

 ディランがおずおずと言うと、セリアがはっとしたように顔を向けた。

「そうね、行きましょう」

 彼女はこくりと頷くと、歩き出した。


 王都は思ったよりも遠く、西門に着くまでに一時間ほどもかかってしまった。ここからさらに列に並ばされるのかとディランは思ったが、マリーが身分証か何かを門番に見せると、順番を飛ばしてすぐに通ることができた。

「わあ」

 王都の中に入ると、セリアが意外と――と言うと失礼だが、可愛らしい声をあげて喜んだ。西門から繋がる大通りには、旅人向けの店舗や露店がひしめき合っていた。世界中様々な場所で作られた小物や装身具のたぐいが、店先に並んでいる。

「見ていく?」

「い、いいわよ、べつに。マリーの師匠のところに急ぎましょ」

 ディランが尋ねると、セリアは顔を赤くしながら首を振った。

「ほら、案内して」

「うん」

 マリーの腕を引っ張って、すたすたと早足で先に行く。そこまで急がなくてもいいと思うけど、とディランは思った。

 ウォードは歩き出しながら、辺りを見回してぽつりと言った。

「王都に来るのは初めてだな」

「そうだね、俺も」

「剣の道場がたくさんあるらしいな」

「……道場破りしたいとか言わないでくれよ」

「さすがにそこまで自惚れてはいないさ」

 ウォードは笑った。本当だろうなとディランは念を押したくなったが、止めておいた。

 ちらりとエヴァに目を向ける。彼女は特段きょろきょろするわけでもなく、悠然と構えている。

「エヴァは来たことある?」

「分からないが、こんなにヒトが多い場所を見た覚えはない」

「へえ」

 前の持ち主はどういう人だったんだろうとディランは思った。そもそも持ち主が何人いたのかも、まだよく分からない。

「誰も住まない場所ばかりを、ずっと旅していた気がする」

「いつ頃の話?」

「遠い昔だ」

 何かを懐かしむように、エヴァは目を細めた。ディランはその横顔を、しばし眺めていた。

「……案内しろって言っといて、今更だけど」

 唐突に、セリアが話しだした。

「先に家に挨拶に行かなくていいの? マリー」

「うん」

「でも、許婚いいなずけが待ってるんでしょう」

「べつにいいよ」

「……許婚?」

 突然出てきたその単語を、ディランが混乱した様子で尋ね返した。意味がよく分からない。いや、言葉の意味は分かるのだが……。

 そんなディランをちらりと見ながら、セリアが言った。

「だから、マリーの許婚」

「うん」

「……へ!?」

 ようやく話が繋がって、ディランは唖然とした表情になった。結婚を約束した相手がいるだなんて――彼女のことをそこまで知っているわけでは無いにしろ――とても想像がつかない。激しいショックを受けている自分に気づいて、動揺した。

 そもそも許婚だなんて、貴族様やら大商人の世界の話だと思っていた。それとももしかして、王都では普通なんだろうか。

 ウォードもかなり驚いていたようで、おずおずと尋ねかけた。

「もしかして、マリーはいいとこのお嬢さんなのか?」

「違うと思うけど」

 マリーはかくりと首を傾げた。

 彼女の先導で、街の中を進む。段々人通りは少なく、そして店も無くなってきた。その代わりに、庭の付いた大きな屋敷が増えてくる。

 道を歩いているのは、明らかに身なりの良い上流階級の人間ばかりだ。着古してツギハギだらけの服を着ているディランたちに、訝しげな視線や、あからさまに不愉快そうな視線を送っている。どう考えても場違いだ。

 様子を見る限りセリアもディランと同じ意見のようで、不安げに辺りを見回している。一方で残りの三人は、全く平気そうだったが……。

 やがて、マリーは一つの屋敷の庭へと入っていった。鑑賞目的の他の屋敷の庭とは違って、まるで畑のように整然と植物が植えられている。咲いている花も、くすんだ色のものばかりだ。

「ただいま」

 屋敷の大きな扉の前に立って、マリーは言った。何の反応も無い。

「た、だ、い、ま」

 ゆっくりそう言いながら、マリーは人差し指の先で扉をコツコツと叩いた。そんな控えめなノックでは、中まで聞こえないんじゃないかとディランは思ったのだが、

「おお!?」

 不意に、驚いたような若い男性の声が目の前から聞こえてきた。すぐ中に扉番でもいるのだろうかと、ディランは首を傾げる。

「なんだ、マリーか」

「開けてよ」

「おお、いいぞ……いや待て」

 一瞬手前に開きかけた扉が、また閉まる。マリーは取っ手を掴んで文句を言った。

「えー」

「近くにいるのは誰だ?」

「お友達。お師匠様に会いに来たの」

「ふうん?」

 声に疑念の気配が混じる。ディランは誰かにじろじろと見られているかのような気がして、辺りを見回した。だが見える範囲に人影は無い。

「一人ずつ順番に取っ手にさわれ。問題なければ通してやる」

「これでいいのか?」

 ウォードが躊躇ためらいなく取っ手を握った。

「いいぞ。次だ次」

 声が促す。これで何を判断するのかは分からないが、ディランはとりあえず従った。セリアも恐る恐る続く。

「むむっ!」

 最後にエヴァが同じことをすると、途端に驚愕の声があがった。はっと気づいたディランが、彼女の腕を掴んで引っ張り、手を離させた。何を読み取られたのかは分からないが、エヴァに触らせたのはまずかったかもしれない。

 直後、扉は音もなくすっと開いた。怯えたような声が聞こえてくる。

「ど、どうぞ、お通りください」

 マリーは屋敷の中に入りつつ、首を傾げた。

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたも……お前すごいの連れてきたな……」

 相変わらず声は聞こえてくるが、少なくともディランには、声の主は見当たらなかった。首を捻りながら、マリーに続く。

 最後に入ってきたエヴァが内側の取っ手を掴もうとすると、扉は逃げるようにばたばたと動いた。

「あっ、触らないでください! お願いします!」

「だって」

 マリーがエヴァの手を取り、下がらせた。すると扉は、遠慮がちにゆっくりと動き、ぱたりと閉じた。ほんの少し残念そうに表情を変えるエヴァを引っ張って、マリーは屋敷の奥へと歩いていった。

 ディランは彼女に付いて行きながら、おずおずと尋ねた。

「……もしかしてさっきのって、扉が喋ってたの?」

「そうだよ。魔道具」

 ちらりと後ろを見る。閉まったままの扉はもう喋っておらず、ごく普通の扉と区別がつかなかった。

 まあ喋る剣があるのだから、喋る扉があってもおかしくないか。そう思いながら、広い屋敷を進んだ。

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